第9話‐3


『そうだな、まあ簡潔に言うなら――


『てなわけで、お前らは俺が選んだ、今年の""♡』


 初めて会ったときから、ウソまみれの男だった。


 担任が超絶イケメンでラッキー、と思っていたらこれだ。げんなりした。まぁでも、顔面に罪はないからなぁ。それにしても、このイケメンはどうして、こんな嫌われるようなウソを言うんだろう。八百坂恋は、桜慧という人物について観察を始めた。


 まず分かったのは、彼は桜クラスの十人のことを、落ちこぼれだなんて思っていないこと。じゃあどう思っているのか、までは分からない。恋に分かるのはその言葉の真偽だけで、それが嘘だからといって桜が恋たちのことを「最高の逸材」だと思っているとは全く限らないし、極端な話、「落ちこぼれ以下のゴミ」と認識している可能性もなくはない。


『大したことじゃないよ。ただ――『塔に挑めない』ってだけだから♡』


 あの言葉だけは、確固たる意志を帯びて真っ直ぐ響いた。この時点で、恋の中で「桜先生は実は生徒想いのいい人かも」という線は完全に消えた。


 長く彼を見てきたが、彼の発言は全て雲のように軽薄で実体がなく、依然掴み切れない。そんな桜を――これから、尋問する。分からない。なぜ桜はこんな回りくどいことを。黒雲に覆われた夜空と、冷たいコンクリートの床に挟まれた寒々しい世界で、恋は高まる緊張感と疑念、そして貪るような好奇心に、ごくりと生唾を飲み込んだ。


「お前ら三人、誰が質問してもいい。聞きたいことを聞け。俺は全て、否定する」


 宙に腰かける桜のそれを合図に、尋問は始まった。




 先陣を切ったのは竜秋だった。


「……誠を世界から消したのは、あんたか」


 桜の唇が動くまで、恋の心臓は破裂寸前だった。


「いいや、違う」


 ぐっ、と詰めた息をやっと吐く。確認するようにこちらを向いた竜秋と爽司に首を振ってから、恋はもう、一つ目の質問で既に座り込みそうだった。


「じゃ、じゃあオレから質問! まこっちゃんは生きてますか!」


「――


 耳障りな嘘の声に、これほど興奮したことがあっただろうか。ぐんと加速した血流で顔が熱い。「ダウト!」と叫んだ恋に、竜秋と爽司が目いっぱい見開いた目を震わせる。


「い……生きてるって、ことか……? 誠が……!?」


「そう! そうよ!」


「っしゃああああああああ!! ありがとうございます、桜先生ぇ!!」


「質問は終わりでいいの?」


 今にも立ち去りそうな挙動を見せる桜を三人揃って大慌てで止める。


「じゃあ、えっと……誠は、この学園にいますか」


「いいや」


「東京にいますか!?」と爽司。桜の否定は歪んだ。


「ダウト! 誠は東京にいるわ!」


 恋の叫びで最高潮に色めき立つ一同。


「ひとまず誠のいる場所を絞ろう」


「そうだな! 二十三区全部言ってくか!」


 爽司の提案で虱潰しに当たった結果、誠の居場所は「杉並区」に特定できた。


「こっからどうやって絞るか……」


「これ、キリがなくね……?」


「そうね、何か質問の仕方を工夫しないと」


「じゃあ……誠は移動中ですか」


 桜の否定に嘘の反応なし。誠は、杉並区で静止している。


「あれ? 杉並区って、確かアレがあるよな。塔の発生区域。Ⅳだっけ」


 爽司の呟きで恋の頭に電流が走った。それだ。間違いない。


「誠は今、塔に挑んでいますか!?」


「――いいや、違う」


 渾身の質問を否定する桜の声は、よく澄んでいた。なんで!? 絶対そうだと思ったのに! 頭を抱える恋に代わって、竜秋が神妙な顔で尋ねる。


「……誠は、発生区域・東京Ⅳにいますか」


「――


 明確に、声が低く鈍く、醜く歪んだ。


「え……? なんで……? そこにいるのに、塔に挑まないで何してるの」


「発生区域の仕事を手伝ってるとか!?」


「大怪我をしてて動けない、とか」


 爽司と竜秋の質問、どちらも澄んだ声で否定される。その後も三人がかりで考えられることを確認し続けたが、桜の否定が淀むことはなかった。核心に近づいているのは間違いないのに、何かが足りない――


 その瞬間、地球の自転が止まったような気がした。


 薄着の隙間から吹き込んでくる冷気に身震いする。ただ、ふと、馬鹿馬鹿しい妄想が過ぎっただけだ。桜に確認するまでもない。むしろこんなこと確認したくない。でも、一応――気になってしまうから。さっさと笑って否定してほしかったから。


「誠は……」


 心臓が千切れそうなほど高鳴る。震える声と、血の気の引いた顔に、竜秋と爽司も何か尋常ならざる様子を感じ取ったらしかった。




「誠は………………“塔ですか”……?」




 耳鳴りがするほどの静寂だった。やがて桜は、せき込むように笑った。





 地底の怪物が如く、禍々しく歪んだ音が耳朶を打つ。




 酷い吐き気を覚えて恋は崩れ落ちた。暴走する脳回路が焼けるような熱を帯びる。


「は……どういうこと……? まこっちゃんが、塔……? 何言ってんの、よく、意味が分かんないんだけど……」


 恋には、分かる。バラバラだったピースが、崩壊を逆再生するように全て繋がり、頭の中で組み上がっていく。気持ち悪い。こんな感覚は初めてだ。桜の声を聴かずとも、もうただ、彼を見ているだけで、その美貌の奥深くに秘められた、深い哀しみと怒り、叫び出しそうなほどのもどかしさまでが、おどろおどろしい怪物の姿を借りて現れる。


「そうだ、八百坂。もっと集中しろ。お前は今日まで、半強制的にギフトを鍛え続けてきたはずだ。『オフにできない』という壮絶な代償と引き換えに」


 焦げ付くような頭に桜の声が反響する。激しい船酔いのような気持ち悪さと頭痛が襲う。酸っぱい味が胃から口に上がってくる。


「お前のギフトは、お前の目は、脳味噌は、そんなもんじゃない。先入観を捨てて、もっと自由に、解釈を広げろ。さぁ――覚醒しろ、八百坂恋」


【尋問官(ポリグラフ)】。嘘を語る声が分かる能力。


 二四時間三六五日、他人のウソを浴び続けた恋は、次第に声なんて聞かなくても、表情や仕草から嘘つきの気配が分かるようになった。交友関係・趣味趣向・かつての発言など既知の情報を照合して、相手が何も語らずともその腹の底を読み取れるようになっていた。


 あぁ、そうか――それもある意味で、あたしのギフトなんだ。


 ギフトによって、脳と目が発達して、結果的にギフトが“拡張”したんだ。


 だったら、できるかもしれない。嘘を見抜いたその先の、真実をも看破することが。


 脳のブレーキを取っ払う。全力、全開。桃色の理力が全身から溢れ出し、長い髪を花びらのように浮かび上がらせる。桜を射抜くように凝視する灰色の瞳が、鮮やかな深紅に染まる。


 これまでの桜の全ての発言、行動、表情、仕草、全てが高速で書物をめくる音とともに矢継ぎ早に脳を駆け抜ける。生徒を「金の卵」と呼ぶ校長と、それを否定した桜。今朝の塔予報。誠が新入生で唯一選抜された《飛竜隊》。九九人になった新入生。不自然に少ない上級生。塔伐科高校キャンパスのある都道府県だけに複数存在する発生区域。「俺は、全員覚えているよ」――熱暴走するする脳を理力で介助し、桜がひた隠しにする真実へ、蛇のように這い寄っていく。


「先生は……本当は私たちに真実を話したい」


」――歪む音声。今の恋の耳には、「そうだ」という桜の肉声が重なって聞こえる。


「それを言えないのは……誰かのギフトで、禁じられているから」


」――桜の微笑が、今の恋には泣いているように見える。


「塔は……――」


目に涙を溜めた恋の声が、解き明かした真実の救えなさに、堪えようもなく震える。




「本当は、全部、人間でできている。塔伐科高校の、生徒でできている」




 静寂が満ちる。桜はついに、否定も肯定もしなかった。ただ、たった一言。


「――ありがとう」


 湧き出す泉のように透明な声で、長い長い戦いを終えたように、穏やかに笑った。


 無数の嘘を掻き分け、微小な情報から一縷の道筋を見出し、人の心の奥底に隠された真実を射抜く――覚醒した恋のギフトは、後にランクを第参級サード、名を【真撃手ベリディクス】と改められる。

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