少女は魔王を知っている。
百合いのり
第1話──少女は魔王を知っている。
魔王城にて、階段を駆け上がり、重厚な扉を開くと、黒いドレスをきた白髪の女が勇者を待っていた。
「よく来たな、勇者よ。自己紹介をしておこうか。私は成長と絶望の魔王、リリィ・ノワールだ」
「私は貫通と奇跡の勇者、リンと呼んでください。まあ、名前を覚える意味もないですよ、あなたはこれから死ぬんですから」
「お前が死ぬ、の間違いじゃないのか?」
「私は転生の加護を持ってますので」
沈黙が流れる。
「はあ…………じゃあそろそろ始めましょうか、世界の命運を決める戦いを」
この戦いは最初から最後まで互角だった。
つまり、相打ちで終わった。
「はぁ……はぁ……」
私は息を切らしながらも剣で彼女の胸を貫く。
「うぐっ……」
彼女は呻きながらもその右手で私の心臓を貫く。
「次の機会が……あるなら…………必ず、完璧にあなたを……殺します……」
息も絶え絶えにそう声を発する。
「……相打ちでしか……私を殺せないやつが…………なにをほざいてるんだ……」
どちらもこのまま死ぬのは明白だった。
「時が来れば……私は復活し……お前を……殺す……」
徐々に視界がかすみ、私はこれから死ぬことを理解した。
私は魔道具店の扉を開ける。
「ねぇ、リン。空のルーンって売ってる?」
「毎回あるわけないじゃん。貴重なんだし」
リンがそういって私をにらむ。
「まぁまぁそう言わずに、今度なんか奢るからさ」
「だからないものは無いんだって」
この世界には「コード」と呼ばれる異能力を生まれつき持っている人達がいる。しかし、持っている人は一部だ。しかも、能力者と無能力者の間にはれっきとした格差がある。
そこでその格差を埋めるために作られたのが「ルーン」だ。
ルーンの原型、空のルーンだけでは、なにもできないが、そこにコードの原型、スクリプトと呼ばれるものを埋め込むと不思議なことに誰でもそのコードが使えるようになる。
まぁ、ルーンは量産化にまで至っていないしスクリプトを埋め込むのには相当な技術が必要だけれど。
「はぁ、天才魔法使いさんはワガママだね〜」
魔法使い、スクリプトをルーンに埋め込む技術を持った人だ。
私はスクリプトを作ったり、スクリプトをルーンに埋め込んだりして生計をたてている。
「仕方無いでしょ、空のルーンがないと始まらないんだから」
私はそう言い返す。
「そもそも空のルーンになんのスクリプトを埋め込むの?」
「企業秘密」
私はそう言い、周囲に人がいないことを確認してから続きを言う。
「……なんだけど、あなたにはお世話になってるから、特別に言っちゃおうかな〜」
「それでなんのスクリプトを埋め込むつもりなの?」
「絶対に誰にも言わないって約束する?」
私は念入りに確認する。
「約束するから。なんのスクリプトなの?」
「それはね……」
「それは?」
「それは…………」
とんでもなく溜めているとリンが
「早くしてよ。焦らされるの嫌いなんだけど」
と不機嫌な表情でいう。
「それは……人の意識を弱めて抵抗力を無くすスクリプト」
「……それって催眠みたいなこと?」
焦らされることが嫌いな人は情報を噛みしめた後、確認するように言った。
それに私は馬鹿みたいに明るい声で答える。
「うん! そのピンク色のルーンを相手にかざすと相手の意識がぽわぽわ〜ってどこかに行っちゃうの」と。
リンが心底あきれたような表情をして
「この町の治安が悪くなったのってあんたのせいじゃないの?」
とわたしに聞く。
「さぁ? 私には関係ないし、まぁ、30個用意して完売したからそうなっても変ではないんじゃない?」
「無茶苦茶儲かってるじゃん、羨ましい」
「まあね。話は戻るけど本当に空のルーン売ってないの?」
話は脱線したが本題を切り出す。
「ない」
こうもきっぱり言われると流石に引き下がるしかなくなる。
「じゃあさ、どこか空のルーン売ってるところはないの?」
「……件の令嬢の家から盗めば?」
リンは真面目に頭を働かせたような素振りをした後そう言った。
「本気でそう言ってるの?」
私は問う。
「うん、本気で」
どうやら彼女の心当たりはそこしかないらしい。
「……うーん、分かった。今夜そこに行くわ」
「まあ、あなたの実力なら簡単なことでしょ」
無責任そうにリンは言う。
「今日はありがと」
そういって店をあとにしようとすると服の袖を掴んで止められる。
「まだなにも買っていってないじゃん」
「分かった分かった、なにか買って行くから」
商品の吟味をし、買う商品をカウンターにもって行く。するとリンがスタッフルームから手招きをしていた。
いつものことだ。
私が入るとスタッフルームの鍵が閉められる。
「じゃあ、いつものやつ」
そう言う彼女の瞳はこころなしか揺れていて、なにかを待っているかのようだ。
「それが人にものを頼む態度?」
からかうように私は言う。
「…………お願いします」
「なにを?」
私はいじわるだ。
「…………キス……してください………………お願いします……」
「……よく言えました。いい子だね」
私は彼女の背中に手を回して逃げられないようにする。
艶やかな彼女の灰色の髪が揺れる。
この距離だと彼女の震える息遣いや心臓の鼓動などが盗聴してるかのように聞こえる。
そのせいかわからないが私も心臓が速くなっていく。そして、彼女の唇に私の体温をを重ね合わせる。
先に目を閉じたのはリンだった。
「んっ、んうっ……」
どんなものにも例える事ができない柔らかい唇どうしがふれる。
刹那、感電するように快楽が身体をかけめぐり、離れたくないと感じた。
永遠と思えるような時が流れた後、私は唇を離す。
すると、リンが袖を無言で引っ張ってきた。
これはまだ満足してないという合図だ。
こうやって催促してくるところがかわいい。
私は彼女の黒いシャツのボタンを外し、
再度唇を重ね合わせる。
この方が彼女をよく感じられる。
涙ぐんだ瞳、彼女が抑え込もうとしている震えた息遣い、小刻みに揺れる身体、その全てがいつもの彼女と違う。
もはや、いつも魔道具店を気だるげに運営している生意気なダウナー系美少女の姿はそこにはなく、代わりに、私を必死に求め、潤んだ綺麗な瞳でこちらを見る、雪のように儚い、か弱い乙女の姿しかなかった。
彼女と私の体温が混ざる。
「ん……っん…………ん…………はぁ……ん……はぁ」
何分していたかわからないが長い時間がたったあとに私はこう聞く。
「これで満足した?」
こくりと彼女の顔が動く。
彼女がシャツのボタンを閉じようとするがその腕を掴み、シャツで隠れる胸元に私の証を残す。
彼女はびっくりして「ひっ!?」と声をだしたが私を咎めるようなことは言わなかった。
「じゃあ、私行ってくるね」
「……分かった」
まだ顔が赤い彼女は不機嫌そうにそう言った。
また扉を開く。
外はマフラーをしている人がいるわけではなかったが火照った身体には少し冷たく感じた。
公園のベンチに腰掛け、彼女との間違った関係の始まりを思い出す。
そう、最初は彼女に押し倒されたことだった。その時の私はなにを思ったのか知らないが猫じゃらしに飛びつくように私は9割の好奇心と1割の性欲で彼女にキスをした。
初めてのキスの味は蕩けてしまいそうなほど甘く、私にとって忘れがたい印となった。
そこから今の関係が始まった。
しかし、私にはそれ以前の関係や彼女との出会いが思い出せなかった。
別に健忘症というわけではないのだけど、あまりにもそれ以降の記憶が強すぎて、霧がかかったように思い出の輪郭はぼやけている。
重要な事が思い出せない自分に嫌気が差したので、休憩をやめて件の館へ歩き始めた。
荘厳な門の前。
敵に襲われた、みたいなことは一切起こらず、予定調和のように私はその館の前にいる。
この目の前にそびえ立った屋敷の主は
空のルーンを作る研究をしているお嬢様で、最近引っ越してきた、と巷で噂になっているからリンがこんな提案をしたのも頷ける。
噂によるとこの館にはとある仕掛けが施されており、侵入して無事に生きて帰れた者はいないと言う。
あれ、これ死ぬ可能性高くない?
まぁ大丈夫か、私魔法使いだし。
そんなどうでもいいことを考えながらその屋敷を一周し、私は開きっぱなしの窓を見つける。
私が客だったなら正門から入っているだろうが、生憎と私は客ではないので招かれざる客らしく窓から入場する。
──空いている窓から中に入るのは簡単だった。
私は赤いカーペットにそっとつま先をつけ、あたりを見回す。
きれいに整頓されている机上。
壁に収まっている様々な言語で書かれた本。
明窓浄机を体現したその部屋は書斎のように思える。
しゃがんで聞き耳を立てても何も聞こえない。目当てのものを探すために私は金色のドアノブをそっと回した。
意外にも廊下は静かで、視界には
赤いカーペットや窓越しに映る鈍色の空、
規則正しく並んだ木製のドアが映った。
赤いカーペットの上で音を消し、息を殺して
一番大きな扉のドアノブに手を掛ける。
耳をすませ、誰もいないことを確認し、
扉を開いた。
最初に目に入ってきたのは巨大なテーブルだった。
周囲を警戒しながら、一人では絶対に持て余すであろうテーブルを通り過ぎ、キッチンへ向かう。
そこにはキッチンしかなかった。
いや、キッチンに向かったならそれは当然なのだけれど、食器棚や包丁、まな板などが置かれている普通のキッチンと違い、そこにはキッチン以外の物が一切存在しなかった。彼女はキッチンを使えない、あるいは使わない理由があるのではないか、と不思議に思いながらも私は探索を続ける。
全ては──ルーンのために。
探索は実につまらないものだった。
一階の全ての部屋を見て見て回り、最初の書斎に戻ってきた。
一階の部屋の大半は本棚であり、目当てのものはなかった。
本棚には多種多様な本があるのだが、植物含む生物に関する本、その中でも特に人間と吸血鬼に関する本が多かった。
吸血鬼とは人よりも少し力が強いが、日光に弱く、主に血を飲んで生きている生きもののことを指すのだが、本をある程度読んだところ、どうやら吸血鬼には噛みついた相手に
特殊な毒を注入する事ができ、それで狩りを有利に進めている、と書いてある。まあ、本に書いてあることが本当かどうかを判断することはできないけれど。
一階の探索に見切りをつけ、
少し前に通り過ぎた正面玄関近くの階段へと私は足を踏み出した。
2階の部屋を探索しながら、この経験は初めてじゃないな、と思う。
昔、私が魔法使いになる前に何度か盗みを働いたことがある。
昔の私は貧乏で、いつも食べるものに困っていた。
致し方なく他人の家に侵入したり、お店の商品を盗んだりする過程でコードについて知り、
そこから今の私が出来上がった。
そう考えるとあの経験も無駄じゃなかったな、なんて私は思いながら探索を続けた。
生憎と2階にもめぼしい物はなかった。
強いて言うならいろんな服が大量にあったことだろうか。
「困ったな……」と呟き、壁に背中をつける。
黒いシャツが壁に当たってから何分たっただろうか。
しばらく考えた後、静かに素早く一階まで駆け下りた。
赤いチェックのスカートをはためかせ、窓越しに中庭が見える廊下を通り過ぎながら考える。
先ほどは全然注目しなかったのだが、この家には一箇所だけ床下収納があった。
もしかして──
少し鼓動が高鳴って自然と歩く速度が上がる。
私は件の部屋の扉を静かに開けた。
予想通りだった。
床下収納は地下への扉となっていた。
そこから覗く階段を見下ろし、私は高鳴った鼓動を押さえつけるために一旦身体の力を抜いた。
窓の奥では雨が
無機質的な雰囲気を与える材質でできた階段を音を消して下る。
ここまで順調だったらまたあの時みたいになるかも、と思った。
私は過去に一度、人の家から物を盗もうとしてピンチになったことがある。
結構絶望的な状況だった気がしなくもないが、どうやって生きて帰ったかはよく覚えていない。
そんなことを考えているうちに私は長い階段を下り終えた。
いつものように耳を澄ませる。
予定調和のように誰もいない、ということは起こらなかった。
今回は誰かがなにかをしている音がする。
より一層速くなった心臓のまま、そっと、暗いコンクリートの廊下へと足を一歩踏み出す。
そこから音を立てないよう、私は慎重に歩き出した。
「おお〜」と思わず感嘆してしまった。
私の目線の先には待ちに待った空のルーンが
木製の棚に保管されていた。
保存状態は良好。
ひび割れもない。
そんな完璧な空のルーンを何個か拝借し、スカートのポケットに入れる。
用事を済ませたので部屋の扉をゆっくり閉め、そのまま退散する。
その途中だった。
スカートから伸びる足が冷気に覆われ、寒い
ことを震えて主張してくる。
どこから冷気が来ているのか、私は気になって辺りを見回す。
大半は黒洞洞たる闇だが、その中に少し開いている扉があった。
好奇心は猫を殺すというが、私は好奇心に駆られてその部屋の扉を開いた。
奥へ奥へと進んで行く。
私は呆然と立ち尽くしてしまった。
なぜなら大量の輸血パックが棚に並べられて冷凍保存されていたからだ。
なんで──。
その瞬間、答え合わせをするかのように右肩に鋭い痛みが走る。驚きで周囲の警戒が薄れていたようだ。
「いっ……!」
声にならない声が出る。
視界の端に映った淡い金色の髪を振り払うように抵抗する。
棚に背中をぶつけるように暴れたのが功を奏したのか、視界の端にあった髪はズームアウトし、前方に落ち着いた。
彼女は私と同じぐらいの身長で、淡い金色の髪をツインテールにしてまとめている若干幼い顔立ちの少女であり、白衣を羽織っていた。相手が反応するより先に脇をすり抜け、部屋の出口へ向かう 。
傷口に冷たい空気が沁みて痛いこと以外は特に支障なく部屋を出れた。
廊下を疾走し、曲がり角まで来ることができた。
そこで後ろを振り返ると、さっきの部屋から
淡い緑色の光が漏れた後、黒髪ロングストレートのお嬢様感溢れる美人がこちらに向かってきていた。
おそらく変身のルーンでも使ったのだろう。その足取りには余裕がみられる。
地上に上がるために、私は地下を走る。
階段があった場所にたどり着いたとき、問題が起こった。
階段がない。
それがあった場所は周りと同じコンクリートの壁となっている。
私がここに足をつけたとき、たしかに階段はあったはずだ。
私が困惑していると後方から声がする。
「そんなに慌ててどうしたのですか?」
そんな声が若干遠くから聞こえた。
それはからかうような声色で、私を玩具のようにして遊んでいるような気がした。
これが仕掛けというやつかと思いながら彼女から逃げる。そのまま彼女が見えなくなるまで距離をとった。
地べたに座りながら、このままだったらまずい、と考える。不意打ちで噛まれたときにもやもやとした感覚の毒が打ち込まれたことを思い出したからだ。
その毒は眩暈がするぐらいまで私の身体に回ってきていた。
このままだったら毒で死ぬな、と思って念話のルーンを使う。
「もしもし、リン。私だけど」
「うん。何かあったの?」
「それがさ……今追われてて……
もし1時間以内にあなたのもとに行けなかったら助けに来てほしいなって……」
「わかったー。気が向いたら助けに行くね」
やる気のない声で彼女が言う。
「……絶対だよ?」
「分かった分かった」
「じゃあ、そろそろ動くから」
「はーい」
念話をやめ、クラクラする頭を抑えながら立ち上がる。
生憎と静寂は長く続かなかった。
「あら?どこへ逃げたのでしょうか?」
という声が廊下の奥の方から聞こえる。
ここで逃げると追い詰められてしまう、と考えた私はルーンを準備して息を殺し、曲がり角で待ち伏せした。
足音が徐々に大きくなっていく。
逸る心を抑え、ルーンを構える。
奴の身体の前半分が見えたとき、氷柱で身体を抉り取った。
壁に氷柱が激突する。
たしかに抉り取ったように見えたが、
その身体は嘲笑うかのように霧散していった。
一体どこに居るのかと考えていると、
「結構物騒なものをお持ちですのね」
と、言いながらさっきと同じ角から再放送するかのように出てきた。
私は容赦なく氷柱の雨を降らせたが、今度は淡く黄緑色に光った植物のルーンに防がれてしまった。
「そういう物騒なところも可愛い」
彼女は静かにそう言う。
「そう?ありがとう」
その後に氷柱が地面に当たる音が続く。
照れ隠しなのかわからないけどいつもより強く氷柱を降らせてしまった。
その氷柱の雨を彼女はバックステップで躱す。
「結婚……要するに永遠の契を結びませんか?」
近づきながら彼女は当然の事のように言った。
「なんであんたなんかと契を結ばないといけないの」
「可愛いから」
彼女は即答する。
「私が可愛いことは否定しないけど、契を結ぶつもりはないわ」
彼女と距離を取りながらそう答えた。
彼女は考える素振りを見せた後こう言った。
「うーん、仕方ないですね。あまり人間っぽくない方法ですが、一目惚れさせたあなたが悪いんですよ?」
刹那、彼女の背後から大量の茨が伸びてくる。
私を取り囲んだそれを炎のルーンで燃やす。
燃える視界に水の刃が割り込み、それを氷結のルーンで凍らせる。
投げ込まれた爆弾は右足で蹴り返しておいた。蹴り返した爆弾は彼女の目の前で爆発する。爆発の煙幕が周囲に染み込んだとき、
彼女の瞳は私を捉えていないだろう。
さっきの不意打ちをやり返すみたいに氷柱を大量にぶつけたが大半は避けられてしまった。
未だ視界は歪んだままだから仕方がない。
そう思い、顔を上げ、彼女を捉えなおし、火を放つ。
そこに彼女はいなかった。
背後で氷柱を踏んだ音がして振り返り、ルーンを構える。次に視界が歪んでいたせいか距離感を見誤ったことに気づいた。気づいたときにはもう遅く、彼女の手が私の首に触れていた。
そのままバランスを崩して勢いよく後方に倒れ、床に背中をついた。
「ふふっ。つかまえた」
私の首を絞めながらそう言う。
彼女の艶のある黒髪が私の頬を撫でる。
吸血鬼だからなのか彼女の力は強く、毒によって鈍くなった手足をじたばたさせても全く手が緩まなかった。
「や……め……」
朦朧とする意識の中、彼女に懇願する。
それを拒否するように私の口をキスでふさいだ。
歪んだ視界はそこで暗転した。
──今日の私はとてもついています。
まさか、運命の人に出会えるなんて。
魔王様がいなくなってもいいことは起こるのですね。
次に目を開いたとき、そこは知らない場所だった。ベッドの上に仰向けで寝かされていて、両手は上で縛られている。
左右をみると右はコンクリートの壁、左にはこの状況にした張本人がいた。
「あ、起きました?」
優しい声で聞いてくる。
「起きてない」
状況を認識したくなくてそう答え、彼女を睨んだ。
「そんなに睨まないで。可愛い顔が台無しだよ?」
からかうように言う。
私は視線を天井に戻し、状況を整理する。
多分意識を失った後ここに運び込まれたのだろう。めまいが治っていることから解毒までしたことが分かる。
「それにしても、やっぱりその服似合ってる」
彼女にそう言われて初めて気づいた。
私は赤いチェックのスカートと黒くてフリルのついたシャツではなく、白のワンピースを着ていた。光に当たると身体のシルエットがはっきり分かるタイプのものだ。少し良くない妄想をしてしまう。
「変態」
私はそう返す。
「何か良くない妄想でもしちゃった?
その考えは当たっているけどね」
「え?」
「とりあえずこれを使いますか」
彼女は私がよく知っている、淡いピンクの光を放つ、思考力を下げるルーンを突きつけた。
「え?」
ろくでもないことが起こることはわかっていたが、唐突過ぎてこれから自分が何をされるのか理解できなかった。
ルーンの光が強くなる。
「あ…………」
ろくに抵抗もできないまま、意識を失った。
本日二度目の気絶からの目覚めはとても心地がいいものだった。
現実でされたであろうことを除けば。
私は火照った身体を焼き入れのように空気で冷やされていた。
若干苦しかった呼吸が元に戻っていく。
目尻に涙が溜まっており、白い布は肌にまとわりつく。
それらが私にあったことをはっきり認識させようとしてくる。
「あ、起きた」
自分にハグしている状態で彼女はそう言った。
「起きてない」
私はまた、状況を認識したくなくてそう言う。
「それはおいといて、さっきはとても可愛かったよ?」
私のお腹に手を当てながら囁く。
私はなにがあったのか想像してしまった。
「そうですか」
彼女を睨み、不満であることを隠さず言う。
「そんな表情もかわいい」
「……うるさい」
「そこでさっきの声を録音しておいたんだけど聞く?」
彼女はそう言いながら、ポケットから淡く青に光る記録のルーンを取り出した。
ひどく悪趣味だ。
私の答えを待たずに彼女は録音を流す。
それには普段私が絶対言わないであろう言葉が録音されていた。
意味のない不明瞭な声、上擦った声で連呼されるごめんなさい、挙げ句の果てには、ちぎりをむすぶからゆるして、なんて言う甘い声まで聞こえてきた。
そのどれもが自分の声であることは認めるべき事実であり、そのどれもが彼女を受け入れてしまっている声だった。
「…………」
私は今どんな顔をしているだろうか。
顔がとても赤くなっていることだけは分かる。
「あ、恥ずかしがってる」
こちらを見てからかう様に彼女は言った。
「み、みないでぇ……」
拘束されており、手で隠せない顔をまじまじと見つめられ、情けなく懇願する。
だが、見つめられる度、胸が高鳴って、この人に襲われたいと思ってしまう。
こんな感情は間違っている、と思っていても
この思いは今も大きくなっていく。
何故か身体の火照りは今も収まらない。
「そういえば自己紹介をしてなかったね」
彼女は淡い緑色の光に包まれたかと思えば、もとの薄い金色の髪の少女になり、唐突な自己紹介が始まる。
「私は色欲と虚飾の吸血鬼、ラヴァンドラ。
これから末永くよろしくね?」
私のふわふわで白い髪を触りながら言った。
色欲と虚飾。
彼女のコードを知り、だから火照りが収まらないのか、と頭の中で結論を出すが状況は変わらない。
「末永くいるつもりはないんだけど」
彼女を睨むと頬をつままれる。
「まあまあ、そんなこと言わないで。
あと、私は自己紹介したんだし、あなたもするべきじゃない?」
数秒の沈黙が流れる
「…………私の名前は──」
そこまで言いかけて部屋に轟音が響く。
気づけば黒い外套をまとった少女が天井を破壊して降り立っていた。リンだ。
「わたしの物に気安く触れないで」
気づけば手を拘束していた縄は解かれ、
知らない間にお姫様抱っこをされ、豪快に空いた風穴から館を抜け出していた。
雨はすでに止んでおり、雨が止んだ後の匂いが地面から少し立ち昇っていた
嵐が過ぎ去った部屋でラヴァンドラは一人、呆然としていた。
「あの人は……」
あの日のことを鮮明に思い出す。小さい頃は魔王様に面倒を見てもらっていたが、魔王様が死んでからというもの、吸血鬼というのは人間の差別の対象になる生きもののようで、その日も大人数で囲まれていた。
「やめて……ください……」
地面にへたり込みながらそう言った。
「お前のせいでこっちは安心して眠れないんだよ!」
そう言いながら彼らは執拗に殴ったり、蹴ったりしてくる。
人間よりも頑丈な身体ではあるのだが、身体はアザまみれで、骨は何本も折れていた。
そのときだった。
「大人数でいじめて楽しい?」
黒い外套を纏った灰色の髪の少女がそう言った。
「あ?お前には関係ないだろ」
「いや、関係あるね」
「そうか、お前もこんな風になりたいんだな?」
ボロボロの私を指差す。
「お望み通りにしてやるよ!」
一人の男が彼女に殴りかかったとき、
立っているのは彼女一人だけになっていた。
その動きはあまりにも速く、私には目で追うことさえもできなかった。
「大丈夫?立てる?」
「えぇ、なんとか」
彼女の家に連れて行ってもらい、応急処置を受ける。
「こんな感じでいいかな?」
彼女は吸血鬼の私にも優しくしてくれた。
「はい、大丈夫です。こんな私にも親切に接してくださってありがとうございます」
私が人間に憧れたのはここからだった。
私が憧れたあの人とさっき嵐のように過ぎ去って行ったあの人は、同じ人だろうと心のどこかで確信していた。
まず、姿がとても似ていたこと。
次に、雰囲気がとても似ていたこと。
最後に、私の第六感。
この事から合っているだろうと確信するが、
さらなる確証を得るため、自分がさっきまで弄んでいた彼女の荷物を漁る。
私から盗もうしたルーン、洋服一式と彼女のルーン、そして、よくある名刺が出てきた。
名刺に書かれてある名前を確認する。
ラヴァンドラはまた呆然とした。
「なぜ──」
そこには見覚えのある名前が書かれてあった。
「気のせいでしょう。いや、もしかしたら──」
彼女は名刺を持ってそう呟いた。
日の光が黒く染まってきた頃、お姫様抱っこをされたまま経緯を説明していると前方には私の見知った家が見えてきた。
リンの家にて、私は過保護な親の様にリンから心配されていた。
「大丈夫?怪我してない?」
「うん、なんとか大丈夫」
「本当に心配したんだから」
リンが私の背中に手をまわす。
「心配してくれてありがと」
私も彼女の背中に手をまわす。
「あ、そういえば」
「なにかあった?」
「過去に私と会ったことある?
今回みたいにあなたに助けられた経験があるんだけど」
今日の出来事で思い出したことを尋ねる。
「うーん……あるんじゃないかな?」
やけにふわっとした回答が飛んでくる。
「困っている人は助ける主義だから」
「じゃあ、あるのかもね」
こちらもふわっとした返答を耳元で囁く。
「もう一つ質問していい?」
「いいよ」
「あなたは私とどんな風に出会ったの?
それ以前の記憶が思い出せなくてさ」
「たしか……走ってたあなたと曲がり角でぶつかったんじゃなかったっけ?」
「そんな出会い方だったんだ」
この会話で思い出した。いや、思い出してしまった。
しかし、今更どうすることもできないだろう。
心地のいい沈黙が残る。
「そろそろ家に帰ろうかな」
背中から手を離して立ち上がろうとしたが、
「やだ」
と言われてしまい立ち上がれなくなる。
「本当に心配したんだよ?あなたがどこかに消えてしまいそうで怖かった……」
彼女は消え入りそうな声でそう言った。
「だから、今夜は絶対離さない」
蠱惑的な、それでいて決意しているような
声でそう続ける。
「ねえ、リン。私が色欲のコードに罹っているって知ってるよね?」
「うん、帰ってる時に聞いたから知ってる」
「……襲っちゃうよ?」
「いいよ」
「……いいの?」
予想外の返答で私は狼狽えた。
「うん、あなたの全てを受け入れるから」
「ありがとう、私もだよ」
床に彼女を押し倒し、その目をまじまじと見つめる。
彼女の灰色の髪と私の白色の髪が交じる。
「じゃあ、遠慮なく」
私達は夜通し愛を確かめあった。
翌日、鳥のさえずりで目を覚ました。
二人とも床で寝ていたせいか身体が痛い。
「おはよう」
リンが声をかけてくる。
「おはよう」
私もそう返した。
そのまま彼女の家で朝食を食べ、
彼女の家を出発して私の家に帰る。
「昨日は本当にありがとう」
「大したことじゃないよ」
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
何事もなく家に着く。
そこからは何事もなく日常が始まる。
いつも通りルーンを作っていたら、家の扉をノックする音が聞こえてきた。
ドアノブを捻り、扉を開く。
「げっ……ラヴァンドラ……」
そこにはバッグを持ったラヴァンドラが立っていた。
「これを」
そう言いながらバッグを私に差し出す。
「確認していい?」
「えぇ、どうぞ」
そこには私の洋服一式と元々持っていたルーン、さらに大量の空のルーンが入っていた。
「こんな大量にもらっていいの?」
「えぇ、その代わりお願いがあるのですが」
「なに?」
「自己紹介をしてもらってもよろしいですか?」
「いいよ」
「私の名前は──」
一拍おいて告げる。
「成長と絶望の魔法使い、リリィ・ノワール。これからよろしく」
──少女は魔王を知っている。
少女は魔王を知っている。 百合いのり @garekinomajo
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