第3話 「もうひとりの赤ん坊、闇に笑う」

王都の夜。


俺はベビーベッドの上で夢と現実を行き来しながら、父王が持ち帰った報告を反芻していた。


(どうやら、他にも動いている勇者候補がいる……いや、きっともっといるはずだ。俺は王家の長男……負けられない!)


◇◇◇


その頃、辺境伯家の館では格闘家レオンが、乳母車を押す兵士に抗議していた。


「おい、スピード遅いぞ!もっと揺らせ!俺の筋肉が鈍るだろ!」


「しかし勇者候補さま、乳児でございますので……。」


「乳児だろうが関係ねぇ!もっと外に出ろ!モンスターの匂いがする!」


窓の外、夜の草原に黒い影が走る。レオンの拳がむずむずとうずいた。


(この体でも戦える……はずだ。俺の相手になるやつを連れてこい!)


◇◇◇


一方、東の島国では姫に転生した青年が、薄絹の掛布団にくるまりながらも眼を爛々とさせていた。


「姫様……夜更かしはお肌に悪いですわよ?」


「(お肌とかどうでもいいんだよ……俺は戦う準備を……!)」


ふと窓辺に立つと、海から吹く風が心地よい。


遠くの波間に、小さな光が揺らめいているように見えた。


(あれは……?いや、気のせいか?いやな予感がする……。)


◇◇◇


そして辺境の農村。


昼間、村を騒がせた剣を振り回す赤子は、今も木の枝にぶら下がりながら笑っていた。


「おぎゃあ! おぎゃあ!」


村の青年たちは棒を持ち、警戒しながらもその子を見守っている。


「何か……怖いんだが、放っとけないな……。」


「勇者さまって、あんな感じなんだろうか……。」


赤子はくるりと枝を飛び移り、夜空を仰ぐ。


小さな瞳に星が映り込んだ。


(女神さま……俺、ちゃんとやってる?負けないよ……!)


◇◇◇


――そして、そのどこからも遠く離れた、廃墟と化した古い神殿の地下。


「……ここは……?」


湿った石の匂い、天井から滴る水音。


そこに小さな赤子が横たわっていた。


だがその目には、すでに年端もいかぬ闇が宿っている。


(はは……あの女神さま、俺を選んだのは、きっと……間違ってるよなぁ?)


その赤子――名をまだ持たぬ少年の耳に、ひそやかな声が響く。


『お前は、選ばれなかったのだ。あの光の女神たちには見向きもされず、ここへ落ちてきた。』


「……誰?」


『私は闇の女神。名などない。ただ……お前の願いを叶えてあげよう。』


「願い……?」


『あの光の勇者たちを、壊したくはないか?王子も、格闘家も、姫も、村の子も、皆……お前を見下すだろう。』


「……あは……そうだな……見下すよなぁ……。」


少年は微笑む。赤ん坊のくせに、底冷えするような笑みだった。


『その笑み……いいわ。私の力をあげる。魔王の側に立ちなさい。そうすれば、世界はお前のもの。』


「……世界……俺のもの……いいね、それ。」


その瞬間、少年の掌に黒い紋章が浮かび、神殿の奥から闇の瘴気が渦を巻くように吹き出した。


「う、わぁぁぁっ!!!」


神殿の外では、夜空を飛ぶカラスたちが一斉に羽ばたき、遠い村々で人々が悪寒に震えた。


◇◇◇


その気配を、王都の俺も、眠りの中で感じていた。


(……なんだ? 今の……冷たい……いやな予感がする……)


東の姫もまた、胸元を押さえて寝台で目を見開いた。


(……この胸騒ぎ……あいつ、か?)


格闘家レオンは夜空を見上げ、にやりと笑う。


「いいじゃねえか……強えのが、もうひとり増えたみたいだな……!」


村の赤子は枝の上で、ただただ泣き声をあげていた。


けれどその涙には、戦士のような決意が宿っていた。


◇◇◇


――こうして、五人目の赤ん坊が世界にその存在を刻んだ。


光と闇、勇者と魔王。


その境界線は、まだ誰にも見えない。


第1次魔王争奪戦は、さらに混沌を増し、静かに、しかし確実に、始まっていったのであった。


――つづく。

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