幕末散華恋唄
羽衣石 翠々
九条の姫君
「
『……ええ、分かったわ』
文久三年 4月1日
京の御所の最南端に位置する九条邸にて、女は筆を下ろした。
公家の中でも最高位である、
幼い頃から勉学に
「皐月、もうそろそろ考えてはくれないだろうか」
彼女にそう呼びかけたのは、九条道孝で九条家の三十代目当主だ。
皐月とは腹違いの
皐月の父で九条家 二十九代目当主であった九条
『…お兄様、私は前にも申しましたでしょう。 私はまだ、結婚するつもりはないと』
政略結婚の駒、それが皐月の立ち位置だ。
だが皐月は、その運命に少しでも抗いたかった。
『私はまだ二十三です』
"まだ"を強調して言った。
「…もう二十三であろう」
二十を超えたら行き遅れと呼ばれ、二十三からはとうとう年増と言われる。
由緒ある名家の娘とならば、尚更である。
『……私は先に、失礼いたします』
「…皐月」
道孝はそう呼び止めたが、従う気にはなれなかった。
その足で皐月は外に出かけることにした。
侍女一人も寄せ付けず、自ら着替えをする。 着替えた姿は、誰が見ても公家の娘とは思えない 町医者風情である。
『お
「はい、皐月様」
襖は閉めながらも、部屋の外にいる皐月専属の侍女に向かって話す。
『留守の間は、よろしくお願い致します』
「…承知いたしました、お気をつけて…」
そう言って、九条邸から抜け出す。
御所から少し離れた鴨川沿いにひっそりと佇み、外観は飾り気のない
皐月はここで身分を隠し、ただの町医者 "皐月" として 町民たちの診察をしている。
「皐月先生!!!」
雪華堂の前で、座り込んでいた一人の少年が 皐月を見るや否や立ち上がり、駆け寄ってきた。
『どうされましたか、
以前から顔見知りで、暇さえあれば雪華堂に顔を出していた子だ。 なんと医学に興味があるらしく、たまに教えたりもしている。
「お侍さまがっ…倒れてて…!!!」
「…分かったわ、そこまで連れて行ってくれるかしら?」
針や酒など 傷口を縫合するときに使うものの他に、自ら調合した薬なども準備する。
弥七さんは頷いて走り出し、私は後ろを急いでついていく。
ついて行った先は、三条大橋の下。 夜は人通りも殆どなく、橋の陰に隠れるように倒れている男が一人。
背後からいきなり斬りつけられたらしいが、傷は浅い。 刀には手をかけておらず、どうやら斬りつけられてから 命からがら ここまで逃げてきたらしい。
『止血がしてある…』
意識を失っている侍の着物を脱がしていく。
さすがに大きな背中の傷は無理だが、その他の腕などにある細かな傷は、止血のあとがあった。
「うまく出来てたかっ…? 俺がしてみたんだけど…」
『…弥七さん…あリがとうございます』
このような状況だ、少しの止血でもありがたい。
本当なら診療所に移動してから傷の縫合をしたいが、私たちだけではとても運べないし、何しろ一刻を争う。
『…この場で縫合しましょう。 弥七さんは、周りで怪しい人が来ていないか見張っていてもらえますか』
「はい、先生!」
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