第11話 事務屋と鍛冶屋②
「クインさん、お会いできてよかった」
私の声に、鬼殺しが素早く振り返る。
黒い長髪から僅かに汗の臭いがするのは、体を動かしていたからだろう。
「あら、小役人殿ではありませんか。昨日は、その、どうも。あんなにクソ雑魚……ひ弱と思わなかったんですの、申し訳ありませんわ」
鈴の鳴るような爽やかな声で、ずけずけとした物言いを放り込んでくる。
「いえ、弱くて申し訳ありませんでした。……クインさんは、毎日ここで稽古を? 昨日はマルスの丘に遠出されていらっしゃいましたが、お疲れではないですか?」
「体を動かさない日が一日でもあると、我慢ならないんですの。翌日の動きにキレが無くなりますわ。あなたのような弱虫には分からないかもしれませんけれど」
「確かによく分からないかもしれません。私は、どちらかというと事務仕事の方が好きですからね」
鬼殺しは微笑みながら頷いた。
「
知っている。
私の部下だ。
「彼は、毎日欠かさず一杯の葡萄酒を飲むそうです。それが
そんなに良い話ではない。
ただの酒好きで、毎日飲まずにはいられないだけだ。それにマルクスなら、一杯どころかひと瓶を空ける。
「疲れていようと雨が降っていようと、最低限の修練は続けるというのが私の信念ですわ。それが例え竜と戦う日であっても、ね」
「なるほど、それは素晴らしいですね。ところで、私はこれから竜退治の準備に向かうのですが、よろしければクインさんもご一緒にいかがですか?」
「私が? あなたと?」
「ええ、もちろん。私の働きに不満があれば放逐しろという言葉は、嘘ではありません。最短で竜を討伐する道筋を進むつもりです。ぜひ一緒に歩んでいただきたい」
鬼殺しは、頬に手を当てながら値踏みするように私を見て、ふんと鼻を鳴らす。嫌われてはいないのだろうが、信頼されてもいないという様子だ。
「竜を倒す最短の道……ですの? まずは何から?」
「兵たちが使う武器と防具です。竜を相手にするには、それなりのものを用意する必要がありますので、一番に手を着けます」
言いながら、彼女の追随を期待して先に歩き出した。
少し迷った風だったが、すぐに鬼殺しはきびきびとした足取りで隣に並んだ。まず一つ、勝ちだ。
街を歩いていると、鬼殺しに街の人の目が集まる。
「クイン護民官だ」
「やっぱり風格が違うよ」
「ジョセフィーヌ様……美しい……」
色々と彼女を噂する声が聞こえてくる。やはり平民には人気があるようだ。だがそれを機に賭ける様子はない。彼女にとっては日常なのだろう。
「竜退治の武具……どんなものを用意するのか、楽しみですわ」
笑顔を見せる鬼殺しだが、もちろん少女の可憐な微笑みなどではなく、獲物を前にした肉食獣のそれだ。
「ところで、今日はあんまりインク臭くないような気がしますわね。これは何の香油かしら?」
鬼殺しが私の頭上で鼻をすんすんと動かす。背丈が一回り違うので、彼女が私を見ようとするとうつむくことになるし、私は見上げる格好になる。
「チタルナル監督官と風呂に行ったのですよ。香油は彼から借りたので、詳しくは……」
「いつも不思議に思っていたんですけれど、男って、どうして連れ立ってお風呂に入るのかしら? もしかして、そういう関係?」
「そういう関係の人もいるかもしれませんが、私と彼は、そうではありませんよ。打合せなければならない事が多いので、食事も風呂も一緒になることが多いのです」
納得したのか、していないのか、鬼殺しは「ふーん」と言いつつ、少し白い目付きで私を見る。
話している間に、目的の建物に着いた。
武具商組合長であるロンギヌス氏の店は、大通りに面した石造りの大きな商店だった。前面は全て扉になっており、今は開け放たれている。中には槍や短剣、大盾、弓などがところ狭しと並び、売買の打合せに熱をいれる客と店番の組み合わせが何組もいる。奥からは、時折控えめな鎚音が聞こえてくる。
入口に立ち、店の奥へと声をかける。
「徴税官のシム・ロークと申します。チタルナル監督官の紹介で参りました。武器と防具の拵えをお願いしたいと考えております。ロンギヌスさんは、いらっしゃいますか?」
すぐに奥から体格のよい男が出てきた。
「はいよ、話は聞いてるぜ。俺はガッラ・ハラツカス。ロンギヌス組合長の弟子筆頭の一人だ。組合長は外に出てるから、とりあえず俺が話を聞くぜ」
刈り上げた短髪に裸の上半身、隆々とした筋肉、どこを見ても鍛冶師らしい鍛冶師だ。
私の華奢な身なりと、徴税官という低い官職から侮られるかとも思ったが、今のところその気配はない。監督官の威光が効いているのだろう。
「私達は、ベルチ執政官とチタルナル監督官の下で、竜退治の準備を始めています。そこで、少し特殊な武具を用意したいと考えております」
「お、それでうちを選ぶとは慧眼じゃねえか。このロンギヌスの店は、ロムレス市の戦士や元老院の武将とも取引のある名店だからな」
ガッラが得意気に鼻をこする。
「で、特殊な武具っていうのは、どんなものだ? 竜殺しの英雄が使っていた伝説の武器だろうと、仕入れてみせるぜ」
「いえ、私たちが欲しているのは、英雄が使う伝説の武器ではありません。普通の武具に、ちょっと手を加えるだけです」
懐から竜鱗と竜牙を取り出した。
「これらを素材に、新たに武器防具を揃えたいのです。一つではなく、何十という数を」
竜鱗は、鬼殺しのせいで半分切れているが、見れば何かは分かるだろう。竜牙は、拳ほどの大きさの物を選んで持ってきている。大きいものだと肩に担ぐことになってしまう。
「こいつぁ何だ? 珍しいものかぁ?」
ガッラが不思議そうな顔で鼻をこすっている。
「竜鱗と竜牙です。竜鱗の大盾と竜牙の矢、そして投げ槍を多く用意したいと考えています。大盾は少なくとも50、矢と投げ槍はできるだけ多く欲しいですね」
「聞いただけでも、胸が踊るじゃねえか。でかい商売になりそうだ。ただ、そんなの仕入れたことがないなら、結構な時間がかかるぞ」
「既成の物を仕入れるのでは、かなり難航するでしょう。竜装備は竜退治の時にしか必要とはならないので、どこも多くは扱っていないと思います。迅速かつ確実に数を揃えるためにも、こちらで作っていただきたい」
ガッラがぐっと眉をしかめる。
「うちで作るのか……。経験は無いが……完成品はどんな物になるんだ?」
「竜鱗は大盾の正面に隙間無く取り付けて、竜の火炎を防ぎます。竜牙は矢じりとして使います」
「なるほど……。ちょっと触らせてもらうぞ」
ガッラは竜鱗に釘や刃物を当てるが、傷一つつかない。「なんだこりゃ、どうすりゃいいんだ?」などと唸りながら竜鱗をいじくり回していると、奥からも鍛冶師風の男が二人現れ、ガッラの手元を覗き込む。
「革みたいな柔らかさなのに、刃が通らねえぞ」
「竜素材の美術品とかなら、仕入れたことはあるんだけどなぁ」
何やら額を合わせて相談をしている。
どうやら竜の素材を加工したことはないらしい。三人で釘や金づちを取り出し始めた。
それを冷やかな目で見つつ、鬼殺しが厄介な一言を放った。
「この店は止めにした方がよろしくてよ。経験不足のうえに、腕が悪そうですわ」
周囲の空気が凍り付く。ガッラ達三人が一斉にこちらを見た。
だが鬼殺しはそれを気にもせず、壁際に歩み寄り棚に並ぶ短剣を一つ掴むと、じっと観察しながら手の中で弄ぶ。
「ほら見て、この短剣。ちゃらちゃらと乾いていて、質が悪いですわ。良い鉄で打った剣は、しっとりとして手に馴染むのに。こんなものを持って戦いに身を投じていたら、命がいくつあっても足りないってもんですわよ」
ジョセフィーヌ・クインの声は、凛としていて良く通る。ほんの少しの発言で、店内の耳目を集めていた。ある者は面白そうに、別の者は緊張した様子で、こちらを見ている。
ガッラが骨太の体揺らしながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。自分たちの店の中で、ここまで歯に衣着せぬ評価を口にされえては、黙っていられないだろう。
「何か言ったかい? いけ好かないお嬢ちゃん。この店は元老院議員も御用達の名店だ。俺の聞き間違いだよな?」
ガッラと共に竜鱗をいじっていた二人も、私達の左右に立った。
日頃から鎚を振り、大盾や長槍を扱う荒くれ達だ。二の腕は私の胴より太いし、背丈は私の倍くらいある。
左側に立った赤髪がこれ見よがしに腕をまくり、右手の髭男は大槌を担ぎ上げている。だが、鬼殺しは気にした風もない。
「この武具屋は経験不足で腕が悪そうだと言ったけど、間違いでしたわ。耳も悪いですわね」
「てめぇっ!」
ガッラが鬼殺しの顔面を殴りつける。筋肉の塊のような右腕が振り抜かれるが、彼女は軽く左手を掲げると、その拳を悠々と掴んで止めた。
「もう一つ間違えていましたわ。喧嘩の腕も、大したことないですわ」
表情一つ変えない鬼殺しと額に青筋を立てるガッラとの間に、私は体を滑り込ませた。
「クインさん、ちょっと大人しくしてください。すみません、ガッラさん。私達は決して……」
だが、私の言葉に耳を傾ける者はいない。激昂したガッラたちが一斉に殴りかかってきた。
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