窓外の素描

 空は静止画でなく動画である。天候の移ろいにより誰しも理解しているはずだが、極めて悠然と進む映像には面白みがなく、視界に捉えたところで普段は意識に上らない。そのため実感を持てたのは、これが初めてである気さえした。

 遠くにある紅白の送電鉄塔が羊雲の端を刺した後で、押し込んで重なりゆくのを見届けた。薄いのも含めて、三十二匹の羊の群れが窓枠に収まっている。この一匹ずつが確かに動いているのだ。鉄塔の先から数えて三つ上に見える羊はやや大きく、隣の羊を飲み込んでいる。もう少し視線を下げると、いくつか並ぶ低いビルが地平線を隠していた。その中に見つけたクリーム色の建物は、自宅近くにある公民館だ。つまり家の場所も見当がついたが、見慣れた屋根は確認できなかった。ただ、それでよい。手前で揺れている雑木林とシアンの利いた瑞々しい空を生活感で汚してはいけない。部屋に差し込む陽射しを雲の斑が遮って、清潔な床が不安定な強弱で煌めいている。景色のどれもが、至極当然であると同時に、なぜか新鮮であった。


 人間によって創られた芸術は、花鳥風月の美に断じて到達しない。この価値観は表現の陣痛まで無下にする残酷なものだと退けていたが、青春の恥じらいが落ち着くごとに受け入れられるようになってきた。自然物と芸術作品を単純に比べられるほど、美は一面的でないことを悟ると、尚も画家としての矜恃を保てる気がしたのだ。

 また、そうして心を雄大な混沌に預けることで、芸術を虚構の内側でのみ再生産してしまう危うさも徐に脱した。今だって作品を残したいという生産的な意欲のためでなくとも、スケッチブックに鉛筆を走らせたいと希求している。描画することは、自分自身が何を見て、何をよいと見なすのかを整理するための手鏡となる。風光明媚を自覚的な認識に映し出すことで、僅かに震える命の温もりさえ捉えられるのだ。

 久々に覚えた美への畏怖を逃したくなくて、まじまじと窓外を見つめ続けた。太古より空は美の象徴であったろう。活力の源である太陽と、輝く星空を代わる代わる表示すれば、地球に住む者が揃って見惚れるのも当然である。ただし換言すれば、空の描写はあらゆる技法でし尽くされ、手垢に塗れているということだ。無意識のうちに今までに知ったいずれかの表現へと収斂させてしまうと見えて、切り取ることを恐れてきた。けれど、何も持たないこの身で目をやるだけの鑑賞には、輪郭も音声も必要ない。視線を動かして文字を入力するのにもすっかり慣れてきて、窓に映る一つ一つの対象をなぞるように見ること自体が、新たな素描の方法だと感じた。ゆっくり過ぎていく時間に浸る。腕に力が入らなくなって四年経つが、筆を揮うイメージはそのままに、雲の詳細を注視していた。

 窓枠の左側から飛行機がのそのそと線を引く。手の届かない場所で美しい空に溶け込んでいった。機内と病室は決して交わらない。それでも、凄まじい速度で進む機体さえ鈍く見えるこちら側から、軽々と雲を突き破る様を見られてよかった。飛行機雲は挿入したカニューレの暗喩に思われる。発病当初、決断し兼ねていた気管切開であったが、実際に必要になると案外あっさり諦めが付いた。既に最も大切にしていた表現手法を奪われていたためだろう。しかし今は、そんな仄暗い絶望にしていた蓋であろうと外してしまって構わないと許せる。それだけ念入りに納得のいく空を描いていた。


 扉が開く音と一緒に娘の声がした。なんとか視線だけそちらに向けると、娘は青空のように優しく笑っていた。彼女の鏡でありたくて、できるだけ笑顔に近づけようと目を細めるようにする。モニターを目の前に配されて、一文字ずつ丁寧に言葉を紡いだ。不確かな単語では直截的に美を表せないが、それだけが静止した身体に残されている最後の繋がりである。

 傾き始めた秋の陽は、存在を訴えるように窓硝子で反射し、安らぎを照らし出していた。

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