第16話 事務屋と議会①

 貴族議会の知らせを聞いた私は、苛立ちを腹の中に押し込めた。


 使いの者は“徴税官ごとき”という態度を隠しもしない横柄な態度を見せ、それが一層憤りを募らせる。「直ちに議会へ参上するように」と言い残して去る使者を笑顔で見送ると、机に戻ってペンとインク壺を取り出した。


 あえて時間をかけるようにペン先をインクに浸し、書きかけの書類に向かい合う。

 神殿へ治療費を支払うための伝票や、奴隷購入に係る税金の申告書など、作成しなければならない書類は多い。

 普段はさらさらと踊るペンが、時折、羊皮紙に引っかかる。そのたびに息を一つ吐いて、指の力を抜いてペンを持ち直した。


 そうして手早く書き上げると、最初に書いた書類のインクの乾き具合を確認すると、丸めて封蝋をし、懐に入れた。ついでに、昨日のうちにまとめておいた幾つかの書類をまとめて掴む。

 残りは机の上に伸ばして置き、イーオに声をかけた。


「乾いたら封蝋を頼む。私はちょっと出かけてくる。昼食はいらないよ」


 ペンとインク壺を腰袋に入れ、足早に自宅を出た。

 早朝の空は青く、風はからりと乾燥している。

 街路には、それなりの人が出ている。馬車を繰って城門に向かう商人達の流れに逆らって、街の中心に向かって歩き出した。


 歩きながら貴族議会の知らせを反芻するが、やはり憤懣が収まらない。知らせを要約すると、「竜討伐の軍が起こされることとなり、その長として竜征官が任命される。そしてジョセフィーヌ・クイン護民官とシム・ローク徴税官を竜征官の補佐に指名する。ついては、直ちに貴族議会へ参上し拝命せよ」というものだ。


 この簡素な情報からは、様々な思惑が読み取れる。

 主導権を握りたいベルチ執政官の気性、平民であるクイン護民官を服従させたい貴族連中の腹の内、竜は何としても討伐したいという素直な思い……。

 貴族連中も、彼らなりに色々と考えているつもりなのだろう。


 だが何よりもまず、竜征官の人選を告げずに、その補佐へ私を指名するという乱暴さに腹が立った。

 もちろんベルチ執政官は、その可能性について言及していた。

 だが、言及さえすればどの様に進めても良いということではないはずだ。少なくとも、どういった人物かを事前に知らせるべきだし、可能なら議会の任命より先に顔合わせを段取りするべきだろう。


 これからそれが行われる可能性は、無いだろう。呼び出された先がベルチ執政官の居宅ならともかく、議会なのだ。ぶっつけ本番で議会に参加させられ、そこで竜征官と初対面となるだろう。


 そんな状況で、貴族議会の議員を前に「シム・ロークらに任せておけば、竜退治は大丈夫だ」と思わせることが出来るだろうか。不安しかない。


 そして、こんな早朝に前ぶれなく呼び出すとは、随分と荒いやり方だ。

 お陰で何も準備が出来ていない。

 議会へ出向くというのに、着飾る暇が無かったので、ほとんど部屋着に近い格好だ。これでは貴族連中に侮られる。いや、そもそも侮られているからこそ、この扱いなのだろう。


 徴税官のような末端の貴族には、議会の決定に異を唱えることは出来ないだろうと考えたに違いない。執政官と貴族議会の傲慢さが癇に障る。

 そして、それは事実である。

 本来の私であれば……元老院議員であるジムクロウであれば、トナリ市の貴族や執政官など、吹いて飛ばすことも出来よう。


 だが、今は低級官職である徴税官シム・ロークに過ぎない。

 徴税官とは、トナリ市貴族議会から任命されるとはいえ、金勘定と徴収や強制執行が主の官職で、世に嫌われる存在であり政治力も弱い。貴族議会の下知を忌々しいと思ったとしても、断れる立場ではない。


 益体も無い考えが、頭の中をぐるぐると回る。

 これは良くない。疲れているに違いない。

 ロムレス市からトナリ市まで、寝る間を削って五日間も移動したために、未だに疲れがたまっている。到着してからも、仮住まいの準備や執政官との面談、鬼殺しとのやり取りなど、忙しかった。


 加えて昨日は、ガッラらとのいざこざがあり、一睡もしないまま今に至っている。

 こんなにも働いているのは、トナリ市のためでもあるというのに、当のトナリ市の執政官や貴族連中が私を蔑ろにしようとする。

 いっそ正体を明かして、全員に頭を下げさせてやろうか。そんな悪意に満ちた考えに没頭したせいで、歩み寄る人影に気づくのが遅れた。


「小役人殿?」


 声に振り向くと、通りに面した大きな邸宅から、鬼殺しのジョーが出てくるところだった。二階建ての家屋に、庭がついている。中庭だけでなく前庭まであるということは、かなり裕福な家だろう。


 平民の中でもかなり富裕な商家なのかもしれない。

 腰に佩く大剣と黒い長髪が、相変わらず強い存在感を放っている。

 聞いた話では20歳になるということだが、もっと若く見える。東方の血が混じっているからだろうか。


「おはようございます。クインさんのところへも貴族議会から連絡がありましたか?」


 憤懣や懊悩を気取られるわけにもいかないので、にこやかに挨拶をすませる。


「ええ、つい先ほど来ましたわ」


「ではこれから貴族議会へ行くところですね。ご一緒にいかがですか?」


わたくしについて来たければ、好きにすれば良いですわ」


 鬼殺しはキビキビとした足取りで歩き始めた。人通りの多い道だが、器用な足さばきで人にぶつからぬように歩いている。遅れぬように隣に並んだ。


「さて、茶番が始まりそうですが、クインさんは竜征官の補佐役とやらを受けるつもりでいらっしゃいますか?」


 鬼殺しはきょとんとした顔を見せ、その後にニヤリと笑った。


「あらあら、今日は虫の居所が悪そうですわね。虫歯でも痛むのかしら? それとも昨日の頭の傷が良くないのかしら?」


「そんなに変でしょうか?」


 自分としても棘のある言葉が出てしまったと感じていたが、鬼殺しに一目で見抜かれてしまった。


「腹を減らした熊みたいに、面倒くさそうな気配ですわね。それに、私には役も職も関係ございませんわね。どうやって竜の心臓にこの剣を突き立てるか。それしか考えていないんですもの」


「なるほど」


「ま、あなたと同じで貴族連中が嫌いっていうことを隠すつもりは無いですけれど」


「そうなんですか?」


「うん、嫌い」


 鬼殺しの率直な言葉に、胸の中の曇天が青空に変わったような気がした。

 貴族議会の政治臭の強い動きを見せつけられた後に、自分の利益や保身を考えず率直に生きる彼女を見ると、何とも安心する。


「私は、クインさんのことがもっと好きになりましたよ」


「そう? 私は、あなたの事は好きでも嫌いでもないから、変に馴れ馴れしくしないで欲しいのですけれど」


 嫌われてはいないらしい。これは朗報だ。

 ジョセフィーヌとの会話ですっかり気分が変わった私は、背筋を伸ばしてゆっくりと歩いた。


 きっと、疲れから怒りっぽくなっているのだろう。

 そこに気付くと、落ち着いてきた。


 そもそも私は、竜を退治するために身分を偽ってまでトナリ市に来たのだ。手を引くという選択肢は無い。

 ベルチ執政官が強権的であることも、分かっていたはずだ。

 貴族議会が、平民や低級貴族に対して粗雑な扱いをするなど、どの都市でも似たようなものだ。


 近年、富と権力を独占している貴族に対して、平民は批判を強めている。だが、戦争や国難において率先して血と汗を流し金銭を投入することで、貴族の優越的な地位は認められている。

 名誉のためにも実利の為にも、竜討伐にあたっては、絶対に主導権を手放すことは無いはずだ。

 私の顔を見ていたジョセフィーヌが、悪戯っぽく笑いながら口を開いた。


「一昨日は、“私を竜征官に”とか仰っていましたけど、小役人殿の政治力も大したものですわね?」


「それについては、全く面目もありませんね」


 二人で笑った。

 そうして歩いていると、貴族議会の議事堂が見えてきた。石造りの建物で、神々の彫刻や装飾用の織物などが豪奢な雰囲気を醸し出している。


「クインさんは、あそこに入ったことは?」


「いえ、一度もございませんわね。平民議会にも顔を出さないくらいですので、貴族議会など縁もゆかりもございませんわ」


「そうですか。では、ご案内します」


 私も一度しか訪れたことは無いが、チタルナル監督官に案内されたので、おおよその造りは分かる。

 足早に建物に入ると、議場へ向かった。

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