第5話

(久城紬 視点)


朝、廊下を歩くと、クラスの女子たちの視線がチラチラとこちらに向いてきた。


「ねえねえ、昨日の放課後、見た? 天音ちゃんと久城くんが一緒に音楽準備室に入ってたって」


「まじで!? え、ふたりってそういう関係……?」


「えー、でも白崎さんの方が先じゃない? 幼なじみって強くない?」


聞こえないふりをしたけど、全部耳に入ってきた。


(やっぱり……始まってる)


兄と誰かの関係が、周囲に“見える形”になってくる。

それはつまり――私の居場所が、少しずつ奪われていくことと同じだった。


「……やだな」


私はそう呟いて、自分の席に向かった。


昼休み。

お兄ちゃんはいつものように、屋上でひとりお弁当を食べていた。


(でも、たぶん……今日は違う)


案の定、階段を上っていくと、扉の前で誰かの声が聞こえた。


「ねえ、この間の曲、続き考えてみたんだけど……聴いてもらってもいい?」


「うん、ぜひ」


天音さんの声だった。


ふたりはもう、すっかり自然に話してる。

まるで、前から知ってたみたいに。


(ちょっとだけ……嫌な予感がしてた)


だから私は、そっと扉の隙間から覗いてしまった。


お兄ちゃんは笑っていた。

私が知らない笑顔で。誰にも見せたことのない、音楽を楽しんでる顔だった。


(あんな顔、私には……一度も見せてくれたことなかったのに)


その瞬間、自分の中の何かが音を立てて崩れた気がした。


放課後。

帰り支度をしていると、廊下の向こうに白崎先輩の姿が見えた。


でも、今日はいつもより歩くのが遅かった。

肩が少しだけ落ちていて、鞄をぎゅっと握っている。


「先輩」


思わず声をかけた。

澪先輩がピクリと振り返る。


「あ、紬ちゃん。……どうしたの?」


「ちょっとだけ、話したくて」


私は軽く笑って、澪先輩の隣を歩く。

しばらく無言が続いたけど、やっぱり先輩は気づいてた。


「……悠真くんのこと?」


「うん」


「……そっか」


ふたりは足を止め、階段の踊り場に腰を下ろす。


「私ね、気づいちゃったの。

 私って、“妹”だけど……“妹じゃない”んだって」


「え……?」


「血が繋がってないの。中学生の時、偶然戸籍を見ちゃって」


それは、誰にも言ってなかった秘密だった。


「それを知った時……安心したの。

 “もしかしたら、恋愛対象になれるかも”って」


「紬ちゃん……」


「でも、現実はそんなに甘くなかった。

 私はずっと“かわいい妹”で、いつまで経っても“女の子”として見てもらえない」


その声は、いつもの元気とは違って、どこか泣きそうだった。


「それでも、どうしても諦めたくなくて……

 私ね、絶対に先輩にも天音さんにも、負けたくないの」


静かな中に、強い決意があった。


その時、階段の上からもうひとつの声が降ってきた。


「……私もだよ。絶対、負けたくない」


そこに立っていたのは、白崎澪だった。

髪がほんの少し乱れていて、目は真っ直ぐだった。


(始まってる。ヒロインたちの戦いが、もうすぐそこまで)


私の胸は、怖いくらいに高鳴っていた。


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放課後、音楽準備室に向かっていた俺は、途中で携帯が震えた。


澪からのLINEだった。


《白崎澪》

『今、少し話せる? 屋上にいる』


それだけの短い文。

でも、なぜか胸騒ぎがして、俺は急ぎ足で屋上へと向かった。


扉を開けると、風に髪をなびかせながら澪が立っていた。

背中越しに見えるその姿は、どこかいつもより小さく見えた。


「……悠真くん」


その声は、ほんの少し震えていた。


「話って、何かあったのか?」


「ううん、大したことじゃないの。ただ……ずっと言おうか迷ってたことがあって」


澪はくるりとこちらを向く。

その瞳はまっすぐで、強い意志がこもっていた。


「ねえ、悠真くん。天音さんと、最近よく一緒にいるよね?」


「え? まあ……うん。曲作りとか、いろいろ頼まれてて」


「……そっか。やっぱり、そうだよね」


彼女は苦笑いのように、でもどこか切なげに笑った。


「ねえ、悠真くん。君ってさ、ほんとに優しいよね」


「は?」


「誰にでも分け隔てなく、気遣って、距離を詰めて……気づかないまま、誰かの特別になってる」


「それは、俺は別に……」


「気づいてないのが一番タチが悪いの」


澪はそっと顔を伏せた。


「私は、君が誰かと笑ってるだけで……少しだけ、胸が痛むの」


その言葉に、返す言葉が見つからなかった。


気づけば、澪の手が俺の胸元を掴んでいた。


「……私、やっぱり君のことが好きなんだよ」


「……澪」


「“幼なじみ”じゃ、もう我慢できない。私は、君の隣にいたい。――“ヒロイン”として」


目を見開く俺に、彼女は続ける。


「天音さんがルート入りしたなら、私だって負けない。だって私は――この世界の“攻略対象”なんだから」


それは、ゲームのセリフのようで、でも彼女自身の強い意志でもあった。


その瞬間――


「……ふーん、なるほどね?」


屋上の扉が再び開き、軽快な足音が近づいてくる。


「あらあら、澪先輩、先に告白しちゃうなんてずるーい」


現れたのは、妹の紬だった。

制服のスカートをひらりと揺らしながら、にこっと笑って近づいてくる。


「お兄ちゃん、聞いて。私も――ずっと前から、好きだったよ」


「紬、おまえ……!」


「妹って立場、もう関係ないから。私たち、血が繋がってないんだし」


その発言に、悠真が驚いた顔を見せる。


「知ってたんだ……」


「うん、中学生の頃から。でも、それを盾にしようとは思ってなかった。けど、先に動いたのは澪先輩だから――私も、もう遠慮しないよ」


屋上の風が強くなったように感じた。


二人の視線が、真っ直ぐに俺に向けられている。


「ねえ、悠真くん。選んでよ」


「お兄ちゃん、私たち、もう子どもじゃないんだよ?」


それは、まるで選択肢の提示。


右か、左か。


でもその選択肢には、どちらを選んでも誰かが傷つく“前提”が見えていた。


(……これは、ルート分岐じゃない。もう、修羅場だ)


気づけば、遠くから誰かがその場を見ていた。


校舎の影から、そっと覗く栗色の髪――神埼天音。


彼女は静かに息を吸って、小さく呟いた。


「……面白くなってきたね」


この物語は、もう元には戻らない。


選択を迫られるのは俺じゃない。

――世界そのものが、恋と修羅場に引きずり込まれていく。

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