第12話

家に帰り、妹と両親の分の夕飯を用意していればあっという間に約束の時間になった。妹は今日は友人と遅くまで遊ぶと言っていたので、僕の方が先に家に帰る事になるだろう。両親は、いつも僕の塾が終わる頃に揃って帰宅するので、遅くなり過ぎなければ疑われる事はないだろう。

私服に着替えてメモ用紙と携帯を塾用のバックに入れて、シワにならないよう掛けておいた制服のポケットから先生に渡されたメモを取り出して書かれた住所へと向かう。


「ここって……」


地図アプリを使用して二十分ほど歩いて、辿り着いた場所は僕の行きつけのミックスジュースの美味しい喫茶店だった。付近には他にも喫茶店はあるのに、世間は案外狭いんだなと思いながら、店から少し離れた邪魔にならない場所で単語帳を開いて先生を待つ事にした。


単語帳を二ページほど目を通したところで、目の前に人が立つ気配がした。顔を上げると、不審者と叫ばれてもおかしくないマスクにサングラスのオジサンが立っていた。

おもわず息を呑むが、よくよく見ればそれが待っていた人物であることに気が付く。


「……佐々木先生ですか?」

「どこからどう見てもそうだろう。いや、悪いな、用事もあったろうに。誰かに見られて騒がれても面倒だ、中入るぞ」


そそくさと入店すると、店内には誰も居なかった。奥からマスターが手を拭きながら出てきたかと思えば、人が変わったように明るくなって佐々木先生に駆け寄る。


「おい〜!なんなんだよ、いきなり!ずっと来てくれなかったのによ!」

「や〜、すまんすまん。忙しいんだって」


ヤイヤイと少年のように言い合っていたが、僕を見て驚きの声を出す。


「えっ、羽矢人この子と知り合いなの?え?」

「色々あってな。ただの生徒の一人だ。お前が思ってるような事はなんもねぇから、変な事考えんじゃねぇぞ」


ふーん、と改めて上から下までジロジロと見られて少し居心地が悪い。会釈だけしておくと、マスターはニコリと笑い、お店の看板を裏返してクローズの表示にした。

まさか、佐々木先生とマスターの仲が良かったとは。これからここに来にくくなってしまう恐れに悲しみながら、慣れたように店を進む佐々木先生の後を追いかける。


「適当に頼め。俺、ブラック」

「あ、じゃあ僕ミックスジュースで」


友人とお金の貸し借りは絶対にしないが、大人が払う場合はありがたくご馳走になる事にしている。断る事で相手に恥をかかせる事になる場合もあると昔に学んだ。


さて、と佐々木先生は姿勢を崩して頬杖をつき、本題に取り掛かる。マスターは佐々木先生が訳アリの話をすると長年の経験で察したのだろうか、先ほどのように絡む事はなく、すんなりとキッチンに戻っていった。


「お前、嘉根と手を組んでこの件に首突っ込んでるんだろ」


ビクリ、と肩が跳ねる。乙訓先生にバレなければ問題はないと思っていたが、責めるようにそう言われては思いがけず驚いてしまう。


「あ、は、はい。嘉根さんには内密にして欲しいのですが、話を聞いたのも嘉根さんからです。」

「そうだよな。……お前のことを思って言うが、手を引いた方が良い。夏休みの補習に参加したくないなら、成績は下がるが欠席すれば良い。」


予想外の言葉に思わず顔を顰める。嘉根さんについては、正直に言うと僕も彼女の行動に少し違和感を覚えていた。しかし、手を貸さない選択をするほどではない。彼女は彼女で他の生徒に聞き取りをしてくれている。

それより、僕はなによりも成績が下がる事が許せない。三年生で大学への推薦を貰うために、一年生の時から成績優秀を貫いている。

その戦果がこんな教師の思いつきで壊されては堪らないので、補習を無くそうと奮闘しているというのに。


「先生、どういうことでしょうか」

「……嘉根は上手い事隠したつもりだろうが、人の感情だけは誤魔化せない。なんというか、これは俺の憶測に過ぎないんだが、君はおそらく勘違いをしている」


ハッキリと言わないその態度に腹が立つ。だが断言して責任が生じてはまずいので、わざとこういった言い方をしているのかもしれない事も同時に理解できる。それにしたって、腹は立つが。


「ええと、話せる範囲で詳しく話してもらっても良いですか」

「……緒方が怯えを見せるのは嘉根に対してだけだ。サッカー部の顧問は嘉根の親に逆らえないと噂がある、その関係で嘉根にも弱い。」

「しかし、しっかりとした証拠もないのに決めつけるのはどうかと……」


嘉根さんには恩もないが恨みもない。勝手に悪者に仕立て上げられるのは理不尽だと思い、証拠を求める。

佐々木先生が無言になったかと思えば、奥からマスターが注文品とサンドイッチの盛り合わせを持ってやってきた。


「これは俺からの賄いだよ、頭使ってそうだからね。」

「あぁ、ありがとう」

「わ、ありがとうございます」


マスターは注文品をテーブルに置くと、こちらから見えるキッチンの手前で作業に戻った。

それを見て佐々木先生は、「一度休憩にしよう」と頼んだコーヒーを口にした。

僕もいただきます、と言ってからミックスジュースを飲む。相変わらず甘くて美味しい。


その間に先生は理科準備室で使用していた折り畳めるホワイトボードを取り出して、机に広げた。

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