【恩送り】巡り巡る優しい感謝の連鎖
晋子(しんこ)@思想家・哲学者
いつかの誰かのあの優しさを、あなたにお返しします
日本人は日本人を助ける。それは単なる道徳心や同情ではなく、「いつか助けられた記憶」が深く根を張っているからだ。誰に助けられたのか、具体的にはもう思い出せない。あのときの親切は名もなき誰かの手だった。けれど確かに、そのときの温もりが心の中に残っている。だから、人は知らない誰かに優しさを向けることができる。それは、あのとき返しきれなかった恩を、別の誰かに託しているようなものだ。
この文化は、日本人が長く培ってきた「恩送り」の精神によるものだろう。直接の恩返しができないとき、人は代わりに別の人を助けることで、恩を社会全体へと巡らせる。これは感謝の気持ちを社会に預けるような行為だ。そして、それが巡り巡って、また自分に返ってくる。見返りを求めているわけではない。ただ、過去に受けた無償の優しさに、どうしても何かで応えたくなるのだ。だから、人は助ける。恩を感じた記憶が、その人の中にある限り。
たとえば、災害が起きたとき、日本人が驚くほど秩序を保ち、互いに助け合う姿が世界中の注目を集める。列に並び、水を分け合い、困っている人に手を差し伸べる。そこにあるのは、合理性や利得ではなく、ただ「当たり前のようにそうしている」という自然な行動だ。それは、助けることが特別な善行ではなく、日常の延長線にあるからだと思う。そしてそれは、昔どこかで受けた優しさの記憶が、今の行動につながっている証拠でもある。
人は、優しさを受けたときに「こんな自分にも誰かが手を差し伸べてくれるのか」と驚く。そして、それを忘れずに生きる。忘れたふりをしても、心のどこかであのときの温かさは残っている。そして次に誰かが困っているのを見たとき、その記憶が心を動かすのだ。「あのとき、自分も助けられた。だから今、助ける番だ」と。
現代の日本では、このような恩の連鎖が少しずつ見えにくくなってきている。都市化が進み、隣人の顔も知らないまま暮らす人も多い。効率や成果を求める社会では、「助け合い」はコストだと考えられてしまうこともある。だが、それでも日本人の中にはこの文化が残っている。電車でお年寄りに席を譲る子どもや、落とした財布を交番に届ける人々。ニュースにならないところで、数えきれないほどの小さな善意が日々繰り返されている。
その根底には、「人は人によって生かされている」という深い理解があるのだと思う。そしてその理解が、日本人特有の美徳を育ててきた。それは、理屈や宗教的教義とは関係ない。「助けてもらったから、助けたい」という、極めてシンプルで、しかし強い感情のつながりである。
このつながりは、これからの日本にとっても最大の強みになるだろう。テクノロジーが進化しても、制度が整っても、人と人の心のつながりがなければ社会は冷たくなる。優しさは時に無駄に見える。しかし、その無駄こそが人を人たらしめる。そして、その無駄を惜しまない文化を持つ日本人は、世界の中でも特別な存在だ。
助けるという行為は、単に相手のためになるだけでなく、自分の中の「誰かに返したかった気持ち」を昇華させる。だから、人を助けることで、実は自分自身が癒されているのだと思う。
日本人が日本人を助ける理由。それは、昔、どこかで助けてもらった記憶が、今も心の奥に残っているからだ。そして、その記憶は、新たな優しさを生み出し、また未来へと受け継がれていく。優しさの連鎖。それこそが、日本人の誇るべき最大の力なのだ。
【恩送り】巡り巡る優しい感謝の連鎖 晋子(しんこ)@思想家・哲学者 @shinko
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