第31話 決戦

「狙いは竜の翼、奴から空を奪います」


 不幸中の幸いなことに、城門近くには訓練で使った塹壕が残っている。作りは簡素だが、使えないことも無い。あちこちに散った弓兵たちが、塹壕や大盾の隙間から顔を出して弩を構える。


 激しく大地を揺らしながら、竜がこちらへ向かってくる。疾駆してくる竜が弩の射程に入っても、まだ堪える。竜が走りながら口を開け、炎を吐き出す直前で挙げていた手を振り下ろした。


「放て!」


 私の号令で、一斉に矢が放たれる。

 弩の利点の一つは、引き金一つで射出が可能である点だ。

 斉射が容易であるし、高度な訓練を受けていなくても威力と射程が確保される。狙いもつけやすい。散発的に攻撃しても躱される可能性が高いのだが、斉射で矢の雨を降らせれば当てやすい。周りを囲んでの攻撃であれば、さらに効果的になる。


 四方から降り注ぐ扁平型に作られた竜牙矢が、竜の翼を傷つけ、穴を開けていく。

 初めて竜牙矢を受けたのだろう。巨竜は驚きの混じったような威嚇の鳴き声を上げる。


「一班から三班は、左から回り込んで竜の背後を目指せ。指揮はマルクスが執れ。四から六班は、チタルナル監督官の指揮で、右回りに竜の後ろへ。残りはこの辺りにとどまり、クコロ財務官の指示に従え」


 私の言葉が終わらないうちから、兵たちは迅速に動き始めている。マルクスが「ついてこい、俺より前に出るなよ!」と吠えながら先頭を切って走っていく。チタルナル監督官は、「あちこちに塹壕が残っている、十分に活用しろ」と落ち着いて指示を出している。


 九つの班が、それぞれ距離を取りながら竜を取り囲み、火炎が来れば大盾でいなし、前脚や翼で強襲されれば塹壕に逃げ込む。そして攻撃を受けていない班は、投げ槍と弩で攻撃を続ける。


 動きが拙い者もいるが、経験者が上手く助けている。

 巨竜は戸惑ったように、右に左にと火を吹き、手足を振り回すが竜征軍に翻弄されている。

 思ったより悪くない。だが足りない。


「これって、良くないのではなくて?」


 ジョセフィーヌが焦りを滲ませた声を上げる。


「良く戦っているようには見えますけど……ジリ貧ですわね。あの子竜を相手にしたときでさえ、わたくしは殺しきれなかったんですもの。捕縛する事なんてできっこない巨竜を相手に、どうやってトドメを刺すんですの?」


 ジョセフィーヌの不安は、そのとおりだ。動き回る竜の鱗を貫いて仕留めるのは、容易ではない。彼女は、子竜の退治にも苦戦したのだ。

 そして今は動き回る巨竜が相手なのだ。加えて竜征軍の装備は消耗が激しく、人員は急ごしらえだ。比べようも無い難局に、不安と焦燥が湧いてくるのも理解できる。


 けれど大丈夫だ。

 今は、私がいる。


「考えがあります。クインさん、こちらへ」


 私が走り出すと、ジョセフィーヌは素直について来た。


「先ほど初めて知ったのですが、竜を倒した際に習得できる神技アーツは、竜に対して特別な攻撃の効果を持つようです」


「さっき、竜麟の大盾を両断していましたわね。あれが?」


「ええ。竜を倒したものに与えられる神技“神竜鱗躯”です。短い時間ですが、竜の如き膂力と、強靭な肉体を得ることが出来ます。クインさんには、この神技を習得してもらいます」


「ふへっ? 竜を倒す神技なのに、竜を倒さないと手に入らないなんて、バカげてますわ! 一体どうするんですの?」


「オーギュストが馬鹿なことをしたと思っていましたが、今ばかりは有難い暴挙でしたね」


 私の目指す先には、縛り上げられた子竜がいる。素早く駆け寄り“神竜鱗躯”を使いその首を力ずくで抑え込む。すると子竜が暴れ、鬼殺しが付けたらしい首の傷から、血が流れる。意に介さずさらに力を込めてねじ伏せると、私の指が竜鱗を砕き、竜の首に食い込んでいく。


 間違いない。

 鍛冶師のタンヤは、竜素材を加工する際には、同じ竜素材を用いると言っていた。もしかすると竜の属性を帯びると、他の竜属性の特殊な能力を打ち消すことが出来るのかもしれない。


 きっと竜の神技である“神竜鱗躯”が私に竜属性を付与し、子竜を覆う竜鱗の神がかり的な強固さを打ち消しているのだ。


「さあ、この魔剣ならばクインさんの全力にも耐えられるでしょう。深手を負って抵抗も出来ない子竜の首です、あっさりと落とせますよ」


 私の剣を受け取り、すらりと抜くと、ジョセフィーヌは魅入られたように刀身を撫でる。


「美しい剣……。あなたって、本当に不思議。根回しだ、段取りだなんてふざけたことを言いながら、誰よりも強く勇敢な戦士だったんですのね」


「個人の武勇など、それ一つがあっても大した意味はありません。よく整えられた状況でこそ最大の効果が発揮されます。そういう意味では、現状は満足できるものではありません。だが、最悪ではない」


「皆がいる、竜装備もある。そして私がいるからでしょう?」


「ええ、そのとおりです」


 ジョセフィーヌは、にやっと笑うと神技“大鬼腕”を使い、剣を振り下ろした。竜鱗もろとも肉を切り裂き、一撃で半ばまで切断する。だが足りない。

 子竜が大きく悲鳴を上げると、背後で巨竜が呼応するかのように吠えた。


「もう一度!」


「分かってますわ!」


 ジョセフィーヌが「はぁっ!」と裂帛の気合と共に剣を振りぬいた。今度こそ、子竜の首を両断した。

 大木ほどの太さを持つ首がどさりと地に落ちる。同時に、ジョセフィーヌの体を神聖な力が包む。


「これが竜の神技ですの……っ!」


「お喜びのところ申し訳ありませんが、一息ついている余裕はありません。来ます」


 激昂した巨竜が、滅茶苦茶に火炎を吐き散らし、両前肢を振り回し、こちらへ向けて突進してくる。


「剣はそのままクインさんが使ってください」


「ジョーでいいわ」


「では私のことはジムと」


「ジム?」


「ええ」


 親しい友人は、ジムクロウをジムと呼ぶ。この名で私を呼ぶ人は、ほんの数人しかいない。


「分かりましたわ、ジム。で、どうしますの?」


「戦い方は変わりません。火炎には触れぬように立ち回る。できれば翼を破壊する。そして、逃げられる前に絶命させる。以上です」


「具体的には?」


「私と竜征軍が、ジョーを竜の下まで連れて行きます。その剣で奴の首を落としてください」


「とどめを刺すのは、ジムの方が良いんじゃなくて?」


「この数日の投獄で、私の体は衰弱しています。大丈夫、きっとジョーなら上手くやれます。信じていますよ」


「……分かりましたわ」


 頷くジョーを見て、子竜の亡骸に刺さっている竜牙の投げ槍を引き抜いた。神技“神竜鱗躯”と“大鬼腕”を同時に発動し、こちらへ駆けてくる巨竜へ向けて次々と投擲する。

 しかしそのほとんどは翼に叩き落とされ、唯一刺さった一本も、翼の竜鱗の一枚を削っただけだ。


「“神竜鱗躯”は、弓矢や投げ槍では効果がないようですね」


「そう上手い話はないってことですわね」


 当たれば確実に死ぬ火炎を避けながら接近し、爪牙を振り回す象より大きな巨獣を直接斬りつけなければならないということだ。あちらの攻撃は一撃で命を奪う可能性がある。こちらの攻撃は“神竜鱗躯”を使わなければ大した効果は無い。


 不公平な戦いだ。

 だが愚痴を言っても仕方ない。言う暇もない。


 火炎を吐きながら突進してくる巨竜を躱すため、私とジョーは二人で走った。火炎がかすめて前髪が燃えるが、体に火が移る前に、素早く髪を切り落とす。


 ようやく竜に追いついた兵たちが背後から矢を射かけるが、巨竜は左右へ跳ねまわり、ほとんどを躱す。竜の機敏さもあるが、明らかに斉射で飛んで来る矢の数が少ない。

 見れば、動いている班は、既に四つにまで減っている。


「マルクス、数が減っているな」


 竜に向けて槍を投擲しているマルクスに問う。


「火炎にやられました、不慣れな兵が混じってますんでね! それと、練習用の塹壕は作りが甘い、あんまりアテになんねーっすよ!」


 さすがのマルクスも焦っている。

 粗雑な塹壕に逃げ込んでも、生き埋めになってしまっては意味がない。塹壕を使わずに戦って火炎の攻撃にさらされれば、一つの失敗で丸焦げになる。


 どちらも悲惨だ。

 だが、ここで戦わなければ都市が丸ごと蹂躙される。

 だから、戦う。命を賭しても、ここで確実に倒す。


「矢は足りるか? 投げ槍は十分にあるか?」


「どちらもほとんどない、残りは斉射二回分と言ったところだ!」


 私の問いに答えたのは、チタルナル監督官だ。転倒したのか、顔には擦り傷があり血がこびりついている。

 髪まで泥にまみれながらも、冷静に状況を把握している。さすがだ。


「先の戦いで使い果たしていたんですわ」


「そのようですね」


 矢も槍も、もともと数は潤沢ではなかった。子竜を相手にするだけでも、よく足りたものだ。

 これでは、短期決戦などいう言葉すら生ぬるい。今すぐに決着を付けなければ負ける。


「どうするんです? まさか手詰まりなんて、言わないですわよね?」


「一気に勝負を懸けます。私が必ず奴の動きを止めるので、ジョーが奴にとどめを」


「分かりましたわ。ジムが言うのなら、間違いないですもの」


 ジョーは、この期に及んで笑っている。


「チタルナル監督官、私に大盾を二つください。それと剣を」


「わかった」


 竜の吐く火炎を避けながら、チタルナル監督官を含むひと班がこちらに駆け寄ってくる。そして何も言わずに大盾を私の前に並べる。


 チタルナル監督官は、自身の帯剣をこちらに投げ渡した。鞘には黄金の細工が入っている。緑と紫に染め上げた紐飾りが美しい。きっと代々家宝としている名剣だろう。

 だが何のためらいもなく差し出してくれた。


「クコロ財務官、合図をしたら斉射をお願いします!」


「承知した!」


 竜を挟んで反対側にいる班に指示を出すと、響くように返事がある。

 こちらも頼もしい。


「マルクス、ピラリス。自由に動いていい、援護を頼む」


「はいよ、旦那!」


「承知しました!」


 竜の左右に陣取る二人が、私の動きに合わせようと身構える。二人とも、体重を前に掛けいつでも飛び出せるようにしている。巨竜を前に、逃亡する気は微塵もない。


「ジョセフィーヌ・クインを竜の下まで連れて行く。彼女なら、必ず奴の首を叩き落としてくれる。みんな、力を貸してくれ!」


 私が檄を飛ばすと、揃って「おう!」と返事が返ってきた。誰一人背中を見せていない。

 皆の絶対的な信頼が有難い。この期待には、死んでも応えなければならない。


「ジョー、私の後ろに」


「承知しましたわ!」


 神技“大鬼腕”で大盾二つを持ち上げる。


「駆け抜けます」


 言うなり“小鬼脚”を使い駆けだすと、ジョーもピタリと私の後ろについて走り出す。


「神技を二つ同時に易々と使えるなんて、やっぱりあなた、化け物か何かかしら?」


「さすがに同時に使うのは三つまでが限界ですよ」


「化け物ね」


 私たちが駆け寄るのを見て、巨竜は翼を大きくはためかせ、地面から離れようとする。

 先ほどの好戦的な様子から、てっきり私達へ攻撃するものと思っていた。

 早速、想定が外れた。


「斉射を!」


 私が指示を飛ばすと、即座にクコロ財務官が「射ち尽くせ!」と号令をかける。弩が矢を放つ音が響き、次々と竜の翼や背へ突き刺さっていく。


 だが矢の数が足りない。二十ほどの矢を受けても、巨竜は煩わしそうに首を振るだけで、翼をはためかせた。


 その巨大な足が、土ぼこりを上げて地面を離れる。

 冷や汗がどっと流れる。


「まずい、逃げられる」


「お任せあれ」


 私の焦りを拭い去るように、青いゆらめきを纏ったピラリスが事も無げに言う。

 そして狙いすまして放った矢が、竜の翼に突き刺さる。翼先端の骨の継ぎ目を的確に射抜いている。神技を使った彼女の弓術は、まさに神のごとき腕前だ。

 翼の動きを阻害された竜は、翼をばたつかせてその場に滞空するので精いっぱいの様だ。


 そこへさらにピラリスの矢が飛来し、翼に突き立つ。翼の先端、尺骨の付け根、風切羽を次々と射抜き巨体を揺るがす。


「これで最後です、ジムクロウ様!」


 叫びつつ矢を放つと、ピラリスはその場に崩れ落ちた。神技の使い過ぎだ。あの様子だと、二日から三日は使い物にならないだろう。


 ピラリスの最後の一矢は、竜の右目に突き刺さった。瞳を貫かれた竜は、巨体を震わせ、大きく鳴き声をまき散らしながら墜落し、城壁へと叩きつけられた。

 二度も巨竜の衝突を受けた城壁は、大きな音を立てて崩れ落ちた。


 城壁に穴を開けて市街へ落ちた竜は、再び口に火炎を溜めている。街中で火炎を使われるのは、まずい。消えることのない火炎が建物を、人々の財産を、そして人命さえも焼き尽くす。

 だが、好機でもある。城壁を押し倒す形で都市内へ入り込んだ竜は、城壁や建物のがれきに動きを阻まれている。

 羽根や尾は自由には振り回せないし、火炎の射角も制限されるはずだ。


「ジョー、突っ込みます!」


「信じてましてよ、シム!」


 突進する私たちめがけて、竜が火炎を吐き散らす。

 それを両手の大盾で防ぎつつ、左右に避ける。竜の火炎は盾の裏側にも回り込んでくる。複数人で四方を防ぐわけでもなく、マルクスのような特注の大盾を使うこともしない場合、ほんの一瞬しか防ぐことは出来ない。機敏に火炎を避けながら距離を詰めるしかない。神技で素早く動く私に、ジョーもピタリとついてくる。


 だが都市を囲む水堀を越え、城壁の穴を抜ける際には、そうはいかない。ほぼ一直線に竜へ近づく必要がある。


「ここで俺の出番でしょ!」


 マルクスが、いつの間にか城壁内に入り込んでいた。大盾を構え、城壁の破片や建物のがれきを弾き飛ばしながら、竜に向かって街路を疾走する。


「うおおおお!」


 槍を投げつくしたのだろう。短剣を片手に、マルクスは竜へと突進する。

 だが竜が無造作に振り回した前脚に弾き飛ばされ、大盾ごと宙を舞った。住宅を三軒ほど飛び越え、視界の外へと落ちていく。


「よくやった、マルクス」


 この一瞬で十分だった。

 地を蹴って跳躍すると水堀を越え、城壁の穴を一直線に抜けた私とジョーが、竜へ向かって駆ける。


「私が下で引き付けます、ジョーは上から首を狙って」


「どうやって?」


「投げます。手を」


 私が大盾を一つ投げ捨てて右手を差し出すと、ジョーはすぐにその手を握った。


「いきます!」


 “大鬼腕”でジョーを上へ投げ飛ばす。ジョーは、体の均衡を保って、見事に上空へ身を躍らせた。空中で剣を抜き放ち、落下に合わせて、剣を振りぬく体勢が出来ている。

 だが、それを竜が見逃すはずもない。火炎で迎え撃とうと、大きな口を開けて上を向いている。


「させない!」

 今度は私が“大猪進”と“小鬼脚”で竜へ体当たりをする。“神竜鱗躯”も乗せた突進を受け、さすがの巨竜もたたらを踏む。だが体勢を崩しながらも、前脚が薙ぎ払われる。


 左手の大盾で受けるが、圧倒的な破壊力に、竜装備の盾が粉砕される。

 防具を失った私へ、竜がさらに前脚を振るう。身を守る物は何も無い。チタルナル監督官の剣を抜き、迎え撃つように切りつけた。


 切断された竜の右腕が飛ぶが、砕け散った剣と共に私の体も宙を舞う。


 崩れた建物のがれきに突っ込んだ私に、火炎が吐きかけられる。

 膨大な量の炎が私と周囲を包む。石材すら燃え上がっている。チタルナル監督官の剣の欠片も、火が付き焼け焦げていく。


 これは死んだかもしれない。

 だが、構わない。

 私の目は、竜の頭上で身を翻すジョーを捉えていた。


「はああああ!!」


 竜へ向けて流星の如く落下するジョーが、掛け声とともに、魔剣を振り抜く。

 “神竜鱗躯”を纏った魔剣は、窓ガラスを砕いたかのような音を立てて、竜の首を刎ね落とした。


「やった……」


 炎に包まれた私の視界にも、力なく倒れていく巨竜が見えた。

 こうして、ジョセフィーヌ・クインは鬼殺しから“竜殺し”へと名を変え、シム・ロークは戦死した。

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