二、揺れる煙

 空を飛んでみたい。魔法使いになりたいと思ったきっかけは、それだった。

 小さいころから空が好きだった。どこまでも溶けていってしまいそうな、青の器。何も考えずにぼんやり眺めていると心が落ち着くような感じがする。移りゆく空の色や、流れていく雲の形を見ているのがとても楽しかった。

 飛行機雲は私のお気に入りだ。青空を横切っていく一筋の白線は、星空を駆ける流れ星にも似ている。すぅっと流れていくところが特に。

 それがいつしか、空を飛びたいという願いに変わっていった。この空を自由に飛び回れたら、どれだけ気持ちが良いことだろう。想像するだけで心が高鳴った。

 そんなときに出会ったのが魔法使いだった。箒を使い、自由に空を駆け回る姿はまさに自分の理想そのままの姿だった。

 今、目の前にいる魔法使いは、空を飛べるのだろうか。


 「お茶でも飲むかい?」

 使は言った。見た目からはかけ離れた、妙に落ち着いた声で。

 森に入るとすぐに、掘立小屋のような簡素な家が見えた。家はかなり前に建てられたようで、家全体にツタが絡まり、いたるところに補修の跡があった。

 まさに、想像する魔女の住む家といった風貌。わずかに差し込んだ木漏れ日が、薄暗い森の中でその家を照らしていた。天窓から差し込んだ明かりが屋根裏部屋を照らすように。得体のしれない恐ろしさと、ほんの少しの興奮とが入り混じったような、言いようのない感情に襲われた。

 一歩ずつ、ゆっくりと家に近づいていった。手がドアノブに触れられそうな距離まで近づいたそのとき、不意に扉が開いた。

 扉の向こうから顔を覗かせたのは、彼女だった。 


 彼女は自身のことを、魔法使いだと言った。容姿こそ幼いが、実際は何百年も生きているらしい。細かい年齢は、あまりにも長く生きているため数えるのをやめたのだとか。

 澄んだ青い瞳がにこやかに私を見つめている。張り詰めていた緊張が少し解けて、私はその言葉に甘えた。

 「いただきます」

 そう答えると、彼女は小さく頷いて部屋の奥へと消えていった。

 家中の壁という壁に、隙間なく本棚が並べられている。生活感のあふれる、紫の菊があしらわれたテーブルクロスが敷かれたテーブルやソファーがなければ、図書館と言われても納得してしまいそうだ。その本棚にも、魔導書なのか、背表紙に見たことのない文字が刻まれている本がところ狭しと整列していた。

 部屋は本の香りで満ちていた。息を大きく吸うと、身体いっぱいに香りが広がって心地良い。心が落ち着くような感じがする。

 ほどなくして彼女は、トレイにティーカップを二つ載せてきた。

 「ミルクティーだ。砂糖を少し多めに入れてある」

 彼女は私の前にティーカップを置いて、テーブルの反対側に座った。

 「ありがとうございます」

 「そう固くならなくていい」

 彼女は胸元のポケットからキセルを取り出して火をつけた。細い煙が揺らぎながら昇っていく。

 「あなたは、魔法をどう思う?」

 煙の向こうで彼女は言う。細めた目が、推しはかるように私の胸の辺りを見つめている。

 「魔法は、自由だと思います。魔法が使えれば、自分だけでなく、他の誰かの思い描くことも叶えられるから」

 「なるほど」

 私の言葉を吟味するかのように彼女は黙りこくってしまった。揺れる煙の向こうにある彼女の表情はわからない。

 少なくとも、私にとっての魔法はそうであった。小さい頃に読んだ絵本の魔法使いは、魔法を使ってたくさんの人を喜ばせたり、困っている人を助けたりしていた。

 私が魔法使いに憧れたきっかけでもある。あの絵本の魔法使いのように、自由に空を飛び、人々の助けになるような存在になりたい。そう、心の底から純粋に思っていた。

 魔法使いになれるわけがない。そう知るまでは。

 

 彼女はキセルを置いた。まだ火がついているのか、キセルからはまだ煙が昇り続けている。揺れる煙の向こうで、おもむろに彼女は口を開いた。

 「確かにそうだな。私がかつて追い求めたものもそれだった」

 彼女はため息混じりに言う。テーブルに落ちた視線はどこか冷たい。

 「それじゃあ、今は?」

 私にしては珍しく、踏み込んだことを聞いたなと思う。いつもだったら彼女のため息や冷たい視線の正体を知ろうとしなかっただろう。だってそれは、その人にとって嫌なことであるはずだから。私がそうされるのを嫌がるように、その人の瘡蓋を剥いでしまうようなことをしてしまうのが怖いから。

 自分の中で何かが変わりつつあるのだろうか。あるいは、彼女の魔法なのか。

 「話せば長くなる。それでも聞きたいか?」

 私は黙って頷く。すると、本棚から一冊の本が取り出され、私の前に置かれた。 

 「それに全て記してある。語るより、読んでもらった方がいい。もう何百年も前のことで忘れてしまったことも多いから」

 そう言い残すと、彼女は奥の部屋へと消えていった。一人残された私は、静かに本の表紙を開いた。

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