異常編集がらどんどん~編集者ではない~
よるめく
第1話
その日は至って平穏だった。窓ガラスがドロップキックで割られるまでは。
「トドオカさぁぁぁぁぁぁん! 匿って……匿ってください!」
ガラスを割って事務所に転がり込んできたのは、ラーメン大好きぴのこさんである。トドオカは新連載を読むのをやめて、面倒くさそうに鼻をほじった。
「なんやぴのこ、朝っぱらから騒々しい。今日はジャンプ読むって決めてんねん」
しかしぴのこは事務所の中を、買われてきたハムスターのように歩き回り、トドオカ備蓄のカップラーメンを食べ、天井にマンホールを設置した。
ぴのこはトドオカの前で音速の反復横跳びをし始める。彼は脇にノートPCを抱えていた。
「すみませんトドオカさん。でも俺もなんかちょっとヤバくて……」
ぴのこは頭部をパトランプのように赤い光を放ちながら回転させる。
トドオカは眉間にしわを寄せ、ジャンプを置いた。ただならぬ事態だ。
「どうした、こないだ作ったインスタント
「それもあるんですけど……それ以上にちょっとヤバくて……。とりあえず隠れていいですか? 誰が来て俺はいないって言ってください。なんか来たら俺、あのマンホールから逃げますんで……!」
ぴのこは先ほど設置した違法建築マンホールを親指で示した。
すると天井に取り付けられたフタは爆発し、煙の中から何者かが落下してくる。
ぴのこは上半身を180度回転させて振り返った。
落ちて来たのは、筋肉だった。上半身裸で筋骨隆々の肉体を持ち、紫色に光る両目と蒸気を吐き出す口。そして腰に巻いた猪毛皮と顔の両側に生えた猪の牙。格闘ゲームの如き超常暴力存在が反社の事務所に現れたのだ。
トドオカは椅子から立ち上がり、全身に漫画の名場面タトゥーを浮かび上がらせる。本気の臨戦態勢だ。
超常暴力存在が一歩踏み出す。マグニチュード8! 恐るべきハムストリングス!
超常暴力存在は口から白い煙を吐きながら呪詛を吐き出した。
「ぴぃ~~~~~~のこさぁぁぁ~~~~~~~~~~ん……!」
「ぴのこ、こいつは……」
トドオカが何か問うより早く、ぴのこはトドオカを連れて外へ飛び出した。トドオカ事務所のガラスが全損! そしてトドオカ事務所が爆発四散した。
「トドオカさん! 逃げてください!」
「お、おう!?」
ぴのこに背中を押され、トドオカは走り出した。その辺に違法駐車されていたポルシェ2台でローラースケートをしながら全速力で公道を走る!
「ぴのこ、一体誰なんやあいつは! 元カノか!?」
「俺の恋人はチャーシューだけです! 猪は守備範囲外ですよ!」
ぴのこはしきりに背後を確認しながらノートPCを開いた。爆速でタイピングをしながら、彼は額に浮かんだ汗をぬぐう。
「あれは……がらどんどんさんです!」
「なんやて!? 前髪切ったんか!?」
トドオカは超常暴力存在の姿を思い出す。がらどんどんはぴのこの命を虎視眈々と狙う謎の猪だ。最近発売されたライトノベルによると、彼のルーツは三国志の猪八戒にまでさかのぼることができるという。
だが事務所を吹き飛ばしたのはムキムキ人間のそれであり、猪要素はファッションしかない。だいぶ見た目が違うのだ!
ぴのこは息を切らしながらタイピングを続けている。
「あの人は……なんか知らんうちにトドノベル欠乏症の禁断症状が出たらしく……新作を書かない俺を殺そうとしてるんです!」
「なら早よ書かんかい!」
「今書いてます! でもがらどんどんさんは10万文字書けって言うんですよ! カクヨムコンの応募要項を満たしてるんですよ! そんなすぐ書けるわけないじゃないですか!」
「ちなみに、いつ言われたんや?」
「8時間前です!」
その時、トドオカポルシェスケートの前方で地面が陥没し、激しく波打ちながら放射状に砕け散った。
トドオカはとっさにぴのこの首根っこをつかんで跳躍。崩壊に巻き込まれたWポルシェがもやしになっていくのを眺めつつ、手近なスフィンクスの上に着地。
爆心地にいるのは当然、がらどんどんだ!
「ぴぃぃぃのこさぁぁぁぁぁん……新作まだですかぁぁぁぁぁ……!」
「まだです! 10万文字なんて数時間で書けるわけないでしょ! それに今日は新作ケヒャリストラーメン屋に行く予定が……」
ぴのこが言い終わる前にがらどんどんの姿が消えた。トドオカは即座に気配で察する。背後を取られた! 瞬時に飛び出したトドオカの背後で、スフィンクスが断末魔の悲鳴を上げた!
「ぽぎゃあああああああああああ!」
「スフィクス―――ッ! がらどんどん、よくも無害なスフィンクスを!」
「だめですトドオカさん、逃げてください! やっぱり今のがらどんどんさんに言葉は通じません!」
「ええい!」
トドオカはぴのこを背負って全速力で走り出す。がらどんどんが追跡してくる!
「ぴのこさぁぁぁぁぁぁぁぁん! 締め切り過ぎてますよぉぉぉぉぉぉぉお! 締め切り守れない作家は味噌煮込み生ハムですよぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「ぴのこ! 早よ完成させんかい! 名古屋名物になってまうぞ!」
「そんなこと言ったって……!」
ぴのこはトドオカの頭にノートPCを置いて必死にキーボードを叩いている。
だが書いているのは本文ではない、プロットだ。勢い任せで10万文字は難しい。
何より、がらどんどんが満足できなければ、どのみちぴのこは名古屋名物行きである! 手は抜けないのだ!
それに加えてもうひとつ、問題があった。ぴのこの腹が鳴る。ぴのこの視界が霞み始める。ラーメンが足りていないのだ。
「く、くそっ……ラーメンが、創作意欲が……ッ!」
「朝ラーメン抜いたんか!」
「昨日の夕ラーメン、夜ラーメン、深夜ラーメン、丑三つ時ラーメンもです……!」
「ぬぅっ、ぐぐぐぐぐ……!」
トドオカは唸りながら加速する。四度ものラーメンキャンセルはぴのこに多大な負担を強いているに違いない。まずはラーメンを食わせねば。
トドオカはポケットの週刊少年ジャンプを取り出す。適当に開いたページから何かの天啓を受けると、道の角を曲がって狭い路地裏に飛び込んだ!
がらどんどんがそのあとを追う。しかし発達しすぎた僧帽筋のせいで路地裏に入ることができない!
「ぴのこさぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
「よし、これで時間を稼げるで! ラーメン屋はすぐそこや!」
トドオカは網膜に浮かんだ脳内天啓ラーメンマップを凝視する。この路地裏を出て右折し20メートル先に行けばラーメン屋がある。そこでラーメンを食べさせる!
トドオカの足が路地裏を飛び出し、陽の光を浴びた。同時に、足元に亀裂が走った。黒い稲妻のようなひび割れが。
発生源は路地裏に入れなかったがらどんどんだ。彼は両手を地面に突き刺し、両開きの扉のように地面をこじ開けようとしていた。
「ぴぃぃぃぃぃぃのぉぉぉぉぉこぉぉぉぉぉぉさぁぁぁぁぁぁぁぁん! 入港するまでラーメンは禁止って……言いましたよねええええええええええええええ!」
亜音速トレーラーとブラックホール脱出スペースシャトルが激突したかのような恐るべき破壊音が響き渡った。がらどんどんは地割れを起こして路地裏を強制的に押し広げ、開拓したのである。
トドオカの背筋が凍った。足元が一瞬にして深い暗黒の谷に変わり、着地できなくなってしまった。このままでは化石に変えられ、発掘は60億年後になるだろう!
何より背後のがらどんどんから逃げられない!
「ぴのこさんをぉぉぉぉぉ……缶詰にしちゃいまあああああああああああす!」
がらどんどんが地を蹴った。一度のジャンプで急加速したその姿は、ロシアのマタギを殺戮し、地中海を粉砕した伝説のジビエの呪いミサイル伝説を彷彿とさせる。
トドオカは歯を食いしばりながら振り返る。谷に落ちるか、がらどんどんに激突粉砕骨折させられるか、ふたつにひとつ!
「いや、まだや! 道はもうひとつある!」
トドオカは渾身の力で後ろ回し蹴りを繰り出した。地に足のついていない、力のこもらないキックはがらどんどん首筋筋肉によってあっさりと受け止められる。
しかしこれで、踏ん張るものができた。がらどんどんの首筋を足場に、トドオカは真横へと跳ぶ。ラーメン屋がある方向に!
「ぬおおおおおおおおおおおお!」
「うわああばばばばらばらばらば!」
風圧で空いた口の塞がらないぴのこを伴い、トドオカはダイナミック入店! チャーシューウェルカムマットの上に着地し、注文をした。
「ラーメン一丁!」
「いらっしゃい! ラーメン一丁!」
「ラーメン一兆!」
店員の勇ましい声がこだまする。注文は済んだ。問題は、迫りくるがらどんどんだ! ラーメンが来るまであれを留め置かねばならない!
がらどんどんの体は体脂肪率がさらに低下し、筋肉がさらに盛り上がっている!
「なんでラーメン食べちゃうんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 執筆終わるまではカップ麺で我慢するって約束したじゃあないですかあああああああああ!」
「約束したんか?」
「してないですね。なんか編集者みたいな顔してますけど、別にあの人、俺の編集者じゃないですからね!」
「せやのにこの執念か……もはやただの編集者ちゃうな。トドノベル偏愛によって生まれた存在……“偏執者”や!」
トドオカは足を肩幅に広げて身を沈める。
果たしてラーメンは間に合うか。ぴのこの執筆はいつ終わる。それまでがらどんどんを押さえられるのか?
アンストッパブル編集者が突撃してくる!
つづく
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