第6話:ローテーション

「ねえ、明日しまむら行くけど、何か欲しいものある?」


 晩ごはんを食べ終えたテーブルで、私はふと家族に声をかけた。

 三年E組、結城まどか。今夜は母と兄と、珍しくのんびり談笑モードだ。


「しまむら? 特にないわねぇ」

 母が麦茶のグラスを持ちながら、何気なく答える。

「まどかは何買うの?」


「いや、パンツのゴムがゆるくてさ。そろそろ新しいの欲しいなーって」


 言った瞬間、母の眉がピクリと上がった。

「あんた、またしまむらで下着買うの? デパート行きなさいよ、デパート。ブラも一緒に買えばいいじゃない」


「別にそこまで困ってないし……」

 私は思わず視線を逸らした。


「ていうか、見せる相手とかいないの?」

 母がニヤリと笑った。


「そ、そんなの、いるわけないじゃん……」


(……その傷、えぐるのやめて)


 黙っていると、今度は兄が口を挟んできた。

「じゃあ俺のパンツも買ってきてよ」


「は?」


 兄、結城遥斗。大学二年。自堕落な一人暮らしを満喫中。

 今日は久々に帰省してきて、ずっとダラダラしている。


「ちょうど足りないんだよね、ボクサーパンツ。適当に3枚1000円くらいのでいいから」


「えー、男物のパンツなんて、やだよ」


「いいじゃん。ついでだろ。どうせパンツ売り場、近くだし」


「知らないよ、サイズとか色とか」


「Lサイズ。青とか黒とか、地味なやつでいいよ」


 結局、私は根負けして引き受けることになった。


***


 土曜の午後、私は地元の“しまむら”にいた。


 白のパーカーにジーンズ、気取らない休日スタイル。

 髪は結んだだけ、すっぴん。誰にも会わない前提の適当コーデだ。


 店内の白い蛍光灯が、どこを歩いても頭上からくっきり照りつけてくる。

 床のビニールタイルが、スニーカーの底でコツコツ鳴る。

 ワゴンには『3枚で1000円』の赤いポップがぶら下がり、商品が無造作に山積みされていた。


 通路をすれ違うのは、小さな子どもを連れたお母さん、部活帰りっぽい男子中学生、

 生活感の塊みたいな空間に、自分の買うパンツがこれから加わると思うと、少しだけ変な気分だった。


(まあ、買い物だけだし……)


 そう自分に言い聞かせながら、私は店内を歩く。

 靴下売り場で無難な黒と白を選ぶ。

 ついでに見つけたTシャツを一枚、カゴに入れる。


 そして、問題の下着コーナー。


 「3枚で1000円」のポップが目立つワゴンの前で、私は腕を組んだ。

 白、ピンク、水色。迷いなく三色を選んだ。

 地味なリボンだけがついた、ただの綿パン。


(……これで十分)


 高級下着なんて無縁だし、別に誰に見せるわけでもない。

 わたしの“普段のパンツ事情”は、

 一週間で白が三回、ピンクが二回、水色が二回のローテーションだ。

 これで一週間、困らない。


「よし」


 私はその三枚をカゴに入れた。


(あとはお兄ちゃんのパンツね……)


 男物売り場へ向かい、

 私が思わず手に取ったのは、うさぎのイラストが散りばめられた薄グレーのボクサーパンツ。


(これ、かわいいじゃん。私が履きたいくらいだけど、一枚はこれでいいよね……)


 手に取った瞬間、背後から気配を感じた。


「わ、早瀬くん?」


 振り返ると、そこにいたのはクラスメイトの男子、早瀬だった。

 同じ三年E組。席は少し離れているけど、普通に話す程度の仲だ。


「あ、うん……」

 早瀬は目を泳がせながら、小さなカゴを掲げた。

「靴下、穴あいちゃってさ。ついでに買いに来た」


「ああ、そうなんだ」


 気まずそうに笑う早瀬の視線が、私のカゴへと移る。


(やば……)


 カゴの中身。

 白、ピンク、水色――私のパンツが、堂々と並んでいる。

 そして、手に取ったうさぎ柄のパンツ。


「それ、お得だよね。三枚で千円って」


「……う、うん」


(三枚って、私のパンツ、完全に見られてる……!)


 さらに、早瀬が言った。

「ブラとパンツって、一緒に買うわけじゃないんだね」

 少し首をかしげる仕草に、私の思考が止まった。


「はああ!?」


 思わず声が裏返りそうになるのを、必死にこらえた。


(なに言ってんのコイツ……!)

(毎日、ブラとパンツ揃えてるヤツなんか、いねーよ! そんなの、家に執事とかいるレベルのお嬢様だけだっての!)


 でも、努めて冷静に、私は答えた。

「や、セットのときもあるよ」


(……たまには、ね)


 声が震えてないか、ちょっとだけ心配だった。


「ふーん、そうなんだ」


 早瀬が続けた。

「妹、中二だけど、上下お揃いの買ってる気がするな」

(え……中学生の子に、上下セット負けてる……?)

(ははは……今日だってパンツはピンクで、ブラは……あれ、色すら思い出せない)


「じゃ、行くね。また学校で」


「う、うん……」


 彼は気にしていない様子で店の奥へ消えていった。

 でも私は、数秒間その場に固まっていた。


 カゴの中身が、視界に突き刺さる。


 パンツたちは、悪くない。ただ必要なだけ。

 けど、それを“クラスメイトの男子に”見られたかもしれない。

(はぁ……わたしの下着事情、全部バレたかも。普段のローテーションから、どんな色が好きかまで……最悪だ)


 たったそれだけで、

 全身にじわじわと羞恥が広がっていく。


 レジでは、ひたすら目を逸らした。


「はい、三枚で千円の商品になります〜」


 店員の明るい声が、無駄に耳に響いた。


 帰り道、バッグの中でレシートに刻印された『白・ピンク・水色』の文字が、

 まるで私の秘密をすべて暴き立てるかのように、頭の中で何度も反芻された。


***


 月曜。


 早瀬くんは、何事もなかったように「おはよう」と笑った。


 それが一番、恥ずかしかった。


 今日履いてるの、白……。

 結局、あのときカゴに入れたやつは、まだ引き出しの奥にしまったまま。

 なんとなく、履くタイミングがつかめない。

(……もう少し、普通に早瀬くんと話せるようになったら、かな)

 そんなことを思いながら、私はスカートの裾をもう一度、引き下ろした。



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