round5.不読空気
あれ以来、詩織の更新ペースは順調だった。
肩の力が抜けた文章が書けているという実感もあった。
コメントも好意的なものが多くなった。
『次の話が待ち遠しいです!』
『ヒロインの感情が生き生きとしていて入り込んでしまった』
──以前の彼女の作風では、あまり見かけなかったタイプの感想が、少しずつ届くようになっていた。
「案ずるより産むが易し、ってやつなのかな。……まあ、それが一番苦手だから、煮詰まっちゃうんだけどね」
つぶやきながら、詩織はコメント返信を続ける。
『素敵なお話でした』に対して『読んでくださって嬉しいです』と打っては消し、『ありがとうございました』と書いてはまた打ち直す。
三度目のやり直しで、ようやく
『あなたの感想が、物語に灯りをともしてくれました』
と確定キーを押した。
──どんな言葉を選んでも、たどり着くのは自分の心だ。
なら、不格好でもいい。いまは借り物でない、自分の言葉で書けている気がする。
そう思いながら、ふと目に留まった新着通知に、指が止まった。
フィラデルキリさん?
詩織はマグカップを両手で包み込みながら、スクロールしていたモニター画面の指を止めた。
そこには、新着のコメントが一件。
『台詞に頼らない描写のバランスが素晴らしかったです。ヒロインの沈黙から溢れる感情が、読者の内側をじんわり揺らす。波間に漂うような余韻に、いつまでも浸っていたい。個人的に今回の話、大好きです』
いつもの簡潔なコメントのやり取りとは違う。
やけに具体的で、読解の深さが滲んでいた。
「……文体も、妙に整ってるし……」
詩織は思わず緩みかけた表情を、真顔に戻す。
「……なんでだろ。丁寧な感想のはずなのに、なんか煽られてるような……。そもそも大好きの使いどころ、そこでいいのかアンタは……」
眉を寄せながら呟いたあと、海人の顔が脳裏に浮かんだ。
あの、よく通る声と、無防備に笑う目元。
「……気のせい? あの能天気な顔が浮かんじゃったからかな……」
マグカップの中で揺れた紅茶は、もうすっかり冷めていた。
* * *
風呂上がり、海人はスマホを見つめて、ほんの少しだけ眉をひそめた。
「……あれ?」
昨夜、詩織の新作にコメントを残した。読み終えたとき、胸がじんわりと暖まるような余韻があって、なにか言葉にして伝えたくなった。
踊るように自由な絵筆が描いたかのような、幻想的な描写で語る繊細な回だった。
こちらもそれに呼応するように──いつもより心をこめた丁寧な文体で、慎重に言葉を選んだつもりだった。
なのに。
返信欄に並んだ詩織の言葉は、そっけなかった。
『ご感想、誠にありがとうございます。』
ただそれだけ。
句点が重い。絵文字もない。まるで荒らしに対応するかのような塩対応だ。
「もしかして……なんか気に障るようなこと、した……?」
海人はタオルを首にかけたまま、スマホの画面を開いた。
SINEのトーク一覧の中に、「
迷った末に、短く打ち込んだ。
kaito:なんか気を悪くさせるようなこと言っちゃったかな……?
送信してすぐに、後悔が押し寄せる。
やっぱり気にしすぎだったかもしれない。
そもそもあの返しは、単に忙しかっただけかもしれないし──
……既読。
詩織からの返信は、思ったよりすぐに返ってきた。
shiori:フィラデルキリ3世なんてふざけた名前の輩と親しげに交流できるわけないでしょ
kaito:えっ?
shiori:そもそも漢字じゃない名前の時点で、アンタめっちゃ浮いてるからね
kaito:中学生から愛用してるのに…
shiori:バリバリ音のする財布いまだに使ってるようなものよ
kaito:うっ。ごめんなさい……
shiori:まあ、わたしは嫌いじゃないけどね、その名前
kaito:どっちだよ
スマホを持つ指に、じわっと汗が滲む。
冗談なのか、怒ってるのか、わからない。いや、多分──
shiori:アウェイに来るならそれなりに体裁を繕いなさいってこと
kaito:じゃあ名前変えます『乳酪三世』で
shiori:三世を失ったら死ぬ呪いにでもかかってるの?
kaito:なんか今日、言葉強いんですが…
shiori:まあそれは置いといて。良い感想だったと思うよ
kaito:それならよかった。いままで見えてなかった表現に気付けて感謝してます
shiori:遅くなっちゃったね。……でも、ありがと。おやすみ
kaito:おやすみ。またね
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