第11話 いつわりの恋人


 ガタンゴトンッと、ゆれる電車。


 他人と肩がぶつかりあう満員車両のなかで、吊り革に摑まって車窓を流れる景色をながめる山吹は、旭について考えた。


(とりあえず、告白の返事は保留にさせてもらったが、おれには、旭くんをよろこばせる自信なんてないぞ。人づきあいで苦労するのは職柄だとしても、この方角からは人生初だな……)


 山吹のモテ期は三度あった。小学四年生と中学二年生、社会人になって一年目のことである。自ら選択した女性と交際した結果、社会人の彼女とはベッドインもしている。つきあって半年ほどで、互いに仕事が忙しくなり、時間に余裕が持てないという理由で別れた。当時も今も、ふたりのあいだに未練はない。


(旭くんは、おれの過去を知らないはずだ。女性を抱いた経験をうちあけたら、ショックを受けるかもしれない。……気は引けるが、黙っておくべきだろうか)


 いつもの駅で下車して改札口を通りぬけると、朝から気温は高く、ふりそそぐ日ざしに頭がぼうっとした。快適さを求めて花屋へ足を運びたくなる山吹は、双子の誕生日が近いことを思いだし、なにか買ってあげるべきか迷った。



 いっぽう、気持ちを伝えてアパートの合鍵までゲットした旭は、レストランのシェフと電話口で話していた。


『おはよう、旭。きのうはよく眠れたかな』


「なんだよ、紫信しのぶ。馴れ馴れしく電話かけてくるなよ。ってか、おれがいつ番号を教えたっけ? どうせ、事務所にある履歴書を勝手に見たんだろ」


『さてね。どの道、今から花屋へ品物を取りに行くところだ。そのときは顔を見せてくれ。きみが出てこなければ、弟くんに鞍替くらがえでもしようかな』


「やめろ。あかねに手をだしたら承知しねぇぞ」


『威勢がよくて結構。俺の本命はきみだからね。あすのアルバイトだが、タイムカードを打刻したあとは帰らずに裏口で待っていろ』


「なんで? どこへ連れていく気だよ」


『俺のマンションだ。旭の好きなものを作ってやるよ。誰にも邪魔されず、ゆっくりディナーを愉しみたい』


「あんたのマンション?」


『当日は着がえを持参するといい。朝まで帰さないからね。……逃げるなよ』


 石蕗つわぶきは一方的に通話を終えて回線を切る。云うとおりにマンションへ向かえば、ディナーのあと押し倒されそうな気もするが、弟の茜を巻きこむわけにはいかない。


「紫信のやつ、なにが鞍替えだ。おれには、もう恋人ユウタがいるンだからな」


 散らかった部屋の床へ携帯電話を放り投げて苛立つ旭は、深い溜め息を吐いた。



 石蕗との出逢いは、一年半くらい前である。当時、大学生だった茜より、高卒後から花屋を手伝うようになった旭は、ふらりとあらわれた石蕗に、「いらっしゃいませ。お探しの花はなんですか」と声をかけた。季節は残暑につき、タンクトップに短パン姿でエプロンを身につける旭を見た長身の男は、微かに目を細めた。


「若いね。きみはここの店員なのか?」


「この花屋はばあちゃんのだよ。おれは高校を卒業してすぐ、手伝っているだけだ。……あんた、外国のひと?」


 石蕗は、すらりとのびた足に、青みがかった眼をしている。皺のない澄みきった白いシャツに、夏仕様のニットベストを着こなしている。足もともおしゃれで、ゴールドビット付きのローファーである。全身をチェックする旭の視線は無遠慮に思えたが、石蕗はクォーターであることと、名前を告げた。


「ツワブキ……? へえ、植物の名前だな。おれは春原すのはら旭だ」


「旭か、よろしく」


「いきなり呼び捨てかよ。だったらこっちも、紫信って呼ぶからな」


「それで構わない。ところで、食用花の仕入れは頼めるのかい」


「あんた、花をう趣味でもあんの」


「俺の働くレストランで、料理に使うんだ。それに、もし食べるとしたら、花よりも、きみのほうがおいしそうだね」


「は? 今、なんて……」


 おもむろに旭の腰へ腕をまわして引き寄せる石蕗は、あっさり口づけた。初対面の男にファーストキスを奪われた旭だが、どういうわけか身動きできず、なすがままのキスを受けいれた。口腔へ舌がはいってきて、石蕗の熱い吐息をのみこんでしまう。


「……おい、なんの真似だ」


「ふむ、キスをしたことがないのか? 息継ぎが下手だね」


「ば、ばかにしやがって!」


「かわいい反応だ。気に入ったよ。俺の恋人ものになれ」


「ふざけんな。誰があんたの玩具ものになるかよ。食用花の注文なら、そこの紙に書いて、さっさと帰れ」


 花屋のドアに[エディブルフラワーあります]という張り紙を見つけた石蕗は、まずは飾り程度に使ってみるかと判断し、なんとなく立ち寄ったにすぎない。ところが、店番をしていた旭は、興味をそそるには充分なほど、魅力的な容姿の持ち主だった。この生意気な少年を、ベッドの上であえがせたいという欲求がこみあげる石蕗は、この出逢いに、たまらなく興奮した。


 差しだされたペンを受けとり、必要事項を書きこむ石蕗は、警戒して安全な距離を保つ旭を一瞥し、笑みを浮かべた。


「旭、彼氏がいなければ俺とつきあえよ。退屈はさせないし、きみをよろこばせる自信はあるよ」


「立候補なら、ご勝手に。あんたみたいなナルシストを選ぶくらいなら、白馬の王子様を夢みるほうがマシだ」


「白馬の王子か。まさに、俺のことだと思うが、そのうちわかるだろう」


 茜が大学を中退して花屋を手伝い始めたので、同じ顔がならぶと客が混乱するだろうと思った旭は、生活をより安定させるためアルバイトを決意した。数日後、店にやってきた石蕗は、求人情報のチラシをながめる旭を見て、レストランの清掃員を募集していると紹介した。面接に行った旭は、まっ白なユニフォームを身につけた石蕗シェフとの対面する。



「マジかよ……」


「どうだ、旭。白馬の王子様が目の前にいる気分は」


「はあ? じぶんで云うか、ふつう(くそっ、腹が立つけど、すっげぇイケてるじゃん!)」



 こうして、旭は、フレンチレストランとフラワーショップ・フルブルームの仕事をかけもちすることになった。



❃つづく

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