第2話
無事に手を繋いで校門を出たが、嘉根さんの歩みは止まらない。
今、この状況で主導権は向こうにある。だが、僕も羞恥心が限界を迎えており、これ以上モノのように振り回されるのは癪だ。
時間が経つと共に、僕の頭は冷静になり、今日のスケジュールのことを思い出す。このままクレープもミックスジュースも飲めなくなるのはごめんだ。握ったままの細く白いスベスベした手にほんの少しの力を入れて軽くひっぱる。
「あの、そろそろ理由を話してくれてもいいんじゃないか。ここまでしたんだから、流石に僕にも知る権利があるだろう。」
そういうと、嘉根さんは歩みを止めた。道ゆく大人たちが生暖かい目で僕たちを流し見していく。嘉根さんと話が出来ると思い、期待から手の力が抜けると、またすぐに歩き出してしまった。ダンマリか、と不満に思って彼女の顔を見つめると、こちらを一切見ずに周りの目をやたらと気にしている様に見える。
そこまで周囲を気にするという事は、やはりいじめられているのだろうか。嘉根さん程、人間関係を上手くやっていそうな人がいじめられてしまうんだったら、もう友人関係なんて必要ないな、などと考えていると、嘉根さんが急に歩みを止めてメガネザルのように大きくつぶらな瞳でこちらを見た。
いつのまにか人気が無いところは来ていたようで、周りを軽く確認して一息ついた後
「本当にごめん。ちゃんと説明をしたいし、芽島くんにも協力してもらいたい事なんだけど、同じ学校の人に聞かれるわけにはいかないんだ」
と余裕のない顔で言う。いつも笑顔の嘉根さんもこんな表情が出来るんだな、と感心しながらも、これはきっと期限付きの告白ドッキリいじめなんだと僕は感じ取った。
何日までに僕を恋に落として、いじめっ子たちの前で告白させ、ドッキリでしたとバラしてゲラゲラと笑ういじめなんだ。もしかしたら彼女が良心を痛めて、ボクが最小限の心の被弾で済むように演技を申し出てくれるのかもしれない。
僕は彼女の優しさを無碍にしないように、その申し出を受け入れる覚悟を決めた。
しかし、いつまでも歩き続けるのは辛いので、僕のお気に入りの喫茶店で話し合おうと提案した。あそこなら建物が古い上に分かりづらい場所にあるため、同級生が入り浸っているのを見たこと無いし、よく勉強目的で使わせてもらっているから、多少話し込んでもマスターは許してくれるはずだ。
演技の打ち合わせがいじめっ子にバレることも無いし、僕もミックスジュースが飲めるしで一石二鳥だ。これから向かう場所で同級生を見たことない、と嘉根さんに説得すると納得したようで、新しくできたクレープ屋さんを横目に、少し薄暗い裏路地へ道を変え、喫茶店『ぱんだ』に入店した。
喫茶店に入ると、普段からお世辞にも多いとは言い難い客入りだが、今日は一段と少なかった。
このお店は、一番奥のテーブル席とカウンター席以外のテーブル席は衝立で区切られているが、立つと隣の席が見える位の高さであるため、入店時にお店の全ての席を見渡せる。お客さんは僕らの他に一組、スーツを着た男性二人が居ただけだった。
いつもなら多少の雑音がある方が集中できるため、人は多い方がいいのだが、今日は人目を避けたいので運が良かった。
お店のマスターとは注文時以外で喋ったことは殆ど無いが、僕を認識してくれていたようで、女の子と来ているからなのか、驚いた顔の後わかりやすくニヤニヤとしていた。
誤解を解きたいが急に喋りかけるのも気が引けるので、ここは無表情を貫く。
嘉根さんの件が無事に終わって、何かきっかけがあれば説明できるのだが、以降は恐らく勘違いされたまま通うことになるのかと思うと少々辛い。
この喫茶店は空いている席に自由に座っていいシステムだと認識しているのだが、マスターがニコニコしながら一番奥のテーブル席を指さしている。
ここに座れという事だろうか。
嘉根さんが人目を気にしているのでありがたいのだが、高身長で強面のマスターが意外にも学生の色恋沙汰が好きな人だとは知らなかった。
奥に座らない理由もないので、マスターに会釈をしてテーブル席に着く。嘉根さんはマスターに自分が僕の彼女だと勘違いされていることも知らずに
「あの人がここの店主さんかな、芽島くんの事見てニコニコしてた気がする。結構仲良いのね、いい人そう」などと言ってくる。
いつもはご自慢のヒゲに櫛を通しているか、奥にあるテレビ見てるかで、お客が入ってきても席案内なんてしている所を見たことないのに。
メニュー表を開くよりも早く、マスターがお冷を手にやってくる。いつもは注文をお願いするときに持ってくるのに、なんて分かりやすい人なんだ。
そのままオーダーを取ろうとしてか、メモ帳とペンを手にこちらを細い目で見つめてくる。マスターは別に寡黙な人ではなかったはずだが、どうして喋らないんだ。僕が何か行動するのを待たれているようで、少し居心地が悪い。
嘉根さんは慣れない店だからだろうか、あたふたしながらメニュー表を見ている。マスターはニコニコしながらパンケーキをオススメしているが、実はあのパンケーキは初見殺しだ。メニュー表で見ると可愛らしいサイズなのだが、実際は一般的なピザ一枚よりも大きい。シェア前提のメニューならメニュー表に書いておくべきだ。初見殺しに引っかかり一人ぼっちで完食しなければならなかった僕のような被害者を少しでも減らすために。ちなみにミニサイズは存在しない。
ホットケーキへの恨みで頭が満たされていると、嘉根さんはオーダーし終わったようで僕を見つめていた。いつものようにミックスジュースをお願いしようと口を開いた瞬間、僕の言葉を遮るようにマスターが
「君はいつものブラックコーヒーでいいよね?」
と聞いてきた。そんな、誰と間違えているんだ。ブラックコーヒーなんて僕飲んだこと無いぞ。
慌てて否定しようとマスターを見ると、ナイスなパスをしたでしょう?とでも言いたげなウインクを寄越してきた。僕は喫茶店で勉強することを黙認してもらっている立場であり、マスターと大して親しいわけではない。ここでマスターの気遣いを無碍にして恥をかかせてしまっては後々来るのが苦になる。苦いのが好みではないだけでブラックコーヒーは飲めるので、待望のミックスジュースを飲めないのは大変不本意ではあるが、ブラックコーヒーでカッコつけさせようとしているであろうマスターの勘違いの提案を呑む事にした。
注文が終わり、ウキウキしながら厨房へ戻るマスターを恨めし気に見つめていると嘉根さんが口を開いた。
「ほんとにごめんね。でも、同じクラスで頼りにできるのって芽島君しかいなくて」
僕が一番のカモだったってことだろう。
いつも勝手に掃除当番を代わって、休み時間は静かに塾のテキストを見ているから、チョロそうだと舐められることは仕方ないことではある。どういう風にしてこの陰湿ないじめをやり過ごすつもりなのだろうか。嘉根さんの意見を聞こうと言葉を待つ。
「実は」
来るぞ、いや、こういう時ってどういう顔をすればいいんだ。いや、待てよ。もし、全くいじめなんて関係無くて、勉強を教えてほしい等のお願いだったらどうする。しかし、その程度のお願いなら抱き着いたり、腕を組んだりする必要はなかったはず。
まさか、嘉根さんは僕のことが本当に好きだったりするのか。
次に来る嘉根さんの言葉に期待をして、リップで光る唇に視線が吸われる。
「芽島君には、A組の失態とされている冤罪の、真相を暴いてほしいの。」
思考が3秒ほど止まった。予想外にもほどがある。そういった事は探偵にでも頼めばいいだろうに。何故僕にそんな事を、という疑問と同時に、いじめだとか、剰え僕に好意を抱いているのかもしれない等と考えてしまっていた自分の浅はかさに恥ずかしくなり、彼女に対して申し訳なさを抱いた。
彼女に僕の勘違いから来た羞恥心や罪悪感を伝えても困惑するだけだろうし、彼女はそんな空気ではないので、詳しく話を聞くのが先決だ。
「ええと、僕は冤罪なんて何も知らないから力になれないと思うけど。失態っていうのは一体何のことなんだ。」
そう聞くと嘉根さんはハッとした様子で
「あ、ごめん。あまりにも言葉が足りないよね。説明とか苦手だから、わかりにくかったらその都度聞いてね。実は、夏休みまでに、学校で起きたA組の仕業とされている事件の数々の真相を調べないと、A組の夏休みは最後の週以外が補習になってしまうの。君は成績がいいけれど、A組全体としてはいい成績とは言えないでしょ。だから連帯責任として、夏休み補習の計画が進んでいるらしいの。もう話が進んでいるらしくて、後は校長先生が承認するだけだからほとんど確定事項らしいの。パパのスマホにそう書かれたメールがあったわ。」
なるほど、何故そんな事を知っているのかと思ったがそういう事なら合点がいく。
確か、嘉根さんのお父様は大企業の重役で、政治家のお偉いさんと幼馴染だかなんだかで、仲良しだと聞く。人脈がとにかく広いとのことなので、恐らくそこの繋がりを辿って高校の情報が入ってくるのだろう。
嘉根さんは行事などの内容を、先に仲良しグループにリークしたりしていた。大きな声で話すものだから、僕も今年の学年旅行の行き先が長野か沖縄の二択だと知ってしまった。
情報の出所が親とは言えども、一応学校の情報が公開前に漏れてしまうのはいかがなものか、と思っていたが、行事の情報しか流さないようなのでセーフなのかもしれない。
何にせよ、僕には関係のないことだ。
それよりも、A組の夏休みが無くなるというのはどういうことだろう。言葉通りの意味だとして、連帯責任という事は僕も強制参加なのだろうか。
いつも勉強よりも部活に打ち込んでいるクラスの人たちは、成績から考えると必要だろうけど、嘉根さんの言う通り僕には必要無いし、夏休みは塾の予定が詰まっているから困ってしまう。
嘉根さんもきっと、あんな急に抱きついたりするくらい焦っているのだろうから、ゆっくりお話しをして何が言いたいのかを紐解いていこう。
「ええと、A組の夏休みが無くなるというのは大層不服だけど、いったんは飲み込もう。それもA組の冤罪が原因なんだよね。その冤罪っていうのはいったい、何のことかな。」
僕は可能な限りゆっくりと喋り、彼女がリラックス出来るように努めた。彼女が何回か深呼吸をすると、先程の頼りなくアタフタした様子がガラッと変わり、長い足を組んで話し始めた。
「はぁ〜。この喫茶店は本当に落ち着くね。コーヒー豆の香りにあまぁいパンケーキを焼く香りが本当に最高。早く伝えなきゃって思いが先行してパニックになってちゃったみたいで、ごめんね。」
そういう彼女は僕がいつも自分の席から見る、クラスの主要グループの中心で微笑みながら友人と話している彼女の顔だった。
落ち着くだけで人が変わったように雰囲気が変わったと思うと同時に、学校で悪天候に見舞われ、雷の音が教室に鳴り響いた時、頻繁にお手洗いに向かっていたのはパニック状態から回復するためだったのかもしれないと合点がいった。
彼女は、結露の流れ落ちるコップに入った水で唇を潤わせてから、こちらをまっすぐ見つめる。
「A組が主犯だとされている学内の事件の数々は、A組の誰も関与していないはずなの。そのせいで夏休みが無くなる予定だから、容疑を晴らすことが出来れば、先生たちもA組を責める理由が無くて撤廃するはず。だから冤罪を晴らしてほしいの。」
彼女は真剣な顔つきでこちらをまっすぐ捉えて説明する。なるほど、A組の人間にかけられた冤罪というのは複数あるのか。
僕が知っている冤罪、というか、事件はサッカー部の川中君が使われていない井戸の蓋を壊したことくらいだが。
「わかった、僕にできることがあるか分からないが協力しよう。でも、僕が知っている事件は先月に起こった、井戸の蓋が壊された件くらいだよ。わざわざホームルームで前に呼び出されて怒鳴られて、部活に行きたい無関係の人達もイライラしていて、さすがに気の毒だったのを覚えている。あれも冤罪なのだと仮定して、他にはどんな疑いがかけられているんだ。」
そう彼女に尋ねたタイミングで、マスターが注文品を持ってきた。
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