“小さな魔法使い”と“小さい魔法”使い
星宮遥飛
一、灯火
森が口を開けていた。まるで私を待っていたかのように。どうぞお入りくださいとでもいうように。
もしも魔法使いがこの世界に居るとしたら、きっとこんな森の中に住んでいるのだろう。そんな他愛のないことが思いがけず浮かんで、私は唇を強く噛んだ。──まさか、まだ魔法使いなんかに。
魔法使いなんかになれるはずがない。そんなことは当の私が一番よくわかっている。どれだけ空を自由に飛びたいと強く願っても、箒を跨いでも、物語じゃないのだから飛べるわけがない。
そう何度も自分に言い聞かせて、ふと気が抜けてしまうと溢れてしまいそうな感情に蓋をしてきた。叶うはずのない願いをいつまでも求め続けている自分が嫌いだった。
それなのに、森は心の蓋を噛みちぎった。塞ぎ込んできた、諦めたはずの願いを解き放ってしまった。
森の奥に一瞬、あの子の後ろ姿が見えた気がした。
つい先ほどのことだった。友達の家に遊びに行っていた帰り道、小さな女の子が森の前に佇んでいるのが見えた。八歳の弟とほとんど変わらない背丈だったから、たぶん同じくらいの子なのだろう。
私が彼女に目を留めたのはおそらく、この辺じゃあまり見ない金髪の女の子だったからだ。人形のような艶のある金髪をなびかせる子は、少なくとも私の知る限りでは居ない。どこかから引っ越してきたのかもしれないと、私は思った。
閑静な住宅街の一角、たくさんの家が立ち並んでいる中にその森はある。周りは家ばかりなのに、そこだけポツンと木々が生い茂る森があるというのはなんとも不思議な光景だ。
それにしても、どうして彼女はあそこに突っ立っているのだろう。何か森の中に目を引くようなものでもあるのか、彼女はじっと森を見つめている。
もしかして、と考えた途端、全身に嫌な緊張が走った。彼女は体を森の方へと向けている。その考えが浮かんだ拍子に彼女の姿を見ると、今にも、森の中へと足を踏み込もうとしているようにしか見えなくなった。
──あの子は、森の中へ入ろうとしている?
そう思う根拠はないものの、私は心のどこかでほとんど確信していた。というより、森の前に立ち止まっている理由としてそれしか思い浮かばなかった。
もし本当に入ろうとしているのなら、なんとしてでも止めなければ。そう思って声を掛けようとした瞬間、彼女は私を一瞥して森の中へと姿を消した。
私はただ、道の真ん中で突っ立っていることしかできなかった。届くわけがないのに、とっさに伸ばした右手が宙にぶらんとぶら下がっている。後ろから来ていた車にクラクションを鳴らされてようやく、私は我に帰った。
しかし、私は依然として、目の前で起きた現象を飲み込むことができなかった。彼女が森へと消えてゆく姿が、スクリーンに映し出された映像のように繰り返し脳裏に流れる。髪が揺れる姿や、一瞬見せた含みのある表情がスローモーションに見えた。
唖然としながら伸ばした手の先に視線を向けると、森が口を開けていた。
そっと覗くと、口の中は薄暗かった。木々の枝葉が影となって、絵を見ているかのような錯覚に陥る。なんとも不思議な様相に私は竦んだ。
それでも森は執拗に私を誘う。この先で、あなたを待っている。と語りかけるかのように。瞬間、森の奥にあの子の後ろ姿が見えたのは気のせいだろうか。
あの子が、森の中でどうしているのかはわからない。そもそも、どうして森の中へ入ってしまったのかさえも。
だが、森の口をじっと見つめていると、その奥に手招きするあの子の影が浮かんでくるような感じがする。
最初から──森に入る前、私が彼女に目を止めたその瞬間からずっと、私の心は捕えられていたのだろうか。
西日が急かすように、私の背中を照りつけている。
あの子は、いったい……?
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