第8話 『ヴァルハラ飯店』

 朝もやの向こうから、ずしん、ずしんと地響きのような足音が近づいてきた。

 その足音はやがて、ヴァルハラの厨房にどっかりと腰を据える。

 振り返ると、そこにはブリュンヒルデ。仁王立ち。全身で“やりきった女”の風格を放っていた。


「全部揃えたぞ!」


 その背後には、巨大な荷車。上に積まれていたのは、大量の段ボールと、なぜか業務用冷蔵庫だった。銀色の箱が窓から差し込む朝日に反射して、やけに神々しく輝いている。


「……えーと、それは?」

「ふふん。驚いた? まあ、ちょっと頑張っちゃったかもだけど?」

「“ちょっと”って言えるサイズじゃないだろ……どこから持ってきたんだよ。この冷蔵庫」


「えーと、記憶が曖昧で……たぶん、ミズガルズのどっか」

「それで帰ってこれたのが奇跡だわ」

「あーし、運だけは強いから」


 笑っていた。悪びれる様子もなく、ただ、いい仕事をしたと言わんばかりに。

 ダイゴはその巨大な冷蔵庫を見上げた。
何がどうなっているのかはわからないが、モーターの動く低い音が響いている。

 きっちり電源が確保されているようだった。
もう、突っ込むのはやめよう。命にかかわる。

 ……でも気になる。


「これ……なんで動いてるの?」

「愛と根性」


 つまり、何も説明していない。

 これ以上説明を求めたら最後、俺の負けになる。そういう空気だった。たぶん神域の理に触れてしまうのだろう。あるいは俺の精神が触れてしまうかもしれない。


「ていうか開けんな、今は」


 ブリュンヒルデがノリノリで冷蔵庫の扉を開けかけたのを制しながら、内心で肩を落とす。

 この世界の不条理には慣れたつもりだったが、まだほんの入り口だったようだ。


「てか、いよいよ腕の見せ所じゃね?」


 ふいに背中を叩かれた。

 普通に痛い。

 しかしそこに悪意も押し付けも感じられない。彼女の手のひらからは純粋な“期待感”が伝わってきた。


 ◇◇◇


 ざわつく空気を尻目に、ダイゴは静かに厨房の中心へ立つ。

 手ぬぐいを首にかけ、玉杓子を持った。

 ──それだけで、何かが変わる。


 これでようやくこの厨房に“居場所”を作れる。隅っこじゃない。
道具があって、食材があって、“業務用冷蔵庫”がある。つまり、ここは俺の領域だ。

 ゲームで言えば「セーブできる拠点」。



 体力が回復し、装備の整理もできる。なにより、落ち着ける。

 逃げ場じゃない。
立ち戻る場所だ。

 気合は十分。

 ……さあ、いくぞ。


 まずは炒飯から。町中華の王道。

 手にするのは中華鍋。

 鍋を火にかける。底面に火がまとわりつくような炎。鍋肌に手をかざすと、もう熱が滲み返ってくる。



 油をひく。躊躇なく、たっぷりと。くるりと鍋を回して全体に馴染ませる。

 刻んでおいたネギを放ると、ジュワッと跳ねる音。
同時に卵を溶いて流し入れる。

 迷わない。ためらわない。火加減は強め。卵を半熟のうちに、冷や飯をぶち込む。
 それが、パラっと仕上げるコツだ。

 飯を鍋肌に押しつけ、卵を絡めながら潰してほぐす。箸は使わない。玉杓子で勝負する。


 カン、カンッ、カララッ……!

 音が弾む。リズムが生まれる。
まるで音楽のように、中華鍋が吠える。

 ネギの香り、卵のコク、米が焼ける香ばしさが、厨房全体を一気に包み込んだ。

 ピクッ、と反応したのはクララだった。


「いい匂い……なにこれ……いい匂い……!」


 目をまんまるくして、匂いの発生源を探す。鼻先をひくひく動かしながら、首を右へ左へと忙しく振っている。

 犬か。いや、可愛いから許す。


 塩、胡椒、中華スープの素をひと振り。


 具材は最低限。卵とネギだけのシンプルな仕上げ。

 パラパラと舞う米粒の中に、余計なものは入れない。



 これは見せ飯じゃない。飢えた連中の腹を満たすための、勝てる飯だ。

 そしてほんの少しの醤油。これが一気に食欲を掻き立てる。

 俺のこだわりだ。

 香りが変わる。


 火の通りと水分の飛び具合で、仕上げのタイミングはもう分かる。


「──はい、炒飯一丁!」


 盛りつけた皿から、白い湯気が立ち昇った。


 黄金色の米が、光を受けて粒ごとに艶めく。ネギと卵の香りが湯気と混ざり、それがさらに空腹を煽った。

 それだけで、場がどよめく。


「……何、あれ」

「凄い……」

「なんかの魔法……?」


 いいや、違う。これは“火と油と人間の技術”の味だ。

 だが、これだけでは終わらない。


 ダイゴは続けて鍋を火に戻す。

 豚肉のひき肉を炒め、生姜とニンニクを追加。
豆板醤と甜麺醤でコクを足し、鶏ガラスープを加えると、ぶわっと立ちのぼる香りが鼻を刺す。


 ──麻婆豆腐。

 山椒の痺れる辛さは控えめにした。香りと旨味、豆腐の柔らかさで勝負する。
 ここの連中にも、まずは“食べやすくて美味い”を教えるべきだ。

 皿に盛る頃には、厨房全体が赤茶色の誘惑に包まれていた。


 手は止めない。

 野菜を切る。豚肉をブロックからそぎ落とす。
鍋を洗い、次の調理へ。

 ざくざくと彩り野菜を刻み、片栗粉をまとわせた肉を揚げる。カラリとした手応え。
 そこに甘酢あんを絡めて──照り返しがまぶしい。


 ──酢豚。

 赤、緑、黄、茶。
その派手な色合いは、まるで料理というよりも“儀式”のようだった。
 魔術師がテーブルに置いたなら、誰もが「呪具だ」と言って信じるに違いない。


 ──餃子。

 皮を並べてタネを包み、鉄鍋に沿って素早く配置。
焼き目をつけ、仕上げに湯を注ぎ、すぐ蓋をする。

 ジュワッ……という音が厨房全体に響く。

 耳が動いたのはクララだけではなかった。
気配が一つ、鍋の向こうからにじみ出ていた。


 ノラだ。

 いつの間にか近くにいた。
黙って豚の焼きを続けているフリをしながら、こちらの動きをじっと見ている。

 視線は鋭く、測定するように正確だった。
どこか、職人が“同業者”を見るような空気。たぶんこの中で、彼女だけが理解している。
火の回り、タイミング、包丁の音。そのすべてが、素人ではないことを。


 最後に、冷蔵庫から取り出す白い器。
つるんとした表面に、ひんやりとした光。とろりとした杏仁豆腐に、上からほんのり赤い、イチゴのシロップをかける。


 甘さは控えめに、けれどしっかりと舌に残る。
その余韻が、戦いの疲れすらそっと溶かしてくれるはずだ。


 ──杏仁豆腐。


 この世界に、たぶん初めて出現した“平和の象徴”。


 俺の手元には、もう熱気が渦巻いていた。

 鍋の音、火の匂い、油の跳ねる音。
誰も喋らない。喋れない。
ただ、食欲という本能が静かに高まっているのが、肌で分かった。


 テーブルの上に色とりどりの料理が揃う。


 その頃には、豚の丸焼き臭をすっかり押し込み、町中華の匂いがこの厨房を支配していた。
油と香辛料と火の匂い。人を無条件に腹ぺこにさせる、あの魔力。


 この感覚。……懐かしい。


 自分の店に帰ってきたような気さえする。
ここはさしずめ、『天下飯店・ヴァルハラ支店』といったところか。


 ──あ、本店はもう、誰もいないわ。

 思考の片隅に、ふっと冷たい風が吹く。

 ……けど、今はそれでいい。
過去は過去。俺はもう、“こっち”で鍋を握っている。

 新店舗は『ヴァルハラ飯店』に命名しよう。

 それがいい。


「よし、冷めないうちに食え!」


 戦闘開始の号令が響いたごとく、厨房の空気が、ひとつ跳ねた。


 立ち上がる音、皿がカチャリと鳴る音、スプーンを取る音。
ヴァルキュリアたちが一斉に動き出す。まるで統率の取れた軍隊のようだった。

 ──中でも、最初に突撃したのは、やっぱりブリュンヒルデ。


「あーしが一番乗りっ!」


 スプーンを片手に、炒飯に突撃。
もぐもぐ、ごくり、間髪入れずに麻婆豆腐、そして酢豚。
皿の合間を縫うように食らいつきながら、叫ぶ。


「なにこれ、うまっ! マジでうまっ! なんか……すっごい、こう……魂に染みるっ!」


 言葉になってるようでなってないが、とにかく喜んでいるらしい。


 隣の皿に手を伸ばし、「辛っ! でもうまっ!」とまた叫ぶ。
完全に暴食の戦乙女。周囲の視線なんて、最初から視界に入っていない。


 その様子を、横目でクララが怯えたように見ていた。
目をまんまるくしながら、酢豚にそっと手を伸ばす。
ちっこい体でバルキュリアたちの間に割り込む姿は、なんというか、必死で可愛い。

 なんだかつい応援してしまう。


「これ、美味しいですぅ!」


 やっとの事でひとすくい取れた酢豚の肉。

 ひとくち食べた途端、ぱあっと花が咲いたような笑顔を見せた。
実際、後ろでエフェクトが出ていたとしても驚かない。
頰を抑え、スカートをひらめかせながら小躍りしていた。


 ……と、後方でカリカリと何かを記すような異質な音。


 ソフィアだ。

 食べるのか、食べないのか、と思っていたが──

 すでに全種類ひととおり食べ終え、羽ペンを走らせていた。


 表情は真剣そのもの。デパ地下で惣菜を品定めする主婦のように、だが目に光るのは家計ではなく──きっと戦略だ。


「……これ、……もしかして。訓練効率にも……。消耗率の軽減も……」


 何やらブツブツと呟きながら、手元の羽ペンをせわしなく動かす。
字が小さくて、しかもやたら早い。もはや呪文。

 そして、ぴたりと手を止め、メガネの位置を直す。


「さっそくオーディン様に報告せねば」


 少し緩んでいた口元が、真一文字に引き締まる。

 ガタリと立ち上がり、足早に立ち去っていった。

 果たして料理はうまかったのだろうか。


「……あの子、ほんと分かりやすわね」


 隣から、ぼそりとイングリッド。
いつの間にか、カウンターの端に腰をかけていた。


 
「報告そのものより“別のこと”が嬉しいって顔に書いてあったでしょ?」


 そう言って、彼女はスプーンを杏仁豆腐に滑らせる。
その横顔は、どこか遠くを見ていた。
淡い笑みと──わずかな翳りが、同時に浮かんでいる。


「……全然わからん」


 いつもの軽口なのか。

 あるいは、自分にもそんな時期があったという本音なのか。

 その判別は、俺にはつかなかった。

 しかし、彼女から時々醸し出されるもの哀しい雰囲気。

 きっと昔に何かあったと思わせるには十分だった。


 ◇◇◇


 ほのかな熱気を残しつつ、厨房に静けさが戻る。

 反応は上々だった。


 食後のざわめきと満足の余韻が、ゆっくりと薄れていく。

 ダイゴは確かな手応えを感じながら、黙々と片付けを始めていた。


 まな板を洗い、鍋を拭き、布巾を絞る。この時間が、なんとなく好きだ。食わせることより、片付けていく時間のほうが“仕事を終えた感”がある。


 その横でノラが、黙って中華鍋を洗っていた。


 手伝えと言ったわけではない。気づいたらそうしていた。


 その動きに迷いはなく、道具の扱い方、油の落とし方、力の入れ方──全部が的確だった。

 しばらく並んで、無言のまま洗い物を続ける。
やがてノラは手を止め、しずかにこちらを見た。


 そして、親指をぐっと立てる。

 それだけで、全部伝わった気がした。
こいつとはこれから先、たぶん言葉よりも目で話すことになるんだろうな──そんな予感がした。

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