第2話 生き

 もう手遅れな気はしたが、俺はドアに飛びつくとノブを回した。予想通りノブは空回りするだけで、玄関ドアは開かなかった。


「何?! 何なの?! これ!!」


 背後から莉々の甲高い声が聞こえてきた。

 振り返ると、莉々の横で大也も床に座り込んでいる。


 俺たちは屋敷の中に入った……というより引き込まれたというのが正解なのだろう。とても信じられないが、屋敷の中に上半身を入れたとたん、何かに引っぱられたのだ。そして玄関ドアは、内側からなのに開けることができなかった。


 なんなんだ?! この家は。


「か、か、か、か……」


 涙目で俺を見上げる大也は、たぶん俺の名を呼びたいのだろうが、言葉にならなかった。それに比べて、莉々はやや落ち着きを取り戻している。白い顔は表情は硬いままだが、もう口を閉じていた。

 ……というか、この状況がまず変じゃないか。


「なんで電気がついてるんだ?」


 俺の問いかけに二人も天井を見上げた。

 白熱灯の暖かいオレンジ色の光が辺りを照らす。電灯の傘は布製で、先にフリンジがたくさんついていた。三十年前は流行していたのだろうか。

 玄関も海外仕様で、靴脱ぎ等はなく、いきなり板張りの廊下が家の奥まで続いていた。


 本当なら家の奥の暗闇に恐怖を覚えるべきなのだろうが、俺はこの明るさが怖かった。緑を基調とした草花模様の壁紙。その左右どちらの壁にも電灯のスイッチらしきものが見当たらない。


「私たち、何も触ってないよ」


 莉々が手を伸ばし、座り込んだ大也を引っぱり上げて言った。大也も俺を見て首を横に振っている。俺ももとより二人を疑ってはいなかった。まず何年も誰も住んでいないはずの家に通電していることがおかしい。


「ね、ねぇ。出られないの?」


 莉々にも納得してもらおうと、俺は玄関ドアのノブを回してみろと目で指し示した。莉々は震える手でノブをつかむと何度か試したが、開かないことがわかると俺を見た。俺に訴えられても困る。


「奏多、こ、これって……」

「きっと、魔日郎の怨霊よ!」


 大也と莉々が両側から俺にしがみついてきて、両方の耳に一度に叫んだ。ステレオ放送のように耳元で響く。パニックが移りそうで、俺は彼らを振り払った。


「落ち着け!」


 半分自分に言いきかせた言葉だった。


 そして周囲を見回した。

 廊下の幅はさほど広くなかった。一方で、奥行きはどこまであるのか暗くてわからない。

 すぐ目の前の右壁側に二階への階段がある。階段の上の方も暗くて見えなかった。

 階段の手前には両開きのドアが一対。

 俺はそのドアに手をかけた。建物の外観を思い返せば、構造上、ドアの向うにはリビングのような広い部屋があるはずだ。さっき、窓から家の中を見た気がする。


 ところがドアを開けると、全く違う空間だった。

 物置くらいの広さしかなく、窓もない。誤ってクローゼットを開けたのかと思った俺は、階段の裏へ向かった。

 奥にリビングへの入口があるかもしれない。いや、なければおかしい。


「ちょ、ちょっと先に行かないでよ!」

「そうだよ。待ってよ、奏多」


 背後から莉々と大也の震える声が聞こえてきたが、俺はどんどん足を進めた。

 階段の裏手にもたしかにドアはあった。右側と突き当りの壁に一枚ずつ。

 俺は、とりあえず手近の右のドアを開けた。

 傍から見れば、勇気があるか、向こう見ずな行動に見えるのだろうが、これでも内心焦っていた。俺みたいな人間はとにかく不安要素はさっさと潰し、安心したい性質たちなのだ。


 そこはバスルームだった。

 洋風便座のトイレに脚付きの浴槽。どちらも新築同様、白く輝いている。

 窓がないのは……ほかに換気口があるからなのか。


「よかった……さっきみたいに何もない部屋だったら頭おかしくなりそうだったもん」


 莉々が安心したようにつぶやく。

 いや、まず外からは見えた窓のある部屋が見つからないことがおかしいだろうが。

 ただ、それを言ったところで莉々たちがさらにパニックになるだけだと思い、口をつぐんだ。


「どうしょう? ねえ、奏多。どうしよう?」


 大也がふたたび俺の左腕にしがみついてくる。

 俺より大きいくせにのしかからないでくれ。

 俺は大也の正面に向き直ると、その両肩に手を置いた。


「今、外に出るために窓のある部屋を探しているんだ。大也も探してくれないか?」


 ゆっくり言いきかせるように伝えると、大也は鼻をすすりながらもうなづいた。


「じ、じゃあ、あっちは?」


 大也とともに突き当りの壁にある方のドアを開けてみた。

 キッチンだった。一軒家なら日本でも海外でも、たいてい勝手口がある場所だ。

 だが嫌な予感は的中し、本来あるべき窓すらなかった。それ以外は流し台や据え付けのオーブン、冷蔵庫と食器棚まであるというのに。


「うわぁあああ、窓がないっっっ!!!!」

「はぁ……とことん俺たちを出す気がないようだな」


 言ってしまってから後悔した。大也がすっかり顔色を失っている。


 これは死んだ作家の怨霊が見せているのか。それとも単に異様な構造の家なのか。初めて入った俺たちには判断がつかない。

 しかし、頭の奥で冷静な自分が囁いている。

 さっきまで真っ暗だったはずの廊下の奥へ俺たちが足を進めていくに従い、先回りするように明かりが点いていってるじゃないか。

 まるで「我が家をどうぞご覧ください」とでも言うように。

 あきらかに普通の家ではない。


「きゃああああ!!!!」


 バスルームの方から莉々の叫び声が聞こえ、俺たちは急いで戻った。

 莉々の姿が見えない……と思ったら、床に座りこんでいた。洗面台の真下で、こちらに背を向けたまま、ガクガク震えている。


「な、何? どうした? 何か見たのか?」


 莉々の肩に手をかけようとしたら、振り払われた。


「み、見ないでっ!」


 莉々はさらに手足を引っ込め、亀のように縮こまった。いよいよ変だ。


「何? とにかく立てよ」


 腕を掴んで半ば無理矢理莉々を振り向かせた俺は、その姿を見て言葉を失った。


「やっぱり……わ、私、お、お婆さんみたいなの?」


 問い返した莉々は、たしかにシワだらけの老女になっていた。

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