第5話

車内のラジオニュースでは、近頃、違法薬物の密輸や流通が深刻化していると報じられていた。


『薬物なんて死ぬ間際に使えばいいのにな、元気なうちにやるなって、教えられたはずだ。現実から逃げるために、死を選ばず快楽物質に頼るなんて愚かだな。生きてるんじゃなくて、死んでないだけだ。』


『どうしても辛い時は、死ぬ方がいいんですか?』


弥生の愚痴に、海星は思わず口を挟む。横井は、こんな人の話に付き合う物好きもいるのかと感心する。


『そりゃ、そうだ。教育者は、口を揃えて自殺はするなと言うがな。何年も苦しむより、安楽死する方がよっぽど賢いだろ。自殺は、悪くない。自分の命は、自分で決めるべきだ。無理矢理、生かされるほど苦痛なものはねぇよ。薬物は、医療目的と自死するときに使うもんだ。有無を言わさず延命させられている老人を見てみろ。年金のために、心臓動かしてるだけだ。結局、早死にが得なんじゃないのか。』


話が脱線したような気もしたが、ふーん。と肯定も否定もせずに立ち去った。その後は、天気情報で、明日は大雨と告げられ、横井が嘆く。雨が嫌いだった。晴れや曇りが続いた平和な空から、たまに水が落ちてくるのが非日常な感じがして、不快に感じる。

午前0時11分、海星の家から人影が見えた。


『あれじゃないですか。お母さん。』


横井が、キャスケット帽を被り直し、尾行の準備をする。いつもの張り込みに比べ、待ち時間が短くて助かった。しばらく歩かせ、離れたところで車のドアを開け、三人はゆっくり歩き出す。

海星には、尾行する必要はないと伝えたが、私も気になるから、ここに来たのよ。と聞かなかった。弥生は、三人で尾行とは、素人感満載だ。と思ったが、変人の後を追うだけなので、あまり気にしなかった。


『どこに行くのかな。』


海星が小さく呟く。かなりの距離を取っていたが、あまりにも声を抑えていたため、微笑ましかった。


『宗教の決起集会でも行くんじゃないの。夜の集会はテンションが上がるからね。』


横井が、わざと声のボリュームを合わせる。

暗い中、見えるか見えないかの境目の距離を保ちながら歩く。海星の母親は、忙しく、生き急いでいて、なにかにすがっているようにも見えた。

15分ほど尾行すると、学習塾の向かい側にそれほど大きくない会館がある。昼間は、児童館で子どもたちが遊びに来ていそうな建物だが、今は怪しく、不穏な廃墟のようだった。海星の母親が、一直線にその建物に小走りで向かって行く。


『あそこだな。カーテンを閉めているが、2階は電気がついてるな。昼間にやればいいだろうに、どうせセミナーかなんかだろ。お嬢ちゃんは、ここで待ってるんだ。俺たちが見てくる。』


弥生が会館に近づき、横井もついて行く。なにかあったら連絡すると海星に伝えた。


『ちょっと、やばそうな雰囲気ですね。弥生さん一人で行ってくださいよ。二人だとバレそうだ。』


横井が、両手をポケットに入れ肩をすくめる。


『お嬢ちゃんは、母親がいるからまずいが、俺たちはバレても、しらをきるなり逃げるなりすりゃいいさ。』


気味悪くそびえ立つ会館は、足を踏み入れるのに躊躇した。誘われているのか、拒まれているのか分からない。人通りはなく、あまりにも静かで耳鳴りがする。中学生が、古びた廃墟に肝試しするかのような、胸の高鳴りと不安で、横井は軽く目眩がする。真っ白い壁面に、埋め込まれた大きいガラス戸に近づき、押し開ける。思ったより重く、弥生は再び力を入れ直し、音もなく動いた。

入ってすぐに、受付のようなカウンターがあり、シャッターが閉められ、あまり歓迎されていないような気がした。


『絶対危ないよ。ほんとに。なにより暗くてほとんど見えない。階段はどこにあるんでしょうね。あっても、登りたくないし。私は、弥生さんと違って危ない冒険はしたくないんですよ。来なきゃよかった。』


横井は震えながら、出来る限りの小さな声で弥生に訴える。靴を脱ぐと、足先からタイルのひんやりとした感覚が全身に走った。足を掴まれて引き摺り込まれる感じがした。急いで、ご自由にお使いください、と書かれた箱から緑のスリッパを取り出して履く。


『今から初めてのものを見に行くんだ。わくわくするだろう。我々は、少年心を捨ててはならない。探索開始だ。』


弥生はそう呟くと、土足でタイルを踏み進んだ。





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