第30話 破滅③
「竜征軍は、何人が戦えますか?」
オーギュストに問うと、老人は口の中でむにゃむにゃと言うばかりで、なかなか答えが返ってこない。重ねて問いただした。
「すぐに戦いに備える必要があります。何人が戦えますか?!」
「……半分くらいだ。残りは死んだか、怪我をしているかだ」
子竜の周りやオーギュストの周囲にいる竜装備の兵を数えると、確かに少ない。ざっと見ても四十人ほどだろうか。
「魔法使いや神官は?」
「魔法使いは三人いたが、ともに魔法を使い切っている。戦いには出られん。神官は全員が怪我人の治療で神殿に詰めている。今から呼んだとしても……」
間に合わない。
神官を呼ぶ暇はない。魔法使いに呪文を用意させるにしても、数日は必要だ。これも期待できない。今ある戦力で、何とかしなくてはならない。
下手くそめ。小さなトカゲ一匹を捕まえるのに、魔法使いだけでなく、竜装備の兵五十人以上を損耗するような無能な指揮官に、あの巨大な竜を退治できるわけがない。
「ベルチ執政官、今この場で私の市民の身分を回復し、竜征官に任命してください。オーギュストでは無理だ」
幸いにもここには貴族議会の面々が揃っている。この場ですぐに提案し議決できる。皆の面前で行われれば、説明の必要もない。直ちに軍へ命令を下せる。
だが、うろたえた老女は動かない。
「何を……馬鹿なこと言うんじゃないよ……! なんでアンタに……」
「では、どうするというのですか?」
「どうって……そりゃ、あれだよ……」
こうしている間にも、巨竜は近づいてくる。翼が風を切る音さえ聞こえてきそうだ。
だがこちらは何の準備も出来ていない。私の首元で、重苦しい枷が、不快な金属の音を立てた。
絶体絶命である。
この事態を打開できる人物が、一人いた。
間抜けだが、人々のために無私で戦う実直な変人だ。その決断力と行動力は、群を抜いている。その名をジョセフィーヌ・クインという。
「トナリ市民の皆様方! 護民官たるジョセフィーヌ・クインが、この場で直ちに平民議会を招集いたします!」
護民官の言葉に、全員の目が集まる。
「ここにいる平民はごく一部ですが、緊急事態につき護民官の専決で議事を進めます。正式には、後日に議会承認を得るものとしますわ。その時にトナリ市が残っていればですけれどね」
この期に及んで、ジョセフィーヌは悪戯っぽく笑う。だがすぐに表情を改めると、さらに声を張り上げる。
「まず初めに、護民官の権限を執行しますわ。先ほどの貴族議会の議決……シム・ロークの市民権限のはく奪、およびトナリ市からの追放を無効とします」
明快に言い切った。
そしてジョセフィーヌが、折れた神剣を無造作に振る。ギンと重く鋭い音とともに、私の首枷が両断され、地に落ちた。
そして彼女は、力強く続ける。
「平民議会に諮る議案は、ただ一つ。このシム・ロークという経験豊富にして勇敢な戦士を、竜征官として指名し、竜討伐において、平民に対する一切の指揮権を与えるものとする! 反対の者は意見を」
平民たちは静まり返っている。
「賛成の者は拍手を!」
ジョセフィーヌの言葉に、平民たちから割れんばかりの拍手と声援が上がる。
「決まりですわね! さあシム・ローク竜征官殿、私たちに命令を!」
平民議会の議決は、平民しか拘束しない。だが、少なくとも平民に対する指揮権限は得た。竜征軍の残存兵や平民たちを見ると、熱い視線をこちらへ向けている。私の言葉を待っているのだ。私は、腹から声を出して命令を飛ばした。
「竜征軍のうち、動ける平民はすぐに整列を! それと、負傷兵や亡くなった方の装備のうち、使えるものを集めてください! 市民のなかで、弓と大盾の経験がある者は前へ! 残りは城壁の中へ! 可能であれば、市民を誘導しながら反対側城壁を抜けて、都市外へ避難してください!」
私の指示で平民たちがあわただしく動き出す。腰を抜かした老爺を抱えて城壁内へ走る者。負傷者から竜装備を受け取り、戦列へ加わる者。皆が自分の役割を心得ているかのようだった。
その様子を自慢げに見つめながら、ジョセフィーヌが私の隣に立った。
「あなた、やっぱり
「嫌ですよ」
「だめ、決まり」
「痛いのは嫌なんですよ。それにしても、皆さんの動きが想像以上に早くて的確ですね。これなら戦えます」
「でしょう? それに比べて、貴族連中ときたら、アレですわよ」
貴族たちに動きはない。
忙しく動き回る平民たちを、戸惑ったように見ている。
ジョセフィーヌは、思い出したように貴族たちへ笑いかけた。
「ご存じのとおり平民議会の決定は、平民しか拘束しません。よって貴族の方々には、竜討伐へ参加する義務はございません。ですが私達を手伝いたければ、ご自由にどうぞ。特別に参加を許可して差し上げますわ」
意地悪く笑うジョセフィーヌを前に、ほとんどの貴族は動けない。だが、そんな中でも機敏に動く者たちがいる。
チタルナル監督官が駆け寄ってきて「大盾の扱いなら慣れている」と怪我人から盾を受け取った。クコロ財務官は「私だって、弓なら扱える」と弩と竜牙矢を抱えている。
その後ろでは、怪我人の避難を手伝うガッラとタンヤのもとへ、モブスやロンギヌスが駆け寄るのが見えた。
竜を前にして、ようやくトナリ市がひとつになったようだ。遅きに失したが、最後まで争ったままでいるよりずっといい。
あわただしく動き回るトナリ市民へ向け、空を砕かんばかりに大きな音を立てて、竜が飛来した。
「城壁に下りるつもりだ、気を付けろ!」
都市上空から急降下した巨大竜が、城壁に飛び乗ると、まるで砂の山であったかのように城壁の上部が半壊した。
そして城壁前に集まる人々に向けて灼熱の火炎を吐き出す。強い向かい風を受けながら馬を疾走させたときの風音を、何百倍にも大きくしたような轟音だった。
まず燃え上がったのは、城門の横にある兵の詰め所だった。石造りの建物も木造の馬小屋も、全てが次々と燃え上がっていく。逃げ遅れた衛兵が火だるまになり、尻に火が付いた馬が暴れまわる。
竜が炎を吐き出しながら首を巡らせると、火炎が集まっていた市民や貴族たちへも迫っていく。
「ピラリス!」
「承知しました!」
私が一声かけると、ピラリスが竜へ矢を射かける。無造作に放ったように見える矢が、竜の鼻先に突き刺さる。巨体とはいえ顔は小さいし、常に動いている。そして竜牙の矢じりは重く、狙いを定め難い。一射で命中させたのは、ピラリスの腕があってこそだ。
竜は不快気に首を振ると、城壁の上へ火炎を放った。死の炎から逃れるため、ラリスは躊躇うことなく城壁から飛び降りた。落下した先には、私の愛馬のファルクスがいる。彼女が連れて来ていたのだろう。鐙もハミも、全てが整っている。
そこへピラリスが飛び乗る様に跨ると、ファルクスは私の方へ向けて真直ぐに駆けだした。その背でピラリスは、ぐるりと後ろを向き、休むことなく弓を使った。馬上からの背面射撃にもかかわらず、次々と竜の首筋へと矢を当てていく。
ピラリスを脅威と見たのか、竜は彼女を追って城壁を飛び降りると、こちらへ駆けだした。
対竜防具を持たないピラリスは、一目散に走って逃げるしかない。だが竜は巨躯ながら、猫より身軽で、馬より素早い。ほんの数歩でピラリスの前に回り込んだ。逃げきれない。
だが私の配下は歴戦のつわものだ。この程度の危機は、手を取り合っていくらでも乗り越えてきた。
「マルクス!」
「あいよ、旦那!」
竜装備を身にまとったマルクスが、逃げる市民たちの合間から飛び出し、竜へ向けて突進していく。
接近するマルクスに気付いた竜が、大きく口を開けて火炎を吐き出そうとする。だがピラリスの放つ鋭い一矢が、竜の右目瞼に突き刺さった。
「ジムクロウ将軍の忠実なる下僕にして、世界一の弓の名手ピラリス・ヘスペリデスだ、覚えておけ。僕の矢は、全てを射抜くのさ」
馬を足だけで駆りながら、背面射ちで激しく動く竜の目を狙うなど、まさに神弓の体現だ。
ピラリスが作り出したわずかな隙を、あの男が見逃すはずもない。
「ジムクロウ将軍が配下の筆頭、城壁マルクス・エリュマントス推参!」
マルクスが、叫びながら
巨猪の勢いでマルクスが竜の前脚にぶつかると、竜が体勢を崩した。巨躯が地面を転がり、土煙と地響きがあたりを包む。
竜を完全に転倒させたマルクスだが、間髪入れずに大急ぎでその場から逃げ出す。だが、間に合わない。その後ろ姿へ向けて火炎が吐き出された。
炎はあっという間にマルクスへ追いつき、飲み込んだ。
一流の戦士が完全に不意を突いたとしても、竜の間合いに出入りするには、命を賭す必要がある。
並の戦士であれば、ここでマルクスは黒焦げになっていただろう。だが彼の持つ竜鱗大盾は、前回の竜退治の時に作った特別製だ。
通常の大盾の五倍ほどの大きさがある半球状で、その端は相手側へ向けて反り返っている。
竜の火は、矢などとは違って盾の側面からも舐めるように回り込んでくるが、それを防ぐ特別な作りだ。代償として、重量が嵩んだ。持ち上げるだけでも、大人の男が五人は必要だ。戦場で自在に動かすことが出来る人間を、私はあの弱虫男しか知らない。
「あっぶねえ、死ぬかと思った、死ぬかと思ったよ!」
大盾を巧みに操り炎から抜け出したマルクスが、泣き言を漏らしながら距離を取る。
この間にも動きを止めないピラリスが、こちらへと合流した。
「よくやった、ピラリス。ひとまず安全な距離へ移動していい。適宜、けん制を頼む」
「はい!」
「ファルクス、ピラリスを乗せて良く駆けてくれ!」
応えるように、私の愛馬が一ついなないた。
ピラリスたちは、そのまま馬を操り竜征軍の後ろに回っていく。
三人が時間を稼いでくれたおかげで、こちらは準備を間に合わせることが出来た。
残存する竜征軍に、自主的に参加した市民を混ぜ、八人ずつに分けた九班を編成し終えている。弩の弦も弾き絞られており、合図があれば一斉に引き金を引ける。
巨竜が大地を揺るがしながら疾走してくる。
「さあ、竜退治を始めましょう」
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