結局訳の分からないものが一番怖いよね?
灰色サレナ
森住まいの幽霊メイド
「お嬢ちゃん、この先の村まで乗っていくかい?」
のどかな辺境の森でのんびりと今朝収穫した野菜を隣村に運ぶ農夫はロバに引かせた荷車を止めて岩にちょこんと座るメイドに声を掛ける。
黒縁の眼鏡をかけて、ぼけ〜〜〜っと天を仰ぐそのメイドは胡乱げな眼差しを彼に向けた。
……
………………
何にも喋らない。
ちゅんちゅんと雀が鳴く声とさわさわと揺らぐ木の葉が「今日もいい天気っすねー」「午後から雨降るっぽいから毛づくろい早めにしておきなぁ」と会話してる……訳では無いがそのぐらい穏やかな時がただただ無為に過ぎていった。
「……昼過ぎから降りそうだから気ぃつけんさいよ」
だめだこりゃ、と農夫は返事が帰らないことを確信してアドバイスだけ残してロバを歩かせ始める。
そんなに高いとは言えないが山は山、天気が崩れやすい。
見た所、ボストンバック一つしか持ってないそのメイドは明らかに軽装。
仮にそのボストンバックに雨具でも入っていればいいが、山の雨は冷たい……簡単に体調崩しかねないだろう。
歩いていくには最寄りの村は結構遠い、女性の足では辿り着く前に夜中を回るのは想像に固くなかった。
だからこそ善意で声をかけたものの……ガン無視である。
流石にそこまでされてまで「乗るかい?」とは言葉を重ねられなかった。
「今いかないほうがいいよ?」
そんな農夫の背に、低い声がかかる。
取り立てて大きい声ではないのに妙に耳の近くで囁かれたような明確な声音だった。
「え?」
思わず後ろを振り返るとそのメイドは荷車の中にちょこんと座ってじぃ、と農夫を見つめている。
それを見つけた農夫はひぃ、と小さく悲鳴を上げた。音もなく、彼女から目を離したのはまだ数十秒ほどでしか無いのにいつの間にか……当たり前のようにそこに居る。
脳裏に幼い頃、農夫の祖母から聞いた怪談話を思い出し背筋を流れる冷や汗。
「ほら」
つい、と綺麗なカフスボタンがついた右腕の指を曲がりくねった道の先へ向けるメイド。
「へ?」
思いの外細い彼女の指の先を農夫はゆっくりと首を回して追っていくと……
「な、なにもない……が?」
「あれ?」
あいもかわらずのどかな風景が広がるのみ、そもそもこの辺はド田舎と言っていいほど辺境だが統治している貴族が凄まじく優秀で盗賊が寄り付かない。
だからこそこうして一人でも気楽に荷物を運べる環境ができている。
てっきりメイドが山賊でも見つけたのかと思った農夫だが……むしろメイドの不気味さを助長するだけだった。
「おかしいな」
「おかしいのはお前さん、だけど?」
「どこからどう見てもメイド、どこも怪しくないでしょう?」
「今のやり取りで怪しくない所がメイド服以外見つからないんだけど……」
「王都御用達の渡りメイドのメイド服だもの、怪しくないのは当然よね」
「中身は全く考慮されてない紹介だなぁ」
農夫は改めてメイドの姿をしっかりと確認すると……たしかに本人の言う通りとても上質なメイド服、生地もしっかりしているだろうし手入れも欠かしていないように見える。
それを身に纏う本人はというと黒縁の眼鏡に目が行きがちだが、タレ目で緋色の瞳が思いの外……澄んだ光を宿していた。
しかし、相変わらずどこを見ているのかなんとなくわからない不思議な雰囲気と長い黒髪とメイド服に隠れた部分が多すぎて……不穏さが滲んでいる。
「……私、綺麗?」
「今その言葉を口にしたら間違いなく怪しいという事実に思い至らないのかい?」
「……もしかして、万が一の可能性について聞くけど私が怪しいと思われてる」
「少なくとも子供に聞かせる怪談話と同じくらいにはお嬢ちゃんは怪しいなぁ、いっそ幽霊か何かと自己紹介してくれたほうがまだ安心できるんだけどな」
農夫も身を縮こませたまま、精一杯……のんびり歩を進めるロバの方へメイドから距離を取る農夫にメイドはようやく合点がいったのか手をパン、と合わせて口を丸くした。
「なんか変だと思ったら私が怖がられている!」
「今気づいたのなら村の診療所まで送るから今後一切黙っててくれると助かるんだがな!?」
農夫はなんとなく気づき始める。もしかして目の前のメイドはなにかちょっとズレているのでは? と。
そうであれば(そうであってほしい)農夫はため息混じりにメイドへ改めて声を掛ける。
「俺は山の東麓にあるコンリア村で野菜育ててる農夫だよ、お嬢ちゃんはなにもんなんだい?」
「私? 私は渡りメイド……『V(ブイ)』」
「ぶい? 渡りメイド? 聞いたこと無いなぁ……」
「呼びにくければ『ビビ』で、みんなそう呼ぶ」
ビビと名乗るメイドは人差し指を唇に当てて何かを考え込むかのように眼を上に向けて体を揺らす。
話してみると徐々に緊張もほぐれて農夫は肩の力を抜いた。
妙な雰囲気と不可思議な言動はあるが……なかなかどうして、こうして小首を傾げるメイドは顔立ちも整っているし全身を覆うメイド服の要所要所は少女にしては主張が強い。
渡り……が何なのかは農夫にはわからなかったがメイドが何をするかくらいはわかっている。
基本的に家事手伝い、一言で言ってしまえばそのスペシャリストだ。
「何処かにお使えしているのかい? この先のベリア村からは隣国のローリアへは続いてるけど……ここの貴族様の許可がないと通れないから俺の居る村から北に向かわないといけなくなるよ」
「大丈夫、通れる……どこへでも」
「なんだ、もう許可証をもらってたのかい。ならいいんだ」
「……まあ、いいや。おじさん、ここで止まって。危ない」
ビビは身を乗り出して手を振りながら農夫へ止まるように指示を出す。
急ぐわけではないのだが、ビビへなぜ? と目線で問いかけた。
「雷が落ちるから」
「そんな馬鹿な。まだ雨雲はあんなに遠いのに」
「落ちるから」
笑いながら農夫はビビの背後、自分の村の方へ広がる黒い雲を見て答える。長年この道を通っているが遠くで雷が落ちることはあった……だが、まだ自分たちの居る空は雲はあれど晴れていた。
ビビの言葉には説得力がなく、同時にどう考えても落雷など起こり得るはずもない。
「落ちる」
――!
閃光と爆音、農夫は意識が追いつくよりも先に真っ白な光景に飲み込まれてそのまま音も失う。
「やば……」
呑気なビビの言葉を最後に、農夫の意識はどこかへ沈んだ。
「でも、大丈夫」
ひんやりとした何かの触れる感触と仄かな甘い匂いがする心地良い気持ちとともに。
「親切にしてくれたから、恩は返す」
――『 』
優しい淡い緑色の光は誰の眼にもとまらず……ただただ農夫の男を優しく包んだ。
◆◇――◆◇――◆◇――◆◇――◆◇
「ん、おお?」
農夫は目を覚ます、見慣れてはいないが長い間野菜を運ぶうちにお世話になったこともある診療所の天井だった。
「目がさめたかい? テンデロや」
「ばあさん……俺、一体?」
「何があったかって? 全く間抜けだねぇ、街道の溝に荷車引っ掛けてひっくり返ったんだよあんたは」
テンデロは頭を振りながらぼんやりとする脳をゆっくりと動かしていく……痛い所はどこもない。むしろ……長年の農作業で傷んだ腰や、農作業中に畑に飛び込んできたイノシシに激突して骨折してから取れないしびれなんかが……。
「……ばあさん、治ってる」
「そりゃあただ転んで頭を打っただけだもの、一晩寝ればたんこぶくらい治るに決まってるよ……」
呆れたように診療所で長年村の人を治療し続けている医者のおばあさんは、テンデロの言葉の真の意味を理解できなくて腕を組む。
運び込まれたときは心配したが、しっかりと診てもたんこぶ以外の外傷はなくただただ気絶して居るだけなのだ。
「たまたまベッドが空いてたから寝かせといてやったが、起きたんなら門番のところにあんたのロバと荷車停めてあるから引き取りに行きな。あんたの子供と奥さんが心配するよ、さっさと野菜を八百屋に卸して帰んな」
ぱんぱんと手を叩いてテンデロを急かす。
実はすでにお昼を過ぎていたので早々に村を出ないと戻れない時間が迫っていた。
「え? どんくらい寝てたんだ!?」
「昨日の夕方……妙なメイドがあんたを運んできてから半日以上だねぇ」
「そんなに!? 聞いてくれよばあさん!! 眼の前に雷が!!」
「かみなりぃ? 何を言ってんだい、夢でも見たんだろうに……外見てみな」
「そんなの雨に……あれ?」
慌てたようにテンデロが窓のカーテンを開けて空を見ると……雲一つない、不自然なほど晴れ晴れとした空が広がっている。
時間的にはこっちの村で雨が降っていてもおかしくないほど来る前に見た雨雲は大きかった……そのはずなのに。
どこにもそんな痕跡は見つけられなかった。
「雨雲なんて昨日から見かけちゃいないよ、そうだ。あんたを運んだメイドから手紙を預かってるよ。困ってた所を助けたのは褒めてやりたいが……そのあんたが倒れちゃ本末転倒だ」
ほら、と綺麗に四折された紙……このへんでは珍しい上等な白紙だ。
テンデロは思わず息を呑んでその紙を開く……おばあさんはそれ読んだら行きなよ、と診療室へ引っ込んでいく。
そこには。
『目が覚めたら見たことすべてを忘れること。ロバの鞍に迷惑料と口止め料入れてある。ビビより』
「迷惑料? 口止め料? どういう事だ???」
端的と言うにはあまりにも説明足らず、その割にはとんでもないくらいに綺麗な文字で教本のお手本をそのまま写したのではないかと言うほど。
この地域は平民用の学校……と言えるほど立派ではないが統治している貴族の使用人が年齢などで引退した際、地方の村や町で文字の読み書きを教える家も少なくない。
ちょうどそのお手本に使っていた本の文字にそっくりだったのでテンデロも読むのに困らなかった。
「ばあさん! ビビ……メイドの嬢ちゃんはどこに言った?」
「なんだい、大声ださんでも聞こえるよ! あんたを運んだ後どっか行っちまったよ」
奥から返ってくるおばあさんの声にテンデロは首をひねりながらも書いてある通りにするかと、礼を言って診療所から出る。
荷物も何もかもおそらく荷車のところにあるのだろう、歩き慣れた村の道を早足で歩きながら……時折、顔なじみからの心配の声や挨拶に返事を返しつつ村の入口へと急ぐ。
「お、あったあった」
見慣れた荷車とロープで門の柵に繋がれて、のんびりと水を飲むロバが『あ、飼い主さん無事でしたか』と言わんばかりに歯を見せながらのそのそとテンデロに近づこうとしていた。
無事だったのかとホッとする反面、なんと呑気な……と釈然としないテンデロに門番があくびを噛み殺しながらテンデロに声を掛ける。
「よう、怪我は大丈夫だったのか? 心配したぞ」
「え、ああ……大したことなかったよ。悪いな、ロバと荷車預かってくれて」
「それこそ大したことじゃないさ、野菜少しもらったぜ。そのロバの飯として」
「そんくらいはまあ、一体何だったんだろうな?」
後半の言葉をロバに投げかけて、テンデロはロバの鞍に手を差し入れて迷惑料と口止め料を探り当てようとした。ちょうどお尻を乗せる所あたりに差し掛かった時、指に触れる布と硬い感触……多分これだろうと引っ張り出してみると小さな小包で、ちゃりちゃりと硬い金属が奏でる音がささやかに響いた。
「何だそれ?」
「いや、その……」
門番から手の中に収まる布袋について問われるが、テンデロもよくわかってないのだ……迷惑料と口止め料というからにはあの雷事件はビビにとって話してほしくないのだろう。
仕方なく自分のヘソクリという事にしようと、曖昧に笑いながら門番へ説明しながら中身を改めた。
そこには赤銅色の小さな硬貨と……二枚の真っ黒な硬貨が入っていて、それを見たテンデロは 思わず眉をしかめて首を傾げる。
「なんだ、落としたのか?」
「そういう、訳じゃないんだが……おかしいな」
「まさかお前を運んできてくれたメイドに中身でも入れ替えられたのかい?」
「ある意味……そう、かも」
「おいおいおい、あんな大人しそうな顔してそのメイドやるなぁ。捕まえるか?」
「それは別にいい、大した金額じゃないし……それよりこれってなんだろうな? わかるか?」
袋からその三枚の硬貨を取り出してテンデロは門番に手渡した。
妙にずっしりとした質感の硬貨は傷一つなく磨き上げられて、片面には翼をもう片面には剣が彫られた硬貨……この辺に流通している硬貨はせいぜい銅貨と銀貨。見たこともないその硬貨に門番とテンデロは頭を突き合わせて口をへの字に曲げる。
「見たことねぇ……なぁ、村長の家で金貨を見せてもらったことがあるがそれとも違うし……一体この硬貨は何で出来てるんだ? 鉄、じゃねぇしなぁ」
「学校で白金貨って学んだことあるけど……どう見ても白くないしな。なんというか、その……不気味な色だよな」
「赤と黒って……なあ。先生にでも聞いてみたらどうだ? コンコリアの村の先生って確か王都の文官様だったんだろう?」
「そうするか……」
硬貨の正体は気になるが、野菜を早く卸して村に戻りたい。
テンデロは無造作にその硬貨を布袋に戻し、大事そうに服のポケットにしまった。
「わかったら教えるよ、じゃあ俺は八百屋に野菜卸してくる」
「おう」
ロバの鞍に荷車をつなぎ直し、テンデロは八百屋に向かう。
その脳裏にはビビのことが思い浮かべられていた。不思議な雰囲気のメイドで……多分、命の恩人。あんな至近距離で雷なんて落ちたら普通はただでは済まない、幼い時に父親と目撃した牛小屋の落雷はひどいもので……焼け焦げた牛が痙攣していた。
その光景は今でも心に残るトラウマだ……。
「一体、何が起きたんだろう……あんな晴れた場所で」
脈絡もなかったし、結局あのメイドは何だったのだろうと考えれば考えるほどわからなくなってくる。
「おい、どこ行くんだテンデロ?」
「あ?」
気がつくと考え込みすぎていたのか、八百屋の前を通り過ぎてしまって店主から声をかけられていた。白髪が目立ち始めた八百屋の店主は手を伸ばしつつ困惑した表情を浮かべている。
「わ、悪いおやっさん。ちょっと考え事してて!」
「聞いたぞ、婆さんのところに運ばれたんだって? 荷降ろししてやるから中で休んでろ」
「大丈夫だって、遅くなって悪かったな」
「気にすんな、今回は根菜ばかりなんだろう? 一日ぐらい遅れたって大したことじゃねぇさ」
テンデロは誤魔化すように笑いながら芋や人参の入ったかごを荷車から運び出していく、腰も背中もこの数年仲良しだった痛みがないためか次々とテンポ良く八百屋の脇に全部降ろし終わった。
「ふう、終わった終わった」
「お前、腰とか背中とか大丈夫なのか?」
「なんか痛みが取れてて」
「横転した時に打ったんじゃなかったのか?」
「まあその……良いじゃないか。たまたま打ちどころが良かったんだろうさ」
テンデロは脳裏によぎる『口止め料』の文字に説明をはぐらかす。
いつもの倍以上に早めに終わった納品、これだけ体調が良ければ帰りも早めに戻れそうだ。どうせ至近距離に雷が落ちて気がついたら無かったことになっていたなんて誰も信じない。
そう考えてテンデロはきっとあれは夢だったんだと……なんにも無かったんだと自分自身に言い聞かせようと目をつむり、頷いた。
「そうそう、それで良いんです」
「へあ!?」
耳元ではっきりと聞こえる低めの女性……ビビの声。
反射的に後ろを振り向くが、買物途中の母子以外は……だれも、居ない。
「何だいきなり変な声上げて」
「え、いや、だって!」
「おい……本当に大丈夫なのか? 婆さんのところに行ってもう一回見てもらったほうが良いんじゃ」
「め、メイドの声が」
「あん? お前を運んだメイドさんなら今朝早く芋と人参買って村を出たぞ? まあ、ちょっと無愛想っぽいけど顔立ちも整ってて可愛い感じだったしなぁ」
奥さんには黙っといてやるよ、とニヤニヤしながらいらん事まで付け足す八百屋の店主に……嘘をついている様子は見られなかった。
テンデロは薄ら寒いものを背筋に感じて、両方を手で擦る。
「き、気味が悪い……さっさと帰ろう」
こころなしか早足になる自分の脚に視線を落として、テンデロは踵を返す。しばらく無言で道を戻っていく……ふと、視線を感じ顔を上げてどこかと見回す。
その視界の端、だいぶ遠くの家の影に……ひらり、と。
「ひっ!」
あのメイド服のスカートが消えていくのを見てしまった。
周りの通行人も悲鳴を上げたテンデロを見て首を傾げるが、本人はそれどころではなく……だらだらと額に汗を流しながらロバを引っ張り走り去っていく。
「お、俺が何をしたっていうんだぁ!!」
本当にそう、テンデロは何もしていないのに……後日。テンデロはやっと落ち着いて……仲間との酒宴の席でこのときのことを話すと、面白がった仲間が尾ひれをつけて子供や妻に話を広める。
やがてビビ本人がその話を耳にして頭を抱える『森住まいの幽霊メイド』という階段に発展するのは、また別の話だった。
結局訳の分からないものが一番怖いよね? 灰色サレナ @haisare001
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