第4話 新居と卵
杏里は秀一と手を繋いだまま、目の前の建物を眺めた。
ぼーちゃんの案内で神殿のような建物から出て、体感で十分程歩いた所に杏里達の新しい住処があった。
薄い赤茶色の煉瓦でできた四角い大きな建物で、旅番組で観た覚えがある中東の家に似ている。敷地内に入れば、とても広い庭があり、果物らしきものがなっている木や鮮やかな色合いの花が植えてあった。
外は暑かったのに、家の中に入ると不思議と暑くない。まるでクーラーがかかっているような快適な温度である。豪奢な刺繍が施されている絨毯を歩いて家の奥へと向かう。なんだか高価そうなものがあちこちに飾ってある。先祖代々庶民の杏里としては気後れしてしまうような雰囲気だ。
前を歩いているぼーちゃんが振り返り、にこっと笑って口を開いた。
「まずは水竜の卵がある部屋にご案内いたしますね。それから、こちらの衣装をご用意しておりますので、お召し替えをしていただきます。お二人のだいたいの体格は弟から手紙で聞いておりますし、こちらの服はゆったりとしたものですから、問題なく着られるかと思います」
「あ、はい。ズボンに僕の下っ腹入るかな? ぽよんぽよんなんですけど」
「大丈夫だと思いますよ。合わなければ新しいものをご用意いたします」
「あ、ありがとうございます」
「こちらの部屋がお二人の寝室になります。水竜の卵は寝室に置いてあります。寝る時もご一緒にいていただくことになりますので、寝室に卵用のベッドを置いてあります。他に居間にも卵用のベッドがございます。では、ご対面といきましょう」
「ちょっと緊張するね。杏里ちゃん」
「そうね。なんか豪邸っぽい雰囲気で、既にドッキドキしてるわ」
「ねー。廊下にあった壺? とか、うっかり割ったらヤバそう」
「私達の子どもがやんちゃ過ぎないことを祈らないとね」
ぼーちゃんが寝室のドアを開けてくれたので、秀一と一緒に中に入る。広い室内は大きな木窓が開けられていて、外からの光でとても明るかった。繊細な刺繍が施された大きな絨毯が敷いてあり、なんとベッドは天蓋付きの大きなものだった。
大きなベッドのすぐ側に小さめのテーブルがあり、そこには大きめの木の籠があった。近づいて籠の中を見てみれば、柔らかそうな布が敷き詰められていて、その上にバレーボールくらいの大きさの薄い水色をしたまん丸の卵があった。
「思ってたより大きいね」
「うん。あの、ぼーちゃん。早速抱っこしてみてもいいですか?」
「勿論! 是非とも抱っこして差し上げてください」
「じゃあ、失礼して……よっと。あ、見た目よりなんか重いわ。スイカのめちゃくちゃデカいの持ってる気分。えーと、はじめまして? お母さんよ」
「えー。僕も抱っこしたい」
「はい。落とさないように慎重にね」
「うん。よいしょっと。うわ。ほんとに重いねー。一日中抱っこは厳しいかも。腰にきそう。でも、なんだかほっとする温かさだね。はじめましてー。お父さんだよー」
「それ、私も思ったわ。命の温かさなんでしょうね」
「とりあえずベッドに戻すね」
「そーっとね。そーっと」
「うん。……ははっ。なんか緊張した」
「もし落としたら! って思うと緊張するわよねー」
「ねー」
「水竜の卵はかなり頑丈ですから、落としたくらいでは割れませんよ。ご安心ください。卵用の抱っこ紐はご用意してあるのですが、腰痛予防に腰につける太いベルトもご用意できます」
「あ、欲しいです。杏里ちゃんもあった方がいいよね」
「えぇ。何がなくても腰が痛くなる時があるもの。コルセットみたいなものがあれば助かるわ」
「では、急ぎでご用意させていただきます。そういえば、水竜のお名前はもう決められているのですか? 卵の時から名前を呼んで話しかけていただきたいのですが……」
「あ、もう決まってます。ねっ。杏里ちゃん」
「『リン』っていう名前にしようかと。えーと、日本の言葉だと『凛々しい』という意味合いがある『凛』。『リン』なら、こちらの人でも呼びやすいかなって思いまして」
「それに男の子でも女の子でも大丈夫かなーって。こちらの言葉で『リン』って、なんか悪い意味とかあったりします?」
「いえ。逆にとてもいい意味合いを持っています。『リーン』は、古い言葉で神の祝福を意味するのです。本当にとても素晴らしいお名前です」
「あ、よかったー。『凛』が駄目なら、他の候補の中からまた紙飛行機飛ばさなきゃいけなかったところだったし」
「かみひこうき?」
「えーと……杏里ちゃん、説明よろしく!」
「えっ!? えー。えーと、こう……四角い紙を折って、宙を飛ばせるものなんですけど……うぅ……言葉じゃ上手く伝えられないわよ。明日! 明日、実際にお見せします! すぐにできるものなので!」
「はい。ありがとうございます。その『かみひこうき』とやらは、名付けに使うものなのですか?」
「いやー? いっぱい名前の候補ができちゃって中々決められなかったので、名前を書いた紙飛行機を飛ばして、一番飛距離が長いものにしたんですよねー」
「なるほど? 明日、『かみひこうき』を拝見させていただくのを楽しみにしておりますね。それでは、そろそろお召し替えをしていただきます。室内は魔法がかかっており、快適な温度になっている筈ですが、今のお召し物では少々暑いでしょうから。アンリ様のお召し替えは、家政婦が手伝います。先に家政婦をご紹介いたしますね」
「あ、はい」
「ありがとうございます」
ぼーちゃんが手首に着けていたブレスレットに向かってぼそぼそっと呟くと、すぐに寝室のドアがノックされ、恰幅のいい老婦人が入ってきた。白髪をきっちりとひっつめてお団子にしており、顔立ちは皺が多いが、若い頃は間違いなく美人だったろうなと思うくらい整っている。
老婦人が左の胸に右手を当てて、穏やかに微笑んで口を開いた。
「はじめまして。旦那様。奥様。家政婦のナーニャリディール・ダサハナラカーンと申します。お気軽に『ナー』とお呼びくださいませ。どうぞよろしくお願いいたします」
「ナーニャリディールは私達兄弟の乳母だったのです。とても信頼できますし、家事も完璧にこなしますから、どうぞよろしくお願いいたします」
「ご丁寧にありがとうございます。井上秀一と申します。これからお世話になります」
「妻の杏里と申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「では、早速ですがお召し替えをお願いいたします。シュウイチ様はこちらで、アンリ様は隣室にてお召し替えください。シュウイチ様のお召し替えは私がお手伝いさせていただきます」
「よろしくお願いしますー。杏里ちゃん、後でね」
「うん。ナーさん。服の着方を教えてもらってもいいですか?」
「かしこまりました。こちらへどうぞ。奥様」
『奥様』と呼ばれると尻のあたりがむずむずするのだが、慣れた方がいいのだろうか。名前で呼んでもらった方が精神衛生上よさそうな気がする。
ナーさんの案内で隣の部屋に入ると、色とりどりの服が沢山あった。どこぞのガチセレブのクローゼットルームみたいな感じである。
「奥様は何色がお好きでしょうか?」
「あ、えっと、青とか緑が好きです……あー……あの! 『奥様』と呼ばれるのは落ち着かないので、できたら名前で呼んでいただけると嬉しいです!」
「まぁ。水竜様のご両親をお名前で呼ばせていただくのは、その……大変畏れ多いのですが……いえ! 家政婦たるもの、奥様のご希望にはお応えしてみせます! それでは『アンリ様』とお呼びさせていただきます。お名前をお呼びするだけで畏れ多いので、『様』をつけることだけはお許しいただきたく存じます」
「あ、はい。えーと、あの……こちらのことについて教えていただきたくことがとても多いかと思いますので、そのー、できたら! 仲良くなりたいです!」
「まぁ! ありがとうございます。アンリ様はお優しいのですね」
「え? そうでもないですよ?」
「家政婦にそのような言葉をかけてくださる時点でとてもお優しいのです。本来、家政婦は空気のようなものですから」
「えーと、こちらではそんな感じなんですか?」
「はい。さっ。アンリ様。こちらのお衣装は如何でしょうか。深みのある青色がとてもお似合いかと存じます」
「あ、はい。好きな色合いです。それにしてもすごい刺繍……こんな豪奢な服を着ちゃうんですか? ほんとに?」
「はい。見た目よりもずっと涼しいものなのですよ」
「わ、分かりました! 着方を教えてください」
「かしこまりました」
ナーさんがニコニコ笑って、手に取った深い青色の服を着るのを手伝ってくれた。
実際に着て、大きな姿見を見てみれば、中東の民族衣装に似ているデザインだった。男性の服が似ていたし、ナーさんも質素な感じだが似たような格好をしているので、こちらの一般的な服なのだろう。ものは豪華仕様だが。
外に出る時は日除けのために薄いストールを頭の上に被るらしい。
杏里はするするの柔らかい肌触りの服を撫でて、これは絶対に汚せないし破けないな……と、ちょっと遠い目をした。
中年夫婦の異世界育児〜ドラゴンってどうやって育てるの!?〜 丸井まー @mar2424moemoe
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