白い手紙
七瀬芙蓉
1
ルリマツリが綴る音色は、花弁のように柔らかい。黒いインクが清純な白さと勘違いするほど。
私にとって白い手紙は特別である。
あるマンションの一室。生活最低限のものしかない、簡素で面白味のない部屋。
だが、それはその白い手紙があることで、一等星のような輝きを持つ。尤も、それは私だけが思うのだが。
「...あ」
霜月の末。一階にある私のポストを開けると、それはあった。
白い手紙。
きっと彼女のものだ。
そう考えると、動かしていた指先が止まった。
指は微かに動く。それと同じように、目も少し揺れる。
私はそれをその場で開けることができた...はずだった。
動かない。
ただ、その手紙を見て、微かに震える指を感じるだけ。
何故かはわからない。怖かっただろうか、それとも緊張だろうか。
私は一度息を吸った。自分の存在を確かめる様に、思考を整理するように。
震えが微かに止まる。遅れて霜月の寒さが、私の肌を侵略するように襲ってきた。どうしてだろう、今はそれがよくわかる。
「周りに人いないよね...?」
頬のように少し赤色になっている手を見ず、一度きょろきょろと周りを見る。
誰もいなかった。虫一匹居ず、未だ残る紅葉がぼんやりと確認できた。
どうしてここまで慎重になるのか。そこには理由があった。
彼女は滅多に手紙を送ってこない。
ラインは短いメッセージ。そんな彼女が、態々インクを走らせて迄伝えたい言葉。
それは...例えば
「あ...」
言葉が途切れた。
いいや、違う。きっと思考自体が途切れた。
待て、待つんだ。きっと違う。
彼女はたまにしか手紙を送ってこない。それは大事な用事のときにだけ。
それはそうだな...うーん
...
来たことは無いけど、終わりを告げる言葉とか
「...っ!」
鳥肌が立った。
違う、待ってくれ。考えすぎだ、きっとそう。
だけど、もしそうだとしたら。
私達の未来が分岐するとするなら。
身の毛もよだつ。考えすら拒絶したいのに。
それでも視線は手紙から離れなかった。
もし
ほんっとうに、そうだとしたら。
...
無理すぎる。嫌だ、どこにもいかないでほしい。あなたが思うより私はあなたのことを好きなのに。
依存も立派な恋慕。依存して、存在する彼女に固執して。確かな想いを紙飛行機に書いて、風に乗せて。そしてそれは純愛を運び、依存や執着をも運ぶ。
だが、月もいつかは地球から別れを告げる。
それは...きっといつか。月に満ち欠けがあり、地球についていくのと同じ摂理。
あの美しく、引き込まれるような魅力を持っている月さえ、いつかは届かない存在になる。
いいや、届かないではなく「いなくなる」存在になるのだろうか。
そう考えると、余計にその「いなくなる未来」ばかりを見てしまう。
違う、きっと違う。考えたくもない。
あの可憐な瞳、まつ毛に髪の毛。誰かが認めなくても、私だけが認めてあげたい。
守ってあげたい、望みを叶えてあげたい。
手に届く存在であってほしい。
信じたい
彼女という存在を、確かにそのままずっと、地球と月のように共に歩みたい。
目から出ない涙が出そうになる。体が強張り、少し体が震える。
だが、開けないのは彼女に失礼だ。
そう、開けないといけない。どんな結果であっても、どんなものであっても。
「開けるぞ...開ける...!」
それを意識して、つい声を漏らす。
指先の感覚がいつもより明らかに強い。
手紙は物理的には薄いが、重々しい雰囲気を醸し出している。
封の端に爪をかける。
一度触り、離し、もう一度。違う、私がしたかったのはそんなものではなくて。
一度瞳を閉じ、深く息を吸った。
中身が
中身がもし、距離を置こうとか、そんなものだったら。
考えたくもない。ほんとは毎日話したいし、私の為に何かをいっぱい、そうほんとにいっぱいしてほしい。
恋慕の印は様々。イラストとか、小説とかを私を考えながら書くとか。
それとかを...会えない分、沢山書いててほしい。
見たい、彼女の気持ちを感じたい。目で感じて、好きって言いあいたい...のに。
...
私は、与えてもらってばかりだ。
私は、彼女に何をできているのだろう。
ペリッ
手紙を開けるとその音は、存外静かだった。
中身に入っていたのは、一つの便箋。折り目は丁寧、紙の質も良好。この為に買ってくれたのだろうか。
彼女の性格を表しているようだ。丁寧で、私の恋人には勿体ない程。
「3行ぐらいかな...」
その手紙は3行しか書かれていなかった。
読むぞ、読まないと。
そう思っても、何故か何も書かれていない白紙部分を見てしまう。
違う、私がしたかったのはそんなのではない。
見ないと、何なのか。
別れでも、なんでも、彼女が選んだ選択なら...尊重したい。
どんなものであっても。
再び息を吸った。
そして、視線を一行目へとゆっくり落とす。
「こんにちは!」
いつものだ。
話した時でも、文面でも。こんにちはって言い合って..平和だ。
明るい書き出し。もしかして...最悪の場合じゃない?
そう思うと二行目へと視線を移していた。
「久しぶりですね。実は、大事なことを言いたくて書いてます」
そう書いていた。
「...っは」
一瞬口で息を吸ってしまう。霜月の寒さが、口に入って少し冷たい。
実のところ、まだ安心しきっていない。
残り一行。
ここまで、その主題は出てきていない。
怖い。
――どうして?
それを誰かに聞かれると、絶対に答えられない。
けれど、あまり乗り気じゃない。
何かを越えてしまうような、何かの均衡が破られるような。そんな感覚。
「...違う、読まないと」
自分に言い聞かせる。
もし、何か、そういうのだったら...。
最悪。考えたくないのに。
私の世界は貴方で出来ているのに。私は貴方の好きで生きているのに。
...もし、そういうことになるなんて考えられない。
駄目だ。
待て、見るんだ。
私はつい八重歯で唇を噛んでしまう。
見るぞ、ほんとに見る。
見ないと――!
「そっちに住むことになったんです」
...
世界が静止したようだった。
音が消える。世界が写真になったように、何も動いていないような。
彼女が、こっちに、来る?
家は250kmも離れていて、こっちが好きともいっていない、彼女が?
こっちに?
「...ぁ」
声にもならない声が漏れる。
安堵。最悪の未来を想像して、泣きそうだった私に舞い降りた一つの真実。
彼女の想いを乗せた手紙を私が貰ったようなもの。
心の中で何かが解ける音がした。
いうなれば、固く結んだ紐が、ゆっくりと溶けるような。
「来る...の?」
誰もいないのに問いてしまう。
嬉しい。
ほんとに嬉しい。つまり、毎日は贅沢でも、数日に一度会えるの?
本当に?
ぎゅってして、お互いの存在を確かめて、楽しいことも?
全部、全部全部私がひとり占めできる回数が増えるの?
そうなの?
「そうだよ」
その時、確かな天使の声が聞こえた。
私はこの声を知っている
これは
そう!これは!
「...しずく!」
ルリマツリは水に弱い花だ。
だが、それに滴る雫すら愛おしく感じる。
小さな、ほんとに小さいしずくでさえも。
そう言って私は後ろに振り向いた。
綺麗な瞳に一つだけある八重歯。
特徴的な綺麗な黒髪。
間違いない、彼女だ。しずくだ。
「しずくだよー!見た?」
いたずらそうに彼女は微笑んだ。
可愛い、可愛すぎる。
私は会った時に愛おしさゲージがいつもより爆発するタイプだ。
...でも、これからは爆発するタイミングがいつもより増えるの...?!
嬉しい、ほんとに嬉しい。
「ふ~んふふ~ん♪」
つい口ずさんでしまう。
今、傍から見れば私はニコニコなんだろう。だが気にしてられない、だって今私は世界一大切な人の目の前にいるのだから。
「ね、手紙見た?」
「見た!」
食い気味に答えると、彼女は笑った。
「まぁ、そういうことだから」
彼女の声は小さくなった。
私から目線を逸らし、手を繋ぎそうに腕を前に出している。
...可愛い。
そう思うと笑わずにはいられなかった。
「ね、しずく?」
「なーに?」
彼女の声を聞いた瞬間。
私の鼻は、形容するのすら失礼に値する程のいい匂いに包まれた。
布が擦れる音がよくわかる。飛びついたからか少ししずくはよろけた。
だと思ったら、彼女は私を撫でた。
...ずるい。
「凛?」
彼女は私の名前を読んだ。
「なーに?」と私はつい高い声を出してしまう。
そしたら彼女は笑って。
「大好きだよ」
そう、ただそれだけ。そう答えて、また私を撫でた。
...やっぱずるい。
不意打ちだ。ぎゅってして、撫でてもらってるだけで最高なのに。まさか愛の言葉なんて。
ずるい、けれど悔しいとも思わない。
...やっぱり、私も好きだから。
彼女は特別だ。
全ての分野において。
ずっと一緒に居たいと願っているし、彼女も願っててほしい。だから私は。
「私も大好き!」
それだけ、とびきりの笑顔で返した。
白い手紙 七瀬芙蓉 @r1nnedesu_
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