第5話

今日の一限目は化学で、実験があるので移動教室だ。

授業担当は佐々木先生でサイエンス部の顧問も務めているはずだ。

人体模型の件で話を聞きたいが、まずは井戸の蓋の件から片付けていきたいため、今はまだその時では無い。嘉根さんと計画をどう進めていくかを会議しなければならないので、僕はいつもよりもどこか上の空だが授業を問題なく受けた。


四限の体育が終わり、昼休みの時間になった。いつもは例の友人たちと教室で食べていたが、今日だけは断りを入れた。相澤くんは半ば呆れた顔で手を使って追い出すようなジェスチャーをとり、福田くんは元々細い目をさらに細めて緩く手を振って僕を送り出した。

嘉根さんには昼休みのアタマから会おうと伝えてあるので、廊下で彼女を待つ。嘉根さんはいつもお昼休みは食堂へ行っていた気がするが、今日は何か食べ物を持ってきているのだろうか。食堂にはパンも販売されているので、購入後に場所を変えて話し合えるので僕の心配するところではないか。


お昼休みが始まってから5分が経過しているが、彼女はまだ来ない。お昼休みは一時間しかない中、川中くんにどうやってコンタクトを取って話を進めていくかを決めたいのだが。もしかして約束を忘れて食堂へ行ってしまったのだろうか。

川中くんは放課後すぐに部活へ向かってしまうので、部活棟まで追いかけて話をするとなると話が大ごとになってしまう。川中君に教室に残ってもらうために、その旨伝える必要があるのだが、昼休みを逃すと移動教室が続くので話を合わせられるタイミングは今しかない。食堂は賑やかで気が乗らないが彼女を探しに向かう。


 食堂に到着すると、嘉根さんが仲良しのグループ数名と座って話していた。少し気になるのは、嘉根さん以外は食事をとっているのに対して嘉根さんは食堂に来ている移動販売のパンだろうか、透明な袋に入ったかわいらしいパンに手も付けずにニコニコしながら話を聞いている点だ。

もう昼休みに入って10分が経過しているため、僕は焦りが出始めていた。食堂にたくさん人がいるにも関わらず、嘉根さんの座っているテーブルの近くへ歩み寄る。

僕を知っている人は普段僕が来ないものだから、物珍しいと言いたげな目で見てくるが、気にせず嘉根さん御一行が歓談している机にゆっくりと近づく。

すると、一番手前に座っていた同じクラスの関さんが僕に気が付き、うどんを食べていた手を止めて僕に話しかける。


「あ、芽島くんじゃん。珍し、どしたのなんか用?」


その声で関さんを除く五人が一斉にこちらを見て各々挨拶を交わしてくる。それぞれに会釈をしながら、

「嘉根さんに用があって、いま大丈夫かな」と言うと、関さんがその旨を中々大きい声で伝えてくれる。

嘉根さんは大袈裟に驚いた様子でこちらを見て、ゆっくりと立ち上がる。その様子を見ていた同じテーブルの人達は、各々表情を変える。

年頃の想像をしてニヤニヤしている者、嘉根さんと喋れる時間を僕に取られて不服なのだろう顔の者、面白く無いのか携帯を触り始める者。確かに歓談中に話の中心を取り上げるのは申し訳ない気持ちになる。しかしながら、僕たちには時間があまり無い。嘉根さんは手付かずで机に置いていた袋に入ったパンを持ち、少し急いだ様子で、しかし髪を耳にかけながら優雅に見える所作でこちらへ歩いてくる。彼女は他のグループメンバーに特に何も言わず、微かに微笑みながら胸の高さで手を振り、先に歩いて行ってしまう。

僕は慌てて、関さん達に「話の最中だったのに、ごめんね」とだけ伝え、先に出た彼女を追いかけるように食堂を後にする。


 さて、ようやく計画を練れるが肝心の場所を決めていなかった。確実に人がいない場所の方がいいが、食事も摂れて内緒話もできる場所といえば、


「嘉根さん、話し合いをする場所なんだけど、屋上手前の踊り場はどうだろうか。」


屋上への立ち入りは禁止されているが、手前に誰が作ったのか机と椅子でバリケードのような物が組まれている。少し埃っぽいが、誰にも見られないし机と椅子もあるからご飯も食べられる。僕の提案に対して嘉根さんは


「うーん、それも良いけど、誰かが階下で耳を澄ましていたら、私達は気付けないよね。むしろ、中庭で堂々とするのはどうかしら。大きな声で喋らなければ声は響かないし、教室から見えるけれど近くを通る人は居ないわ。」


と提案してきた。なるほど確かに。これが灯台下暗しとでもいうのだろうか。変に隠れて有る事無い事を疑われるよりは断然良い。


「いいね、決まりだ。」


そう言うと、食堂から見える距離にある中庭のベンチに向かう。中庭には花壇がいくつかとネイチャー部のビオトープがあるのみで、かなり見通しが良い。彼女は一番真ん中にあるベンチにハンカチを敷いて腰をかけた。その隣のスペースに落ちている木の葉を手で払い僕も腰をかける。

僕は、昨日の晩に作ったおにぎりとだし巻き玉子、唐揚げ、きんぴらごぼう、ブロッコリーが入った簡単な弁当を食べながら、本当に冤罪を晴らせば夏休みは無くならないのか、そもそも本当に無くなる予定なのかを考えていた。嘉根さんは丸い白いパンを少しずつ少しずつ、小さな口で食べている。


「食事の最中だけど、時間が少ないから話しても良いかな」


そう言うと、彼女は咀嚼中だったようでこちらを見て口を動かしながら頷く。


「サッカー部の川中くんにコンタクトを取るのは容易だが、部活に遅れても彼が責められないようにしなければならない。そのため、僕らが放課後までにしなければならない事は、

1、川中くんに放課後時間を取ってもらう。

2、サッカー部のマネージャーか部長、副部長に川中くんが練習に遅れることを納得させる。

そして、放課後に川中くんに井戸の蓋の話を聞く。

昼休み中に2まで終わらせたかったが、なかなか難しいだろうな。マネージャーから顧問に話を通してもらえば、放課後に話を聞くことは了承してもらえると思う。サッカー部のマネージャーは一年の女の子と、隣のクラスの佐藤さんだったはずだ。」


そういうと、嘉根さんは相槌を打つように頷いた。

関わりの無い一年生の子に話すよりも、佐藤さんに話す方がいいだろう。今朝の事があるので少し気まずい気もするが、これを機にその気持ちが晴れれば一石二鳥だ。


「僕が昼休み中に佐藤さんに話をしてみるから、嘉根さんは放課後までに、川中くんに、聞きたいことがある部活に話は通してあるから、と伝えて欲しい。出来そうかな。」


嘉根さんはクラスの人気者だが、自分から誰かに話しかけに行っている場面を見たことがない。慣れていないだろうと思ってそう声をかける。僕が直接川中くんに言うと、きっと規則に対する小言だと思われてまともに取り合ってもらえないだろうから、出来れば嘉根さんにお願いしたい。彼女はようやくパンを食べ終わったようで、少し悩む素振りをした後


「不安だけどやってみるわ」


と眉の下がった困り顔で言った。きっと教室内で伝えるだろうから、キツそうだったら僕も手助けしようと思う。


「じゃあ、残り10分も無いから急がなきゃいけないわね」


嘉根さんはそう言って立ちあがろうとして、バランスを崩し僕の方へ倒れ込んでくる。僕はとっさに人間の急所である頭と、身体を支えるために背中に反射的に手を回す。

僕の左の膝の上には彼女の柔らかく細い太ももが乗り、彼女も反射的に僕の足を踏まないように僕の右の太ももの横へ膝を動かして、僕の足は彼女のスカートで覆われている。

人間の重みを膝で感じた次の瞬間、僕の視界は今まで体験したことのない触感に奪われる。


今、彼女は僕に対して馬乗りの状態で、僕は背中と頭を抱き抱え、さらに彼女は僕の頭を両腕で抱え込み、胸が顔に当たっている。このままではセクハラで訴えられてしまうと思い、急いで両手を彼女の身体から離して手を挙げ、僕の身体を反らして顔を背ける。そして、


「ごごごご、ごめん!そんなつもりは無くて、その、悪意は本当にないんだ!」


きっと僕の顔は情けないくらい赤くなっているだろう。彼女は現状を理解できていないのだろうか、僕の膝の上から動けずボーっとした表情をしていると思った矢先、後ろに棒を置かれて飛び跳ねる猫のように身体が跳ねたかと思いきや、急いで膝から降り、ものすごい速さで


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!本当にごめんなさい!私もそんなつもりはなくてむしろ私が悪いというか、本当にごめんなさい、嫌いにならないでわざとじゃ無いの、立とうと思ったら躓いちゃってバランス取れなくなっちゃってぇ!」


と謝罪を繰り返す。人間、自分より焦っている人を見ると冷静になれるというのは本当だな。妙に冷めてきた頭で、半ばパニックの彼女を落ち着かせる方法を考える。と、いうよりこの騒動の発端は自分にある可能性がある。彼女のスカートの端を僕が太ももで踏んでしまっていたのかもしれない。


「嘉根さん、落ち着いて。僕も悪いんだ。多分だけど、きみのスカートを踏んでしまっていたかもしれない。バランスを崩してしまったのは僕のせいなんだ。申し訳ない。お互い不幸な事故だから、この事は忘れよう。」


いつもよりゆっくりとした口調で彼女に伝えると、深呼吸をしながら冷静を取り戻しつつあるようだ。


「ええ、ええそうね。これは不幸な事故。忘れましょう。」


そう言う彼女は落ち着くのにまだ時間がかかりそうだ。そういう僕もまだ心臓が高鳴っており、身体が跳ねたり心音が聞こえる可能性があるため出来るだけ早くこの場を離れたい。


「そ、それじゃあ僕は佐藤さんに話に行ってくるから、また放課後くらいに。」


そう言い彼女の返事も待たずに僕は立ち去る。きっと今僕は耳まで赤くなってしまっている。



熱った頬を持っていた水筒の側面で冷ましながら、小走りで中庭から教室棟の三階に向かう。一度、教室に荷物を置いて次の授業の用意をしてから向かうことにしよう。急いで階段を駆け上がったからなのか、はたまた、先ほどの熱がまだ冷めないのか、軽く乱れた息を整えながら廊下を歩く。

A組の教室に入り、窓際で一番前の席の僕の机に目をやると友人たちが机を合わせて話し合っていた。いつもそうやって三人でお昼休みにご飯を食べているので、今日もそうしていたのだろう。

「ちょっとごめんな、カバン触るよ」

と言いながら僕のカバンにお弁当箱を入れ、次の授業の教科書を取り出す。何の反応もないので、友人らの方を見ると相澤くんは恨めしそうな顔で僕を睨んでおり、福田くんは両手で顔を覆いながらも指の隙間から分かりやすく僕を見ている。まずい、間違いなく中庭でのアレを見られた。


「違うんだ…違うんだ本当に事故なんだよ」


僕はそう言うが相澤くんは聞く耳を持たない。


「誤解だの事故だの、あんなに仲良くしてたのに、彼女ができたら俺らに惚気話もしてくれないのかよ、寂しいよ」


わざとらしく泣いた仕草をするあたり、余裕はありそうだ。福田くんは頷いているが、誤解は解けていない。やっぱり中庭よりも屋上手前の方がよかったんじゃないか、と思うがあの時彼女が言ったように聞かれる可能性を考えると、リスク的には中庭の方が良かったのか。こんなことで悩むなら、学校ではあまり嘉根さんと喋らない方が良いのかもしれない。さっきの事を思い出してしまいそうなので、小言を言う相澤くんを無視して隣のクラスの佐藤さんに会いに行く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る