第15話 事務屋と揉め事③

「捕まえますか?」


 さっきまで御馳走に舌鼓を打って寛いでいたピラリスが、そんな気配を微塵も感じさせず、弓を背負って立っている。


「こちらに対して更に危害を加えるなどといった企てがあるようなら、即座に制圧しろ。そうでなければ、接触せずに追跡し、身許の確認を」


 ピラリスは短く「はい」と答え、音もなく走っていった。鋭く光る眼と固く結んだ口元は、狩人の表情だ。

 ピラリスと入れ替わるようにイーオが駆けつけて来たので「大丈夫だよ」と言いながら戻るように手で示した。


 家に石を投げ込むなど、嫌がらせ程度の意味しか無い。

 窓には防犯用の鉄格子が備え付けられているので、窓ガラスを割ったとしても、ここからの侵入は出来ない。


 怪我をさせるつもりなら、これでは手緩い。外からでは室内に誰がいるかも分からないだろうし、人に当たるかどうかも運任せだ。実際、誰も怪我をしていない。

 他に思い付く目的は、こちらの反応を見て、防犯能力を見定めようという意図くらいだろうか。


 犯人の正体も真意も、さっぱり分からない。今、私に危害を加えようという人物に心当たりがないからだ。


 ロンギヌス氏やガッラとは、先ほど和解したばかりだ。ベルチ執政官ならば、このようなことをせずとも、そもそも自身の権限で私を排除できる。他にこの町での知り合いといえば、チタルナル監督官くらいだ。


 通りすがりの誰かによるいたずらだろうか。それにしては、貴族の家に石を投げ込むとは、やり過ぎだ。衛兵に捕まれば注意では済まない。

 割れた窓に近づいて外を見ると、通りの向こうにピラリスの後ろ姿が見えた。周囲に目を配りながら路地に入っていく。恐らく犯人を見つけて、後をつけているのだろう。


 彼女に任せておけば、ひとまずは安心だろう。一人安堵していると、今度は別の部屋からガラスの割れる音と共に「ひえっ?!」というイーオの悲鳴が聞こえた。即座に駆けだす。

 隣室を覗くと、同じようにレンガ片が投げ込まれて、割れた窓ガラスの欠片が床に散らばっている。


 イーオは頭を抱えて部屋の隅にうずくまっているが、怪我は無さそうだ。「片づけを頼むよ」と言い残して、屋外へ出た。


 日が落ちようとしている薄暗い街路だが、まだ人通りは残っている。

 大半が、仕事を終えた労働者や夕食を外で済ませようと露店などに向かう市民だ。人波の中から犯人を探すべく、左右に目を走らせた。ピラリスの姿が見えないことから、彼女は未だに追跡中だと分かる。つまり、先ほどとは別の人物が投石したはずだ。


 住宅や店舗を挟んだ五軒ほど先で、手ぶらの男がこちらに背を向けつつ細い路地に入るのが見えた。確信があったわけではないが、私はその姿を追って走った。

 仕事終わりであれば、仕事道具を持っているはずだ。食事が目当てなら、一人で歩いているはずがない。一人で、手ぶらで逃げるように遠ざかる様子は、疑う理由にはなる。


 違うかもしれないが、その時はその時だ。半分は諦めながらも路地に駆け込むと、答えがあった。


 路地の先ではガッラがいた。ロンギヌスの店にいた他の鍛冶師もいる。

 状況を鑑みるに、彼が私に危害を加えるはずが無いと思っていたが、そうではなかったという事だろうか。考えがまとまらないながらも近づいていくと、背後に人影が差す。

 ガッラの仲間が路地の入口を塞いでいる。


「何か御用ですか?」


「こういう用だよ!」


 ガッラの太い腕が私の首元を掴み、路地の壁に押し付ける。ガッラの仲間たちも寄ってきて、私の両腕を抑え込む。三人の屈強な男にねじ伏せられてしまった。


「つまり、どういうことですか?」


「余裕あるじゃねえか。その余裕も自信も、ぶっ壊してやるよ」


 彼の害意は疑いも無い。だが、意味が分からない。


「先ほどの件は終わったものと考えていたのですが……」


 私の言葉を遮るように、ガッラが体重を込めて壁に押し付けてくる。


「俺はよぉ、子どもの頃にロンギヌス組合長に買ってもらった奴隷なんだ。200セステルティウス程度の、痩せたチビだったよ。でもな、組合長は俺に鍛冶を教えてくれた。必死に働いたら、勘定や読み書きまで習わせてくれた。組合長が解放してくれて自由市民になった後も、それまでどおり店で働かせて欲しいって自分から頼んだくらいだ」


 喋りながら感情が高ぶったのか、ガッラの腕に力が入る。野太い腕が、私の首もとをギリギリと締め上げる。


「もっと頑張れば、そのうち番頭として店の一つも任せてやるって、そう言ってくれたんだ。俺にとって組合長は、親みてえなもんだ。それなのに……ロンギヌス組合長に頭を下げさせちまった、恥かかせちまった。これが落とし前をつけずにいられるかよ!」


 私は遅ればせながら気付いた。この男は、馬鹿だ。

 ロンギヌス氏への忠誠心は本物だろうが、この行動がロンギヌス氏へ迷惑をかけると気付いていない。ロンギヌス氏も望んでいないし、そもそも知らぬ事だろう。せいぜい、ガッラの気が晴れるという程度の、誰にも得が無い行動だ。


「こういうことは、やめた方がいいですよ。ロンギヌスさんの為にならない」


「それで詫び入れてるつもりか? でも遅かったな。腕の一本くらいは潰さねえと気が済まねえ。おい、石持ってこい」


 差し出された大きな石を受け取ったガッラは、私に向かって振り上げた。これは、いよいよかもしれない。

 覚悟を決めたその時、路地に人影がさした。


「お困りの様ですね、小役人殿」


 “鬼殺し”ジョセフィーヌ・クインだ。そう気付いたときには、鬼殺しは疾風のごとく駆け出していた。

 常人であれば、その姿を視認することすら困難な速度だ。一呼吸でこちらまで距離を詰めると、長剣を抜き払い、ガッラに向けて躊躇いなく振った。


「なんだ、てめえ……」


 怒鳴ろうとするガッラの右腕が、ボトンと落ちた。


「うあああ!」


 ガッラが悲鳴を上げて倒れる。その腕は、手首と肘の真ん中ですっぱりと切断されている。傷口からは、ボトリボトリと大粒の血が落ち、石畳を点々と赤く染めていく。


「まだやるなら、次は首ですわね」


 鬼殺しは、笑うでも声を荒げるでもなく、淡々と告げる。


「ひえっ!?」

「うわぁ!」


 鬼殺しに剣を向けられて、ガッラの連れが悲鳴を上げて後ずさる。生意気な小男を一方的にいたぶってやろうという程度の認識だったのだろう。自分たちが怪我をするなど、考えてもいなかったに違いない。


 歯の根も合わぬほどに怯えながら、片腕を失って倒れているガッラを引きずり、ほうほうの体で逃げていった。

 それを見て、鬼殺しは満足げに剣を鞘に納めた。


「こうなると思っていたんですのよ? 貴族連中は、よく分からない理屈で物事を解決した風に扱うけど、あいつの気は済んでいないってことは、丸わかりですもの。相手が監督官や護民官なら萎縮するかもしれないけど、ひ弱そうな徴税官なら、痛い目にあわせてやろうって悪だくみするんじゃないかと踏んだというわけですわ」


 ガッラの短慮は、私の想像を遥かに越えていた。だが鬼殺しにはよく分かっていたらしい。


「ありがとうございます。おかげさまで私がこの細い腕で抵抗せずに済みました」


「ああ、勘違いなさらないように。小役人殿なんかをわざわざ助けたのは、もちろん竜退治のために決まってますわ。あのガッラがいなくても、竜退治に何の変りもありませんけれど、あなたがいなくなれば効率が悪くなるんでしょう? 執政官や監督官に任されて、色々と準備を進めているんだから」


「それは、そうかもしれないですね」


 よく分からないが、全く見捨てられているわけではないようだ。


「これを恩に着ても良いですけど、気にしなくてもいいですわ。あなたの為ではないのですから。それじゃあ、今後もせいぜいお気を付けて」


 そう言うと鬼殺しは、慇懃に一礼すると、来た時と同じようにふらりと去っていった。


 残されたのは、落とされた右腕と、血に濡れた石畳に立つ私だけだった。

 ガッラに襲われるのが想定外なら、鬼殺しが現れるのも想定外だ。

 いつものことながら、何もかもが不思議な方向へ転がる。釈然としないものを抱えながらも、足元の腕を拾い上げて帰路に着いた。


 しかし、帰ってからも、すぐに休めたわけではない。窓ガラスは割れたままだし、鬼殺しの登場で活躍の場を奪われたピラリスの不機嫌を宥めなければならなかった。加えて、ロンギヌス氏とのやり取りもする必要があったし、医神の神殿に赴き、さらには書類を整えなければならなくなった。


 結局、机に向かいながら、うとうとする程度で、ほとんど夜を徹して仕事を片付けた。


 翌朝、貴族議会からの使いを迎えたとき、私は寝不足で、あくびを噛み殺していた。伝言の内容は、竜征官の人選が終わったことを告げるものだった。


 竜征官は、私でも鬼殺しでもなかった。

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