第11話 小さな手のひら【フェニス第3従響星】

 虫が、飛んでいた。

 何匹も、飛んでいた。


 力の抜けた手を振り追い払っても、またすぐに戻って来る。


「……………………………………このままじゃ、アリシアが、かわいそう」


 リメアが腰を上げたのは、夜の帳が下りてからだった。

 冷たくなった少女の体を抱えて、少し、顔をのぞき込む。

 青白い星灯りに照らされた横顔は、眠っているだけのようだった。


 カサリ、カサリ――。


 闇の中で、ひとりぶんの足音。

 草をかき分け、無言で歩く。


 カサリ、カサリ――。

 

 停滞した頭で、何度も同じ言葉を繰り返す。

 心は、凪のように静かだった。


 カサリ、カサリ――。


 同じリズムで繰り返される足音の中、どこへ向かうでもなく、歩き続ける。


 リメアは、自分に問いかけた。


 ――なにが、いけなかったの。

 ――どこで、間違っちゃったの。


 おもむろに、空を見上げた。

 いつもと変わらない、星のカーテンが広がっていた。


「……っ!」


 乳白色に輝く川と、瞬く星を見て、気がついた。

 景色は同じでも、いつもと変わらない1日なんて、なかったのだと。

 

 あの夜も、あの夜も、あの夜も。


 たった一度だって、同じ気持ちで迎えた夜はなかった。

 毎晩、違う顔を、リメアは空へと向けていた。


 楽しいことばかりじゃなかった。

 辛かったり、怖かったり、不安で眠れない日もあった。


 それでも――。

 明日になれば、なにか変わるかもしれない。

 そんな期待を遠くの星々に望むことができた。

 

 でも、今は。

 明日なんて、来なければいいと思っている。

 毎日、1日ずつ、昨日に戻れたらいいと思っている。

 ずっとずっと戻って、最初の日に戻れたら。

 戻ることが、できれば。


 

 わたしは。




 アリシアに、何をしてあげられただろう――。



 歩く歩幅に合わせて、体が左右に揺れる。

 だらりと垂れ下がったアリシアの手。


 アリシアが手を振るときは、こんなんじゃなかった。

 いつも、背中を丸めて、控えめに手を振っていた。


 汚れて毛羽立ったショートボブが、風に揺れている。

 いつもは、こんなに乱れていなかった。

 自分で髪を切るのが上手だった。

 いたずらして脅かしたら、切りすぎて怒られたこともあった。

 仕事に行く前は、必ず髪をとかしてた。


 乾ききった唇が、固く閉じられている。

 1番笑わせてくれて、1番困らせられて、1番心配させられて。

 今、1番動いてほしい、小さな唇。

 この唇といっしょにいつも、リメアの心は弾んでいた。


 紫苑の瞳は、まぶたの中からもう顔を出さない。

 その瞳の奥を、はたして、どれほど知っていたのだろう。

 大事なことは何も言わない唇よりも、ずっとおしゃべりだったあの瞳。

 ときどき遠くを眺めて、ぼうっとしていた、あの瞳。

 自分の姿を、まっすぐ映してくれた、あの瞳。


 冷たくなった喉は、もうリメアって呼んでくれない。

 少し掠れてて、普段は低めだけど、驚いたときには高くなる、そよ風みたいな声。

 日記を見て、やっとわかった。

 お姉さんみたいなしゃべり方は、お姉さんになってくれようとしてたからだったんだ。

 しゃべり方が違っても、何も変わらないのに。

 少しでも長く、あの声を、聞いていたかった。

 諭すように、優しく囁いてくれた、とっても安心する、あの声。

 

 

 ぜんぶ、


 

 ぜんぶ、


 

 ぜんぶ。





 

 

 ひとつも、わすれてないよ、アリシア――。




 口元が、わずかに歪む。


 アリシアと過ごした日々が。

 新鮮で。

 繊細で。

 淡くて。

 切ない日々の記憶が。

 瞼の裏から、離れてくれない。


 

 気がつくと、大きな木の下にたどり着いていた。

 周囲は見晴らしが良く、夜風が気持ちいい。

 

 

「…………ここに、しよっか、アリシア」



 静かにアリシアを草の上に横たえて、リメアは手頃な石を、持ち上げた。


 ザック、ザックと、無心で掘り進む。


 ザック、ザック、ザック、ザック――。


 どれくらいの時間が経っただろう。

 思い出が邪魔して、少しずつしか掘れなかったからか、山間の空が白み始めていた。

 

 ようやく、人ひとり分がはいるほどの、縦長の穴ができ上がった。


 その穴の中へ、アリシアをそっと、寝かせた。



 あの日。


 クレーターの中で、携帯食を、半分こした、あの日。

 友達だよね、って言ってくれた、あの時。


 とっても嬉しくて、嬉しすぎて。

 でも、アリシアから伝わる緊張と、アリシアの喉につっかえてたなにかに、圧倒されちゃって。

 

 すぐに、返事ができなかった。


 今なら。


 今だったら。


 どうしていただろう。


 すぐに返事をしただろうか。

 返事の代わりに、抱きしめていただろうか。


「ねぇ、アリシア」


 脱力した彼女の腕を、持ち上げる。

 こつん、と手の甲を額に当てた。

 

「アリシアは、どうしてほしかったの……?」


 彼女の日記の言葉を思い出す。

 アリシアは、リメアに嫌われないように、嫌われないようにと、気を張り詰めていた。

 いつも、リメアのためにと考え、行動していた。

 

 じゃあ、本当のアリシアは、どこにいたのか。

 アリシアの言う通り、空っぽだったのだろうか。

 

 じゃあ、あの笑顔は?

 あの、怒り顔は?

 あの、優しい微笑みは?


 どれも、アリシアがつくっていた、仮面だったってことなのだろうか。


 アリシアは。


 アリシアという、少女は。



「どうして、そんな簡単なことさえ、わたしは、聞かなかったんだろう、聞けなかったんだろう……」


 朝日が、登る。


 山の輪郭が輝き、照らされた木の陰がぐんと伸びる。


 リメアは、自分の手と殆ど大きさの変わらない小さな手を、握りしめた。


「どうして、わたしは! アリシアを、もっと、アリシアのことを、知ろうとすら、しなかったの……っ!!」


 今まで枯れていた泉が湧き出すように、目頭が一気に熱くなる。


 泣き声をあげる資格なんて、ないと思った。

 それが、罰なんだと、言い聞かせた。


 体を折り曲げて、アリシアに覆いかぶさる。

 こらえているはずなのに、ぼろぼろと零れる玉のような涙が、アリシアの頬をかすめた。


 洗いたてのような太陽に照らされたアリシアの横顔は、年相応の幼さが際立つ。

 一体どれほどの苦労と苦しみを、その表情の裏に隠していたのだろう。


「わたしと、たった親指ひとつ分くらいしか、背も変わらないのに……!」


 何が、彼女を、そこまで追い詰めて、無理やり走らせてしまったのだろう。

 自分のせいか、それとも、アリシア自身がそう望んでいたのか。


 それとも、選択肢すら、なかったのか。



 わからない。



 今となっては、何も。



 リメアは立ち上がる。

 土を寄せようと振り返り、目を見開く。

 胸が締め付けられ、息が、止まる。


 そこに広がっていたのは、陽の光を浴びて輝く広大な湖と、湖畔に佇むコテージ。

 屋根に穴が空き、壁は蔦に覆われた観光地の残骸だった。

 廃墟を棲家にした野鳥たちが毛繕いをし、朝もやには消えかけた虹がかかっている。

 それはいつしか、リメアが絵に描いた光景と少し、似ていた。


「……たった3ヶ月だよ」


 ぐっと、拳を握りしめる。

 震える口元を、歯を食いしばって抑え込む。

 

「こんなにすぐ人の体がボロボロになるなんて、知らなかったの……」


 木の脇に咲く向日葵の花たちが、陽の光を浴びて、顔を持ち上げる。

 朝露がキラキラと光り、鮮やかな黄色が風に揺れた。

 

「400年も、ずっと、ずっと暗いところで1人ぼっちで、暗くて、寂しくて。なのに、初めてできた友達と、たったの3ヶ月しか一緒にいられないなんて……おかしいよ……おかしいよ……っ!」 


 草を撫でる風音が、掻き消えそうな独り言を覆い隠す。

 

「返して、もらわなきゃ……」


 不意に口をついて出た声が、やけに耳の中で反響した。

 言葉を口の中で繰り返し、ハッとする。


「……そうだ、アリシアの魂――あの時、エーテルに、仮固定したままだ……。だったら、もしかして――ううん、きっとそう!」


 リメアは振り返ってしゃがみ込むと、おぼつかない手元で土を寄せ始める。


「アリシアの魂だけでも、返して、もらわなきゃ――」

 

 うわ言のように繰り返しながら、土を盛る。

 土にまみれた手で、髪留めを外し、墓の上に添えた。


「髪留め、ありがとう。持っていけないから、ここにおいていくね」


 そう告げると、踵を返し歩き出す。


 ふらふらと浮ついた足取りが自然と向かうのは、空に向かってそびえ立つ天体と天体を繋ぐ巨大な架け橋コズミックストリング


「あの先に、精霊がいる。精霊は、わたしのエーテルを奪った。奪ったエーテルの中に、アリシアがいる。だから、あの先に、アリシアもいるんだ。アリシアも……いるんだ……」


 ぶつぶつと呟き、視点は定まらない。

 

「っ!」


 草葉に隠れた石に、蹴つまずき、転んだ。


 ワンピースが土で汚れる。

 腕で体を起こし、そのままの姿勢で膝を見た。

 擦り傷すら、できやしない。

 これぐらいで、痛みなんて感じない。

 いじめっ子に突き飛ばされたアリシアは、それだけで怪我をしていた。


「半分精霊のわたしと人間の体が違うことなんて、わかってたはずなのに……」


 わたしが、全部、悪かったの。

 ……ほんとに?

 わたしだけが、いけなかったの?

 

 爪の中まで土の入った手が目に入った。

 注射器の傷だらけになったアリシアの腕がフラッシュバックする。


「そうだ……あんな仕事、なければよかったんだ」


 ぼそり、と無意識に呟いた。

 その時、ぽっと、胸の奥に小さな闇色の火が灯った。


「……お金を稼ぐのが、生活するのが、あんなに大変じゃなければよかったのに」


 アリシアは、いつもレシートと、にらめっこしていた。

 クレヨンが高かったって、日記にも書いてあった。

 ゆらめく黒炎は言葉にできない感情たちを飲み込み、存在を大きくしていく。


「あの塔がエネルギーをたくさん吸い取らなかったら、アリシアはきっと、孤児になんてならずに、家族と一緒にいられたんだ」


 ギリギリと、噛み締めた歯が音を立てる。

 胸の奥から湧き上がった黒い炎は喉を焼き、激情と共に溢れだす。


「誰かが! この星を、おかしくしなかったら! こんな、こんなことには、ならなかったんだっ!」


 膝に手をつき、立ち上がる。

 翡翠色の瞳は憤怒に染まり、空を睨みつけた。

 わなわなと震える小さな拳は、行き場を失いスカートの裾にしがみつく。


「精霊を――精霊をひっぱたいてやる!!」


 駆け出した足は、もう、ふらついていなかった。





-------------------------------------


 ここまで読んでいただきありがとうございます。



 あなたの中にいたアリシアは、どんな見た目をしていましたか?



 大人びた子どもって、つい見過ごされがちです……。


 レビューや応援、応援コメントいつも励みになっています! 


 感想だけでなく、感じたことやあなたの思いでも構いません。

 いつでもお待ちしています!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る