第23話 悪事②

 石造りの城門では、荷車が渋滞を作っている。


 トナリ市の周辺に住む農民や漁師たちは、農作物や港からの魚を積んだ荷車を、牛やロバ、馬などに引かせて夜のうちに街に入る。そして市場で荷を下ろした後、空になった荷車へ織物や酒、ゴミなどを積んで出ていくのだ。


 その車列が、いつもより長い。

 出ていく荷車が多いのだ。


「この渋滞、いつもと雰囲気が違いますわね。夜逃げの集団みたい」


 ジョセフィーヌも、分かっているらしい。


「そうですね。明らかに、町に入る馬車より出ていくものの方が多いです。家財道具を積んでいる荷車も多いですね」


 そんな会話をしていると、背後が騒がしくなった。

 街道を一台の荷車が駆けてくる。車を引くロバは、口から泡を吹いているが、それでも鞭が入れられる。城門へと近付くにつれ、御者の「どいてくれ!」という叫び声が聞こえてくる。

 誰もが一目見て異常に気付き、道を開けていく。


「竜に襲われた、東の街道だ! 手当てをするから、神殿に連れていってくれ!」


 御者が叫びながら、開いた道を進み、町の中へと入っていく。すぐに車列から商人が幾人か飛び出し、荷車に並走する。


「怪我をしているじゃないか、大丈夫か?」

「竜にやられたんだ! 荷車ごと踏み潰されるのを見た!」


 荷台には、二人があおむけに寝ている。

 一人は若い男で、頭から血を流している。意識はないようだ。


 もう一人は、黒焦げになった手を頭部の前に持ち上げている。足の先まで真っ黒で、性別も年齢も分からない。遠目に見ても死んでいると分かる。

 危急の際には、商人たちは協力し合うものだ。あれほど混みあっていた車列が、号令があった軍隊のように道を開け、見事に通り道が確保された。開いた道を、神殿へ向けて駆け抜けていった。


「急がないといけませんわね」


「ええ」


 今できることは、竜征軍の準備を確実かつ迅速に進めることだ。

 ジョセフィーヌと共に足早に街路を進むと、すぐにオーギュスト竜征官の家に着いた。


 派手なステンドグラスが目を引く大理石の建物は、装飾過多で外連味の塊のようだ。玄関の床には三頭犬(ケルベロス)がモザイク画で描かれている。訪ねた私たちを案内したのは派手な格好をした二人の若い女の奴隷だった。


 大理石製のオーギュストの像が飾られた彼の部屋へ通され、しばらく待たされることになった。日がすっかり昇ってからようやく現れたオーギュストは、微かに酒の匂いを纏っていた。


「よくぞ来た、我が腹心たちよ。昨夜は遅くまで献身的な市民たちと打ち合わせをしていたのでな、あまり寝ていないのだ。だが心配はいらん、吾輩の活力は底なしだ」


 豪快に笑いながら椅子に身を投げ出す様子は、大酒飲みの若者の様だ。だが頭はそれなりにしゃんとしているらしい。

 私が羊皮紙の束を差し出すと、表紙だけ眺めて「これは?」と尋ねた。


「およそ百二十年前のトナリ市の予算書の写しと、その概要を説明する文書です。当時出現した竜に対応するため、幾度か失敗した末に、今我々が取り組もうとしている戦術によく似た手法を用いたことが読み取れます。比較すれば、我々の戦術が効果的であり、経済的でもあることが分かります」


「うむ、素晴らしい。これでクコロ財務官を含めた慎重派も、安心して金庫の鍵を開けるだろう」


「そうあってほしいですね。準備のためにも、一刻も早く予算が執行できるようにしていただきたいところです。現金が無ければ、何もできませんから」


 オーギュストが「おや」と言う風に片目を見開いた。


「そうか、資金が必要か。ならば、すぐに届けさせよう。寄付金が集まりつつある。予定では寄付金だけで十八万セステルティウスに達するはずだが、今のところ吾輩の手元には十万セステルティウスほどしかない。残りは近いうちに届くだろう。で、どの程度が入用だ?」


「では、全てを」


「全て?」


「はい。それも急ぎです」


「ふむ……。よし、九万セステルティウスを君の家に届けさせるとしよう。吾輩の方でも予定があるからな、全部は渡せん」


「予定……ですか?」


「左様、予定だ。なに、今日にも予算案を議会に提案しておこう。この資料があれば、一両日中には通るだろう」


 口の端をしっかりと持ち上げるオーギュストの笑みには、胡散臭さが漂う。だが、任せるしかないだろう。


「承知いたしました。私は、引き続き武具の調達と兵の訓練に当たります。今のところ、どれも順調です」


「うむ、素晴らしい。流石は我が腹心たるシム・ロークだ。それと、こちらの処理も任せたぞ」


 そう言って渡された紙束は、ほとんどが飲食店の請求書だ。


「昨夜の打ち合わせの費用だ。支払っておいてくれたまえ」


「はあ、畏まりました。ですが、この娼館の請求はお返ししておきます。それと媚薬の購入伝票も」


 ぱらぱらと紙束をめくりながら、目に付いた請求書を取り除いていく。


「監査があったときには、さすがに説明がつかないでしょうから」


「おや、君は友人や商談相手と娼館にはいかないクチかな。ならば東通りの裏路地の娼館をお勧めしよう。部屋はすべて地下で窓が無いから、誰にも知られることはない。ただし蒸し暑いぞ」


「それは……貴重な情報をありがとうございます」


 使うことはない情報だ。


「あら、行くんですの? そのお店に」


 行かない。


「では、私はこれで失礼します。準備に戻らなくてはなりませんので」


「ほんとに? 今からでも娼館に行くんじゃないのかしら?」


 行かない。


 クコロ財務官への根回しなど、議会対応を任せてオーギュスト宅を早々に辞すると、今度は自宅へと足を向けた。


「さて、ここで一度解散してもよいのですが、どうしますか、クインさん?」


 ちらりとジョセフィーヌの表情を窺うと、半分面白そうに、半分は不愉快そうに唇を曲げている。器用だ。


「あら? いつもは一緒にいてほしいと頼み込んでくるくせに、今日はやけに離れたがるんですのね。どういう風の吹き回しかしら? 悪巧みでもするの?」


「はい。ちょっと悪事に手を染めます。チタルナル監督官にも言えないくらいの」


 ジョセフィーヌが、今度こそニヤリと笑った。


「頭でっかちの貴族には言えなくても、私には言える……ということは、貴族の鼻っ柱を叩き折るようなことかしら?」


「興味があるようでしたら、ご一緒にいかがです?」


「ありますわ、興味。すっごく興味ある」


 甘味を前にした少女のように目をキラキラと輝かせている。


「それにしても、あっちこっちに忙しいですわね」


「人員と予算が確保できたのです。ここからは駆け足で準備を進めますよ」


 上機嫌なジョセフィーヌを連れて仮住まいへ帰宅すると、目的の客は既に来ていた。

 客間の水牛革の椅子に座る四十歳ほどの白い肌の男は、私が入室するとすぐに立ち上がり、商売人特有の笑顔で頭を下げた。


「初めまして、シム・ローク竜征補佐官様。トナリ市で骨董美術商を営んでおりますオフェラ・ウィアと申します」


 長い茶色の髪を気障に撫でつけている。

 オフェラの隣には、よく日に焼けた大男が立っている。彼の奴隷だろう。たくましい二の腕には、鞭で打たれた跡がいくつか見える。そしてオフェラの腰には、短い革製の鞭が括り付けられている。


 室内には、大男と同じくらいの高さの置物が運び込まれており、麻布が巻かれている。私の目的の物だろう。


「初めまして。トナリ市徴税官にして竜征官の補佐を任じられておりますシム・ロークです。ご足労いただき、ありがとうございます」


 私とオフェラが向かい合って座ると、ジョセフィーヌは、黙って部屋の隅に立った。無表情でこちらを見ているが、あれは絶対に面白がっている。不機嫌ならば、もっと口の端が下がっているはずだ。

 何にせよ、放っておいて問題はないだろう。


「早速ですがオフェラさん、商品を見せてもらえますでしょうか」


「かしこまりましてございます」


 オフェラが顎を動かすと、奴隷の大男が置物の麻布を次々と外していく。


「ウィア商会では、常日頃から評価の高い商品を収集しております。今回お持ちしたのは、ロムレス王国中から集めた最上級の特別な品々です。きっとお気に召すものと確信しております」


「なるほど、これは素晴らしいですね」


 麻布の下からは、人を象った像が顔をのぞかせた。どれも赤く煌めく装飾が施されている。

 ジョセフィーヌが、小さな声で呟いた。


「竜鱗……」


「左様でございます。シム様からご要望をいただきました竜素材の美術品を、私の用意できる限りお持ちしました。こちらの像はアポロン神を象ったもので、ロムレス市で人気の画家であり彫刻家でもあるガリエヌス氏の作です。この大きな像は、英雄ジムクロウ将軍の竜退治の場面を表現したもので、先王のご子息にして王兄のグリエント殿下の作です。女神ミュラの神殿で祝福を受けたという逸話もございます至高の作品です」


 一つずつ丁寧に説明するオフェラの言葉に聞き入っている振りをしながら、竜鱗の様子を子細に眺める。

 正直なところ、美術品の価値などは全く分からない。オフェラが並べる紹介の文句も、はっきり言って胡散臭い。だがそれも仕方ない。


 オフェラは、ピラリスが見つけてきた胡散臭い男なのだ。

 チタルナル監督官の知り合いを頼れば、まともな美術商を紹介されてしまうし、取引内容が筒抜けになってしまう。そこでピラリスに“美術品を扱っていて、多少の悪事には目をつぶるような商人”を探させたのだ。ピラリスもオフェラを「信用できない男だと思いますよ」と言っていた。


 この際、それで構わない。芸術品の価値はともかく、使われている竜素材が本物であることは分かる。それで十分なのだ。


 一つの像からは、竜鱗が二十から三十程度は取れそうだ。装飾に竜牙や竜爪も使われている。状態も悪くはないように見える。

 六体の像からは、百五十ほどの竜鱗と竜牙が手に入るだろう。

 単に素材としての竜鱗や竜牙が尽きたとしても、こういったところからも発掘できるのだ。


「どれも見事です。全て購入します」


「全て……。ありがとうございます。六体で六万セステルティウスですが、五万九千セステルティウスにお値引きさせていただきます」


「それは助かります。もし他にも竜素材を使った作品があれば、追加で購入したいです。竜退治を控えていますので、戦勝祈願に多く揃えたいと考えておりますので」


 さすがに、購入してすぐに破壊するとは言えない。

 あくまで美術品として購入したと信じてもらわねばならない。


「これらほど見事ではありませんが、いくつかございます。そちらも後ほど届けましょう」


「お願いします。支払いは、竜征官の予算から支出します。流石に美術品を購入したとは言えないので、備品などの名目で請求書と領収書を作成していただけると助かります」


「ええ、勿論ですとも。そういったご要望をいただくことは多くありますので、慣れております。お任せください」


 オフェラが万事心得たというような笑みで頷いた。

 行政運営上の必要があって購入したと装い、税金で美術品などを手に入れ、横領する。時折見受けられる犯罪の手法だ。


 トナリ市でも、公費で美術品を購入して横領している者がいるのかもしれない。

 平素であれば告発したいところだし、私がそれらの輩と同視されるのは耐え難い。しかし今は非常時だ。甘んじて受け入れるしかないだろう。


「ありがとうございます。代金の用意が出来たら連絡します」


「承知いたしました。では、残りもこちらへお持ちする準備をいたします」


 大きな取引をまとめた高揚を隠しもせず、オフェラは笑顔で去っていった。

 彼らが退室してから暫らく黙っていたジョセフィーヌが、珍しく大人しい雰囲気で口を開いた。

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