第9話 確かな手応え

「よし……火、入れるぞ」


 ブリュンヒルデが持ってきた業務用ガス台。

 つまみを倒す。

 カチッと小気味の良い音が響いた。

 青白い炎が、ぽんと音を立てて灯る。これがまた火力がえげつない。

 まるで魔法というべきか、未知のエネルギーというべきか。

 相変わらずガスの出所は謎だった。


 細かいことは一旦忘れ、鉄鍋を置くと、じわりと金属が熱を帯びてくるのがわかる。


 油を流し込み、熱し、ネギと生姜を放り込むと──ジュワッ! という快音が厨房に弾けた。


「わっ、なんかすごい音ですぅ!」


 隣で、クララがびくりと肩を跳ねさせる。


 今日の助手はこの元気印のバルキュリア。最年少。マスコット担当。


 ──だったのだが。


「ダイゴさん、わたしも炒飯やってみたいですっ!」


 言い切った時の目の輝きときたらなかった。


 そのまま目からキラキラビームが飛び出してきそうなレベル。

 何事も挑戦する気持ちは大事だ。大事だけど──


「よし。まずは俺が手本見せるな」

「いえ、やらせてくださいです!」

「中華鍋、意外と重いぞ」

「平気です!」

「火、強いぞ」

「気合です!」

「鍋、振るたびに筋肉痛だぞ」

「戦乙女ですぅ!」

「さいですか……」


 ──というわけで、クララによる初の“中華鍋デビュー”が、たった今確定した。


「おぉっ……ととっ!」


 まず鍋を持った瞬間に、クララが小さく体勢を崩す。


 腕に力が入ってる。両手で柄を握って、身体ごと持ち上げている。


「本当に……大丈夫か?」

「いけますっ……私もできますからっ……!」


 そのままなんとか油を入れ──入れすぎて鍋の縁まできて──


「うわああ! 火がぁ!」


 ボッ!と炎が舞い上がる。


「鍋、あおらなくていいから! まず落ち着け! 火消すなよ火は!」

「ひゃあああああああ!」


 ちがう。そうじゃない。

 なぜか火を消そうとする。

 なんやかんやで最終的に、クララの作った炒飯は、「全体的に茶色くて、油ビッシャビシャの米」になっていた。


「……これ、炒飯ですか?」

「ちがうな。たぶん、良く言えば米のアヒージョだな」

「何かわからないけどごめんなさいですぅ……」


 クララが、しょんぼりと玉杓子を両手で抱えてしゅんとなる。

 俺は、コンロに置かれた黒焦げの鍋と、やる気だけは人一倍だった彼女を交互に見て──


「……ま、最初はこんなもんだ。俺だって初めてのときは鍋投げたしな」

「ほんとですか?」

「嘘だ」

「ええええ!?」

「でもな、クララ。料理は力だけじゃ無理だ。中華鍋は重いし、火も強いし……まだ練習が必要だ」

「……わたし、やっぱり……向いてないのかな……」


 ぽそっと言ったその声に、背後で何かが止まる気配がした。

 振り返ると、黒髪の豚丸焼き職人──ノラが、手元から目を離さずにこちらを一瞥した気がした。


 だが何も言わない。今は寡黙に野菜を切り続けている。

 ……たぶん、さっきからクララのフォローもしてくれてた。焦げかけた鍋をすっと引いたり、こっそり火加減を戻したり。

 口では言わないが、行動で伝えてくるタイプ。いるよな、そういう先輩。


「なあ、クララ」

「はい……」

「今度は、もうちょっと違うの作ってみよう」

「……わかりましたっ! がんばりますぅ!」


 その顔は、なんかこう、“いい笑顔”だった。


 ──なにせ背景にキラキラが出たからな。


「小さいことから始めるのも、大切なことだ。今日のところはノラと一緒に食材を頼む」

「はいっ!」


「ふぅ、やれやれ」と心の中で一息つく。

 あとは、俺が全体の仕上げを担当し、地獄祭りの準備を整える。

 今宵、“いつもの宴”に、“いつもじゃない飯”が並ぶことになるのだが──

 緊張はない。むしろ自信の方が上回っている。


 クララは指示通り野菜を切るノラのもとにスタスタと走っていく。

 そしてなぜかブリュンヒルデも包丁を握っていた。ガッチリと鎧を着込んだまま。

 個人の自由が叫ばれる昨今。何ハラスメントになるかわからない。突っ込むのはやめておこう。

 ──しかし。手元が危なっかしい。


「お前、料理苦手ってソフィアが言ってなかったか?」

「そうなんだけどー。でも、新しいこと始まるのに、ただ見てるだけじゃつまんなくね?」


 なるほど。踊らにゃ損損ってタイプか。いかにも彼女らしい。

 珍しく表情に緊張が滲み、動きがぎこちない。

 それにむいてる人参の皮の厚みがヤバい。どっち使うんだってほどに。

 ──が。

 頑張ってる本人を前に落とすのは良くない。

 俺は褒めて伸ばすタイプだ。


「まぁ、言われてた割にはなかなか上手いほうじゃん」

「ほ、ほんとか?」


 彼女は意外にも嬉しそうに照れた。嬉しそうに照れる、という語彙がこんなにしっくりくるやつも珍しい。


「……でも、たまに指までいきそうになるけどな」


「いかなくていいからな。絶対に」


 苦笑いしながら、ダイゴは中華鍋に火を入れた。


そこに野菜を投げ入れ、音が跳ねる。


 ──香りが、広がった。

 厨房の奥で、クララが小さくクシャミをしたのが聞こえた。

 彼女が先ほどの“中華大失敗事件”をまだ引きずっていることは、火を見るより明らかだった。むしろ火で何かを焦がしていた本人だからなおさら。

 だが、今日は失敗を責める日じゃない。成功を仕込む日だ。


 鉄鍋の中で、刻まれた野菜が音楽を奏でる。ノラが、リズムに合わせるように包丁を動かす。

 言葉はなくても通じる感覚。背中を任せられる彼女の安定感。


「ブリュンヒルデ。次はネギ頼む。斜めに、繊維を断つように」


「オーケー、ぶった斬るぜ!」


 そこは“斬る”じゃなくて“切る”だと思うが、彼女が言うとなぜかそう聞こえる不思議。

 大丈夫。勢いがあるときの人間は、だいたい正しい。

 このまま宴に向けて一気に突っ切るとしよう。


 回鍋肉、餃子、麻婆豆腐、カツ丼、唐揚げ──

 次々と料理を仕上げる。

 本格中華と違い、町中華の守備範囲は割と広い。

 そのレパートリーは店によって千差万別。豚の生姜焼きや、カツカレーなんかも普通に存在している。もはや中華要素ゼロ。

 しかし、そこが町中華の魅力であり、懐の深さでもある。


 若干ガッツリ系に偏っている趣向もあるが、そこはやはり客層を考えてのこと。

 腹をすかせた野郎の相手は得意分野といっても過言ではない。


「焼きそば一丁っ!」


 威勢のいい声が飛べば、支給係のヴァルキュリアたちは、まるで矢をつがえた弓兵のように、大皿を持って戦場──もとい、宴会場へと駆けていく。

 この速さを見ればわかる。戦士たちの反応は上々。自ずとペースも速くなる。しかし疲れはない。


 むしろ、ダイゴは今、生き生きとしていた。


 ◇◇◇


 ──宴会場は騒がしかった。


「見ろ! 豚の丸焼き以外が出たぞ!!」

「おいおい、なんかのお祝いか!? 俺、今日誕生日じゃないぞ!?」


 皿が出るたび、戦士たちのテンションは指数関数的に跳ね上がる。

 いつもは“豚の丸焼き→酒→もう一周”という回転寿司ばりのワンパターンに飼い慣らされていた彼らは、唐突に現れた中華料理という文明の衝撃に脳がバグっていた。


 誰一人として不機嫌な者はいない。


 みんな目をキラッキラに輝かせ、隣の皿を覗き込み、酒を勧め合い、なぜか肩を組んで歌い始める者まで出る始末だ。


 誰が指揮を取ったわけでもない。だが自然発生的に、「料理がうますぎてテンションが壊れた戦士たちの合唱団」ができあがっていた。ハモりも完璧。


「こりゃええわい! 酒が進むわァ〜〜ッ!!」

「こっちのパリパリのやつも合うぞ!」


 やかましいにも程がある。

 でも、うるさいって文句を言う者もいない。

 それぞれが、“戦い以外の何か”に夢中になっていた。

 この光景を、かつて誰が想像しただろうか。


 ──そんな喧騒の中、ラースは一人、黙っていた。

 皿の上には、豚肉とキャベツを炒めた一皿。

 回鍋肉──という名をつけられたそれを、彼はじっと見つめていた。


 キャベツをつまみ上げ、ひと口、噛む。


 ──濃い芳香が鼻を抜けた瞬間、視線がふと宙に浮いた。


 耳元の喧噪が、少し遠ざかる。


「……そういや、昔──」


 誰に言うでもなく、そう呟きかけて、口を閉じた。


 何かを思い出しかけて、それでも思い出さないふりをするように。


「何か言いました?」


 ヘルギが、餃子を頬張りながら問いかけた。


 茶色い瞳が、ラースを少し見上げている。


「小僧には関係ねぇ」


 目をそらし、そのまま手をもう一度運ぶ。
皿の中の熱気と香りだけが、彼の沈黙を埋めていく。


 ──そのときだった。

 横からすらっとした白い手が伸び、銅のジョッキが二人の間に置かれた。


「蜜酒。食べるだけじゃ、喉が渇くでしょ」


 イングリッドだった。


 ブロンドの髪を後ろでざっくりまとめ、淡く微笑んでいる。


「あ、ありがとうございます……!」


 ヘルギは慌てて立ち上がりかけたが、腰が中途半端な高さで止まり、妙に不自然な姿勢になる。


 それを見たイングリッドは、ふっと口元を緩めた。


「慌てなくていいのよ。あなたがちゃんと食べてるか見に来ただけだから」


 そう言い残し、軽やかに別の席へと足を向けていく。


 くるりと背を向けるその一瞬、ヘルギの耳まで赤く染まっていた。


 ラースはその様子をちらりと見やり、鼻を鳴らす。


「そ、それにしても……これ、誰が作ってるんですかね?」


 ヘルギは、何かをごまかすように話を振った。


「さあな」

「あ、こっちも美味しいですよ」


 皿を差し出すヘルギ。勧められるまま、ラースは手を伸ばす。


 ゴツい指で餃子をつまみ上げ、口に放り込む。


「ああ、うめぇな……」


 唸るように言い放ったラースの声は、喧騒へと溶け込んでいった。


 ◇◇◇


 ダイゴはフライパンを振るい続けていた。

 中華鍋が火を吹き、次の皿が支度される。

 その合間にも、宴会場からは声が聞こえてきた。


「なんだこれ、うめぇ!」


「こっちの料理もう終わりか? おい、誰だ五皿食ったやつ!」


 歓声と怒号の入り混じった声に、クララが思わずクスリと笑う。


「ダイゴさん、みんな喜んでますよ」

「そりゃそうだ。豚の丸焼きばっかの連中に、町中華ぶち込んでんだ。そりゃ革命だろ」


 そのとき、不穏な気配が横からにじり寄ってきた。

 ブリュンヒルデだ。

 いつの間にか厨房の隅に潜んでいて、皿の山の陰から唐揚げを狙っている。

 戦乙女のくせに、動きが完全にコソ泥。

 出来立ての唐揚げに、彼女の褐色の手が伸びる。


 それをピシャリとはたいた。


「お前は後でな」

「ううっ……あーし、ヨダレ止まんないよ」

「そうや『ヨダレ鷄』って料理があったな」

「何それ? ヨダレの鳥? 超不味そう……」

「思い出すだけでヨダレが出るほど美味いって料理だ」

「だったらダイゴの料理は全部『ヨダレ鷄』じゃね?」

「嬉しいこと言うね」

「だろ?」


 彼女はそう言いながら、唐揚げをひとつ拝借。

 あとは知らん、みたいな顔で全力疾走していった。


「……お前、そのうち“ドロボウ鷄”って呼ばれるぞ」


 そう呟きながら、ダイゴは唐揚げをもう一皿、揚げにかかった。鼻歌交じりに。

 油の跳ねる音すら、伴奏みたいに聞こえてきていた。


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