第6話‐4


 気がつけば、果てなく続く、深紅の宇宙のような世界だった。


 夢見心地を少女の悲鳴が切り裂く。上空から落ちてくる恋に気づき、竜秋は透明な床を蹴って素早く落下地点に回り込み、彼女を胸の前で受け止めた。


「あ、ありがと……」


「こっちの台詞だバーカ! 最高だ、お前!」


 昂揚感を抑えきれず思わず抱きしめると、腕の中で恋の体温が爆発的に上がった。


「は、離して!」


「なんであの太陽が本体だって分かったんだ!? 俺、考えもしなかった!」


 いつになく興奮する竜秋のキラキラ輝く瞳を見つめてしばし呆気に取られた後、恋は「いいから下ろせ!」と叫んで腕から飛びのいた。


「だ、だって明らかにおかしかったじゃない。これまではずっと暑いフィールドだったのにあのフロアだけ吹雪なんて。一つの塔は普通、全てのフロアが共通した性質の理力で構成されているものなのに。それで、この塔の性質が『炎』、あるいは『熱』だと仮定したら……『熱を奪う』ギフトで、フロア全体から熱エネルギーを吸収することで極寒地帯を生み出しているやつがいるんじゃないかって」


 そうなると、あのフロアで莫大な熱を蓄えている存在は太陽しかなかったわけか。竜秋は心から脱帽し、命の恩人に対してもう一度ハグで最大の敬意を表そうとしたが、悲鳴と共に飛び退られてしまった。


「じゃあ、あのサムライは《将》の生み出した身代わりか」


「たぶんね。本体が動きもせず無防備に姿を晒し続けるっていう、かなり腹くくった『理』の副産物だと思えば頷けるわ」


「どおりで有り得ねえ強さだったわけだ……」


「おーい! たっつん! 恋ちゃーん!」


 なんだか懐かしい声に、同時にパッと振り返る。満面の笑顔で爽司が駆け寄ってくるところだった。その背後に、霜焼けで鼻先を赤くした誠もはにかんで続く。全員、無事――その事実に竜秋は、無意識に脱力して息を吐く。


「よかった、生きてた!」


「あたぼーよ! げ、たっつんすげえ傷!?」


「気にすんな、もう血は止まった。お前らどこにいたんだ?」


「彷徨いながら皆を探してたんだけどなかなか見つからなくて……爽司くんと合流できてからは、洞穴を見つけて体を温めてた。爽司くんのそよ風、寒い場所では温かくなるんだ」


「便利だな」


「なっはっはー! オレ、地味に有能では!?」


『心地よい風を吹かせる』というだけの一発芸能力に、過酷な環境を多少マイルドにできるという意外な有用性が見つかったところで、話題はこの世界についてへ。


「ここ、どこだろう」


 誠が呟いた直後だった。深紅の宇宙の一点に、縦一文字の裂け目が走ったのは。


 質量を持つ巨大な門扉が開くように。重々しい音を立てて裂け目は広がり、中から白い光が溢れ出す。やがて、世界の小高い位置に、十倍サイズの巨人でも通れるほどの光のゲートが門扉を全開にした。そこへと続く透明な虹色の階段が、あたかも見えない小人の大工たちの手によって、一段一段組み上げられていく。


「あの先が――最上階。《王の階層(ブレーン・フロア)》……」


 全員に向け、その覚悟を問うべく呟いた竜秋の横で、誠が生唾を飲む。


「ねえねえ! ここ、寒くも暑くもないじゃん!? ウラヌスも動くぜ!? ここならゆっくり救助待てそうじゃね!?」


「いや」――竜秋より早く、突き上げるような大地震が爽司を否定した。


「ひぃっ!?」


「この世界はたぶん、攻略されて崩壊寸前の《心の階層》だ。もう長くはもたない」


「くぅー……やっぱこうなるか……!」


 頭を抱えつつも、もう爽司はそれ以上泣き言を言わない。彼も随分、この冒険で肝が据わった。


「誠、身体はどうだ」


「うん、大丈夫。むしろ――早く行きたい」


 ゲートに吸い込まれそうな危うい目つきに、竜秋はやはり、敵わないと思った。


「じゃあさ、写真撮らねえ?」


 全員の緊張が張り詰める中、爽司が呆れるほど能天気なことを言い出した。


「……今? なに言いだすのよこんなときに」


「いいじゃん、思い出! だって、見ろよこの世界、めっちゃ綺麗じゃね? もし生きて帰れたら、クラスの皆にも自慢してぇじゃん!」


 爽司の屈託のない笑顔に、三人の、どこか強張っていた肩の力が抜けていく。こんな状況で記念写真。竜秋には逆立ちしても出ない発想だ。


「はいはい、皆こっち寄って。おい、たっつん遠いって」


 爽司の頭上にウラヌスが呼び出した仮想カメラのレンズが浮かぶ。その画角に全員を詰め込み、最後に竜秋の肩をぐっと引き寄せて爽司が叫んだ。「いきますよー! 膝は英語でぇー?」――赤い宇宙の一角で頭を寄せ合う、四人の顔がレンズに切りとられる。訳の分からないかけ声に応じたせいで、四人全員の口角が上がっていた。


人心掌握の一環として、竜秋もユーモアの理論は一通り学習した。結果、自分にはあまりに不向きなスキルだということが分かった。この状況で全員を笑わせることなんて、竜秋にはとてもできない。誠も、恋も、それぞれが竜秋にない強さを持っている。無能力者とならなければ、彼らの強さに気づくことは一生なかったに違いない。


「……なぁ」


 二度目の大地震が世界を揺らした後、階段の麓へ集合した全員に向けてふと口を開く。


「《王》とは、俺一人で闘(や)らせてくれないか」


 絶句する三人を見回して、竜秋もまた戸惑っていた。


失いたくない。たかが他人のことを、初めてそう思っている自分に。


王の強さがあのサムライ以上なら。高速化する戦闘に竜秋でもついていけるか分からない。この中の誰がそこに加わったところで、戦況が改善するとは限らなかった。それぞれが竜秋にない強さを持つのと同じように、竜秋にもこの中において突出した、磨き続けてきた強さがある。それを信じてもらうことが、今提案できる唯一のチームプレーだった。


「竜秋」


 鋭く下の名を呼んだ恋に、竜秋だけでなく、誠と爽司も驚いた顔を向けた。


「あたしは後悔してないから。この塔に挑んだこと。おかげで、人生で一番……忘れられない時間を過ごせたから」


 全てを見透かし、いっそ怒っているような顔で見つめられ、竜秋は硬直する。


「なんだよたっつん、そんなこと気にしてたのか? オレはぶっちゃけめちゃくちゃ後悔する瞬間もあるけど、でも塔での冒険はマジで、チョー楽しかったぜ!」


 親指を立てた爽司の言葉が、たとえ強がりで補強されたものだとしても。十分すぎた。恐れていたのだ。自分の身勝手で巻き込んだ二人が、そのために死んでしまうことを。


「竜秋くん。僕、怒るよ」


 低い位置から竜秋を見上げ、誠は頬を膨らませた。


「今回のことは僕たち二人の共犯だろ。勝手に仲間外れにしないでよ。一緒に戦おう。足手まといになりそうなら、捨ててくれて構わないから」


 誠なら、そう言うだろうことは分かり切っていた。逆の立場なら胸ぐら掴んで怒鳴っただろう。情けない。責任から逃れ、楽になろうとしていただけだ。


「……そうだな。悪かった。全員で、攻略しよう。王がどんなやつでどんな戦法を使うか、最初に観察する時間は俺が稼ぐ。誠は《衛》のときみたく、隙を見て王にギフトをかける。俺たちが相手している間に、恋は敵の弱点を探しつつ、狙撃で誠を援護してやってくれ。爽司は、無防備になりやすい恋を守れ」


 全員の返事に背を押されるように、竜秋は階段に足をかけた。


 すぐ後ろに続いた誠が、最後にこう言った。


「さっきの作戦、一つ欠陥があるよ。竜秋くんのことは誰が援護するの?」


「あん? いいんだよ、俺は」


「しょうがないんだから。まぁ、もしものときは、僕が守ってあげるからね――」





 腕に抱いた、暗い瞳の物言わぬ少女を呆然と見下ろし、竜秋は、彼女の最後の言葉を思い出していた。


 彼女だけではない。向こうの壁際には頭から血を流し転がる少年。あっちには桃色の髪を花弁のように広げ、血だまりに浸る少女。もう、誰も、竜秋に笑いかけてはくれない。


 頭からの流血で顔を深紅に染めた竜秋は、虫のように這いつくばっていた。必死で酸素を求めても、焼けた気管はヒュー、ヒューと壊れた笛みたいに鳴るのみ。


《王》は、それをただ見ていた。


 人のカタチをした、ナニカであった。


 腰まで伸びた炎髪に包まれた、小さな卵型の頭。十代の少年を思わせる、僅かに幼さの残った顔立ち。ところが黒く染まった胸膜の奥の紅色の瞳は、一片の光も映さない空虚な穴のようで、子どもらしい溌溂さなどとは対極にある。衣服と呼べるものは肩から垂らした漆黒の羽衣と腰巻のみ。露出した若々しい小麦色の素肌をほとんど塗り潰す朱色の紋様が、呼吸に合わせて淡く発光する様は、美しく、神々しくも、悍ましい。


 溶岩を巨人が鎚で鍛えたような、歪で分厚い、身の丈を優に上回る弩級の巨剣を悠々と片手で水平に握り、ゆっくりと歩いてくる。


 王の体から発する、彼の輪郭が歪むほどの熱気から守るべく、竜秋はぐったりと動かない誠を抱きしめた。焼けた皮膚に、少女の肌がひどく冷たく刺さる。

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