キーワード怪談

くろかわ

第1話「格闘ゲーム」+「はちみつ」

 対戦相手が不用意に飛んだのを視認し、左手でレバーを倒しながら右手でボタンを叩く。ほとんど反射だ。幾度も繰り返し手が憶えた動き。画面の中のキャラクターが屈み、相手の中段を回避しつつカウンターが綺麗に入る。

 頭を掠めるような高めの中段は迂闊だったな。

 一瞬の隙を突いてコンボへと繋いでいく。自キャラが拳を振り抜く前から先行入力してあったキックとコマンド技が対戦相手の顔面へと突き刺さる。一度ヒット確認をしてしまえば、あとは何度も繰り返し反復練習を重ねたコンボが手元で踊る。同時に敵が舞い上がり、一瞬で画面端まで吹き飛ばされる。


 座学は裏切らない。これは座右の銘だ。


 ほとんど処理に近い形で一方的に試合をもぎ取り、画面で主張する『YOU WIN』を眺める。

 ほぼ時間差無く、タイマーが鳴る。示す時間は画面を見なくても判る。二十二時。今日はここまでだ。


 ゲームのタイトルに戻りそのままオープニングを流す。さして広くもない部屋に、熱狂を促す音楽と、キャラクター同士の吠えたけるような掛け合いが染み込む。

 この時間がたまらなく好きだ。

 大学の課題を鞄から取り出しても、画面は点けっぱなしにしておく。昔からの癖は中々抜けないし、抜く気も無い。

 誰かに見せているわけでもないし、特定の誰かと競い合っているわけでもない。

 それでも、格ゲーに没頭できる時間は特別だ。


「さて」

 誰に聞かせるでもなく声を出す。頭をスイッチしないと、いつまでもゲームのことばかり考えてしまう。

 まぁ、好きなのだ。単に。

 勝つのも好きだがそれ以上に、対戦相手がいて、同じゲームを同じ時間にやって、空間を超越して誰かと繋がって、そして運命的に戦うことが。

「……ココアでも入れるか」

 実家から際限なく送られてくるココア、紅茶の類を少しでも消費しておこう。この時間に濃いめのカフェインは嫌だな、という思考よりも先に言葉が出る。なるほど、自分のコントロールを握っているやつは、自分同様先行入力で走りがちなんだな。


 無限にある(実際は無限ではないが、男一人で消費しきれない以上無限に等しい)ノンシュガーのココアパウダーを棚から抜き取り、先に温めておいた牛乳で少しずつ溶かしていく。だいたいコップいっぱいになったら止めて、最後に蜂蜜を一匙。

「ねーちゃんは二杯だったな……」

 こういう「少し手間はかかるがなんとなく飲みたくなるもの」を作らされるのは、全国津々浦々で弟と相場が決まっている。流石にクッキーまで開こうとは思わない。独りというのはこういう時に調整が利く。


 くるくると牛乳をかき混ぜていると、催眠術にかかったみたいにゲーム画面が脳裏に浮かぶ。そういえば、投げキャラの新スキンがクマだったな。

 流石に安直だとは思うが、そこに金を払わない客が口出しすることじゃない。


 ココアと蜂蜜がすっかり溶け切ったところで、カカオの香りを思い切り吸い込む。

 ……うーん、どうしてこう、高そうなもんを買ってきては送りつけるかな。親心、子知らずというやつかもしれない。


 部屋に戻ると、当然だがゲームのPVが流れている。いつのまにか、新スキン版が流れるようになったらしい。こういうしょうもない(この言い方は失礼かもしれないが、しょうもないだろう)アップデートはやるのかと呆れや疑問が浮かんで消える。

 画面ではクマが既存キャラを掴んでは投げ、掴んでは投げ……。

「……んー?」

 こんなモーション、あったか?


 まぁ、確かに投げキャラではあった。必然的に相手を掴むことが多い。

 なんならゲージ技すらコマ投げだ。掴むのは当たり前だ。

 だが。

 そこから、がぶりと頭を齧るのは、なにか違うだろう。


 画面内の女キャラクターから悲鳴が上がる。負けた時や、被弾のボイスではない。聞いたことのない、金切り声だ。

 自分は眼の前で何が起きているのか理解できず、完全に固まってしまった。硬直の意味を身体で理解してしまう。着地のあとの数フレームなんてもんじゃない。クマが女を齧ってその首をもぐまでのたっぷり数秒、体と思考が固まってしまった。これが試合中なら完全に死んでいるだろう。


 いや待て、この女キャラは死んだのか?


 落ち着け。格ゲーでキャラが死ぬことはまず無い。そういうジャンルもある。が、このゲームはノックダウンで止まる。


 じゃあ、今のはなんだよ。


 恐る恐る、コントローラーに指をかける。手汗が酷い。有名配信者と対戦しているときよりも遥かに強い緊張を感じる。ぬめる指先でホームボタンを押し込む。

 すると。

 いつも通り。

 ゲームのタイトルに戻った。


 今日は、画面と睨み合いを続けるのが少し長かった。だから疲れているのだろう。そう結論付けて、左手にあるココアの存在を思い出す。

 緊張の吐息を吐いて、少し冷めたココアを喉に流し込む。

 甘い。そりゃそうだ。

 視線は画面。

 いつも通り。そりゃそうだ。

 クマスキンが実装されたからって、CEROの変わるような描写を入れる筈がない。


 ため息。

 馬鹿らしい。

 疲れているだけだ。


 だが、つい、癖で、いつも通り、毎日繰り返している反復練習の最初の一歩としてスタートボタンを押してしまう。

 あぁやっちまった。まぁすぐ消せば良いか。タイマーはもう鳴ったんだし。

 思考とは裏腹、フリーマッチを決定してしまった。

 らしくない。まぁでも、一回だけなら良いか。そう考えたのも束の間。


 画面から、知らない声が鳴り響く。

 声、というにはおぞましい。咆哮と表現すべき音が耳朶を打つ。


 キャラクターセレクト画面は血塗れで、どいつもこいつも齧られて、半円状に顔が削れていたり、そもそも首から上が無かったり、地獄のような様相で。

 たった一匹、無傷のクマが口元から鮮やかな赤を滴らせていて。


 すぐさま、ゲームのスイッチを切った。


 目を瞑って息を整える。心臓がランクマ中よりはるかにうるさい。

 流石に格闘の達人でもクマには勝てないかとか、にしたって一方的だろとか、試合の外で殺したらそれはもうゲームじゃないだろとか、どうでもいい思考がうるさい。


 それ以上に、呼吸がうるさい。

 自分の息は、か細く鳴ってまるで悲鳴みたいなのに。

 後ろから聞こえる荒い息遣いがこの上なく、うるさい。


 目を開けば、真っ暗なモニタ。そこに反射している真っ青な顔の大学生と、それを後ろから覗き見るクマ。


 いや待て、オレはこのまま死ぬのか?


 応えるように、クマが低く唸った。

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