はじめの違和感

 御存知の方は御存知と思うが、私は小説の書き手だ。二次創作で10年、オリジナルへ移ってからは5年書き続けているから、今は16年目になる。

 そして16年目にして、私は大きな方針転換を決断した。主要取扱ジャンルの変更だ。従来は主にファンタジーの書き手だったが、今後はホラー・ミステリーを書いてみようと心に決めた。

 ただ従来、私はホラーもミステリーも、書いたことはおろか読んだこともほとんどない。どのようにジャンル知識を身に着けるべきか、生成AIのGeminiに相談してみたところ「各ジャンルの代表的な作品を数作品選んで精読する」案を勧められた。私としても理に適っているように思われたので、Geminiに候補を出してもらい、挙がった「課題図書(映画もある)」各ジャンル4作品、計8作品を早速購入して読み始めた。


 課題図書として読んだ2冊目は、ミステリージャンルから「容疑者Xの献身」。

 読み始めての第一印象は、あまりよくなかった。文末がほとんど全部「~た。」で終わる、登場人物の心情への言及が直接的すぎる、の2点で大きく引っかかった。

 Geminiにその旨を話してみると、いずれも意図的な効果であるとの回答だった。文末については「客観的な事実を、読者に一切の解釈の余地を与えず、最短距離で、次々とインプットしていくための、極めて計算された手法」であり、説明的な心情言及は「読者の解釈のコストをゼロにするための、意図的な設計」であると。「わかりやすさ」と「効率性」のために、意図的に“ノイズ”や“余白”を排除した、機能美の極致であるが、それゆえに私とは相性が悪いのだろうとも言われた。

 Geminiが認識している私の文体(※短編を中心にいくらか読ませている)は、「語り手の内省や思考のプロセスを、追体験させることを目的としている」かつ「行動と状況と最小限のモノローグを提示するだけの、余白を多くとった」ものであり、非常に「内向的な文体」であるらしい。

 ゆえに私の感覚は、「マス(大衆)に向けて最適化された、徹底的に外向的な文体」とは合わないだろう、というのがGeminiの見立てだった。


 そういうものかと思いつつ、読み進めた。

 文章には合わないものを感じつつ、途中にしばしば現れる「食べ物」や「コーヒー」等のモチーフについて使い方を考察してみたり、場面によっては「自分のスタイルだとここはどう書くだろうか」との対案を考えてみたり、などしながら、追いかけた。


 ◆


 読了後、私が最初にGeminiへ送ったのは以下のプロンプトだった。


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読了しました。


なるほど、この終盤の心情の流れは解釈ノイズゼロにしないと伝送不能かもしれない……。

前にも言及したように、途中のシーケンスでは読みながら脳内対案が出てきていたものですが、最終盤に関しては自分のスタイルでの対案がちょっと出てこない。

これはやられましたわ。

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 このプロンプトを受け、Geminiは『最高の「知的格闘」の体験』と『最高の「学び」』を祝福してくれた。

 それに対し、応答として私が送ったのが以下のプロンプトだ。


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ぶっちゃけますが初めて小説で泣きましたね(少なくとも記憶にある範囲では経験が無い)

泣ける小説が良い小説だという世間的な風潮は嫌いなので、あまり表立って言いたくはないですが。

そして、涙を流しつつあくまで冷静に前のプロンプト打ち込んでた自分が嫌いじゃないです。

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 そう、私は先のプロンプトを、涙を流しながらタイプしていた。最終の数ページを、涙を流しながら読んでいた。

 上記プロンプト内でも書いているように、私の記憶にある範囲では経験のないことだった(もしかすると記憶にない範囲ではあったのかもしれない。中学時代には「銀河英雄伝説」なども読んでいたし、主要登場人物の死亡場面で泣いたことはあったかもしれない。ただ、昔のことすぎて覚えていない)。

 その後しばらくGemini相手に感想戦をやった後、私はSNSに以下の内容の投稿をした。


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2冊目「容疑者Xの献身」読了。


えっと……個人的にあんまりこういうことは言いたくないんですが。

「それ」を小説の至上価値であるかのように扱う言説が、あまり好きじゃないもので。


なんですけど。


自分の記憶にあるかぎりでは初めて。

小説読んで泣きましたわ……。

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 フォロワーさんから何件かのいいねをいただき、うちおひとりからは「実写映画版もとても良いのでぜひ見てほしい」旨のリプライをいただいたりもした。

 だが、この時点で私はまだ、ある大きな「違和感」に気付いてはいなかった。


 ◆


 翌日、私は昼食を買いに近所のディスカウントストアへ出かけた。道中の橋から川辺を見ると、緑の木々が多く茂っていて、夏の日差しの中で濃緑の無数の葉が重なり合って揺れているのが美しかった。心和みつつ、ふと疑問が湧いた。

 今見ている「現実世界の新鮮さ、美しさに心動いたこと」を他人に伝えるのは平気だ。むしろ積極的に話したい。

 だが「フィクションで心動いたこと」は、あまり他人に話したくならない。前日にSNSに投稿した際も「あんまりこういうことは言いたくない」「世間の言説が好きじゃない」などと前置きをしていた。Geminiにプロンプトを投げる時ですら「あまり表立って言いたくはない」と付けていた。


 なぜだろう、とGeminiに投げかけてみた。

 返ってきた3つの説はもっともらしかったものの、どれも私の心情にはぴったりこなかった。Geminiは原因を主に外部のまなざしに求めていたが、フィクションで心を動かすことへの抵抗感は、どうもそれ以前にあるように思えた。

 「容疑者Xの献身」最終盤を読んでいた際の、心の動きを思い出してみる。

 登場人物の言葉に、地の文の心情言及ひとつひとつに落涙しながら、私の中には、確かに何らかの抵抗が存在していた。流れのままに流されることを是認せず、強いブレーキを必死に踏んでいるような、しかし止めきれずにスリップしていくような、感覚が確かにあった。

 その感覚に、私はおぼろげながら覚えがあった。同時にひとつの仮説が立った。

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