第16話
あの夜、すべてが終わった。
あの人は──助からなかった
血に沈んだまま、朝が来るころにはもう──完全に、動かなくなっていた。
警察が駆けつけ、わたしは保護された。
周囲の証言、状況証拠、そしてわたしの状態から──それは正当防衛と判断された。
でも、あの薬は、もう残っていなかった。
だから、わたしの体は元には戻らない。
何も感じないまま、わたしは療養のための施設に移された。
そこは山の中の小さなリハビリセンターで、静かで、きれいで、どこか夢の中のような場所だった。
触れても、冷たくも、熱くもない。
太陽の光すら、ただの色にしか思えなかった。
けれど──
ある日、わたしの担当になった一人の女性がいた。
短く切られた髪と、落ち着いた声。
そして、右腕が義手だった。
それは無機質な金属義手ではなく、どこか彫刻のようで、異様なほど滑らかで、指先には繊細な膨らみがあった──まるで、誰かの記憶をなぞるような形だった。しなやかで、硬くて、でもとても丁寧に扱ってくれる手。
はじめてその手がわたしの肩に触れたとき、わたしはふっと息を飲んだ。
「……あ……」
声にならない驚きが、喉の奥から漏れた。
ほんのわずか、かすかで、それでも確かな──ふれる感覚が、あった。
「先生の手……何か、感じるような気がするんです」
わたしは、思わず、そう言っていた。
甘えるように、すがるように、その手に指先を伸ばしながら。
女性は、まるで当然のことのように、やわらかく笑った。
「……不思議ね。義手なのに……そんなふうに言ってもらえるなんて、はじめて」
その笑顔はあたたかくて、どこか、懐かしかった。
しばらくして──
「ねぇ、名前、聞いてもいい?」
その言葉に、わたしは首を振った。
頭の中が霞んでいて、どうしても、思い出せなかった。
「……わかりません……ごめんなさい……」
そう言うと、女性はしばらく考えるように視線を落とし、やがて穏やかに微笑んだ。
「じゃあ、私がつけてあげようか」
「……え?」
「みずほって、どう? あなたに、似合う気がするの」
みずほ。
その名前の響きに、なぜか胸が少しだけあたたかくなった。
わたしは、そっとうなずいた。
「……はい、先生」
その瞬間、女性の目がわずかに見開かれた。
けれどすぐに、優しい笑顔で返してくれた。
「ふふ、こちらこそ。よろしくね、みずほちゃん──おかえりなさい」
わたしは──初めて、何かを取り戻せた気がした。
そして、先生もまた、笑っていた。
ここにいた みずほ 味噌煮込みポン酢 @koukakurui11
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