第7章:竜のゆりかごの真実


 アクリという大きな存在を失った哀しみを胸に、レイたちはギルドへ帰還し、封印の遺跡での一部始終を報告した。その報告の最中、彼らを救った謎の黒竜の存在が王都にも伝わることとなる。


 報告を終え、重い空気の中で今後のことを考えていると、受付嬢が一枚の羊皮紙を手に、静かに彼らのテーブルへ近づいた。


「皆様、お疲れのところ申し訳ありません。王都より、皆様への追加指名クエストです」


 その依頼内容は「遺跡に現れた黒竜、及びその竜騎士の追跡調査」。


「俺たちに……?」


 レイが問い返すと、受付嬢は頷いた。

「はい。危機的な状況で黒竜に救われたというご報告を受け、王国は『竜と直接接触したあなた方こそが、この任務の適任者である』と判断されました」


 あの竜騎士の姿が、レイの脳裏に焼き付いて離れない。確信があった。


「……ホリーかもしれない」


 その呟きに、ウィズが静かに応える。

「だろうな。あんな無茶苦茶な強さ、俺たちの知る人間じゃありえない。行くんだろ?」


 フィランは、胸元で揺れるアクリのペンダントを強く握りしめた。

「ええ。行かなきゃね。……あいつが命を懸けて守ったあんたたちを、ここで終わらせるわけにはいかないもの」


 三人の意思は固まった。ウィズの解析魔術が、飛び去った竜のかすかな魔力の痕跡を捉える。その軌跡が指し示していたのは、地図にも載らない世界の果て――雲を貫く孤峰が連なる、伝説の地だった。



    揺れる鱗、交わる刃

 

 世界の果て、雲よりも高い孤峰の内部に、竜族の聖域が広がっていた。

 

「くっ……この数……っ!」

 

 封印の遺跡からその痕跡をたどり、魔族が襲撃してきたのだった。

 

 

 紫電を纏った槍が地を走り、次々に魔族を穿つ。だが、その波は途切れることなく、まるで押し寄せる濁流のようにホリーとくろゆりを飲み込もうとしていた。

 

 

「数が……多すぎる。くろゆり、後ろ!」

 

 黒き鱗を煌めかせ、くろゆりが振り返りざまに尾を振るう。それだけで数体の魔族が吹き飛んだが、また別の影が迫ってきた。

 

 

「散らばりなさい。1体1体は雑魚でも、数が揃えば肉も骨も削れますわ」

 

 そう告げたのは、魔王軍の幹部だった。真紅の仮面をつけ、まるで炎そのもののような魔力を纏った女魔族である。

 

 

「黒竜とその竜騎士……さすがに手ごたえがありますね。でも、ここで潰しておかないと後が厄介です」

 

 彼女の号令一下、上級魔族たちがいっせいに突撃を開始した。

 

「……少し、焦った方がいいかもしれない」

 

 波状攻撃のせいで、ブレスを溜める時間が十分に取れなかった。

 

 くろゆりが珍しく声に焦燥を滲ませた。翼を傷めたのか、片翼を庇うように地を走っていた。ホリーも額に汗を浮かべ、治癒の詠唱に集中しきれていない。

 

 

「あと少し……あと少し時間があれば……!」

 

 だが、希望の光は別の方角から差し込んだ。

 

「ホリーっ! 無事か!」

 

 その声に、ホリーは顔を上げた。

 

「レイ……?」

 

 断崖の上に立つ影――レイ、ウィズ、そしてフィランだった。

 

 レイは迷いなく飛び出した。剣を振り抜きながら、片翼を庇うくろゆりのもとへと駆ける。その姿に、ホリーの胸が締めつけられた。

 

「待って……! 来ないで、レイ!」

 

 その叫びも、レイの足を止められなかった。

 

「ここは……あなたたちの来る場所じゃない。くろゆりも私も、大丈夫だから……お願い、これ以上、誰かを失いたくないの!」

 

 その声は震えていた。必死に立ち続けてきた少女の、剥き出しの本音だった。誰よりも強くあろうとしたその背中に、レイはただ静かに言葉を返した。

 

「もう、遅いよ」

 

 レイは振り返らなかった。ただ前を見据えたまま、くろゆりの横に立つ。

 

「それに……俺はホリーを救いに来たんだ」

 

「救う……? 私は、もう……誰かに守られるような存在じゃ――」

 

「そういう面倒くさいことはな」

 

 レイは剣を構えた。風が吹き抜け、黒竜の鱗と彼の髪を揺らした。

 

「みんな、生き残ってからにしようぜ」

 

「フィランさん、指揮を頼む」

 

 言葉ではなく、背中で語るレイの姿。その頑固さとまっすぐさに、ホリーの心は揺れた。

 

「援護は任せた、天才魔術師!」

 

 フィランが護りの結界を張った。

 

「おおせのままに!」

 

 ウィズの火球が魔族の群れに炸裂し、戦線が一瞬で崩れた。

 

「ホリー、下がって!」

「遅れて悪かった! 今から取り返す!」

 

「でも、くろゆりが――」

 

 

「大丈夫だ、俺がいる!」

 レイの剣が、くろゆりの前で三度輝いた。三体の魔族の腕が、首が、脇腹が血を噴き出す。



 その瞬間――くろゆりは目を見開いた。


 

 人間が、自分を助けに来る。あろうことか、自分のために命を懸けている。

 

「なぜ……っ」

 その問いは、声にはならなかった。

 

 なぜ、人間が私を助ける?

 そんな力もないくせに。

 私が人間を憎んでいることを、知らないのか?

 

 くろゆりは一瞬瞠目したが、すぐに翼を畳み、レイの背後へ跳躍した。

 

 レイは驚く様子もなく、振り返りもせずに言った。

「無事でよかった。くろゆり。俺の背中はお前に任せた、あいつらを倒すぞ」

 

「……来るなら、もっと早く来い」

 

「悪かったな。でも、こっからは一緒にやろうぜ」

 

 その言葉に、くろゆりの胸奥で、得体の知れない何かが揺れた。温かくて、眩しくて、ずっと見ないふりをしていた何かだった。

 

 並んで走るレイとくろゆり。剣と爪、火球と尾撃。人と竜が、まるで呼吸を合わせるように連携し、周囲の敵を次々に打ち倒した。

 

 くろゆりは静かに思った。

 ……あれほど人間を嫌っていたのに。

 あれほど、この者を軽蔑していたのに。

 

「くろゆり、一度下がるぞ」


 

「……見誤っていた。お前は、ただの小僧ではなかったようだ」

 

 その声には、いつもの棘も傲慢さもなかった。ただ、初めて「仲間」として認めた者への、微かな敬意が滲んでいた。

 

 黒竜の瞳に、わずかな光が宿った。その輝きは、かつてホリーが差し伸べた優しさとも、どこか似ていた。

 

 

 一方、フィランとウィズも怒涛の勢いで前線を押し戻していた。

 

「ウィズ、左の群れは任せた!」


「了解! 雷霆よ、穿て!」

 


 ――そして。

 

「……もうよろしいですか?」

 魔王幹部が前へ出た。炎の仮面が不敵に笑う。

 

「これ以上、手間はかけません。私が直接――」

 

 しかし、その言葉が終わる前に。

 

「よく味わいなさい、これがくろゆりの本気のブレスよ」

 

 ホリーの声が、静かに降ってきた。

 

「なにを――」

 

 次の瞬間、くろゆりの咆哮が天地を揺らした。その黒炎は以前よりもずっと鋭く、幹部の身体を薙いだ。

 

 

「――ッ!? 私の結界が……!」

 

 黒い翼が、風を切って駆ける。

 レイの剣が、魔王幹部の懐へ飛び込んだ。

 

「っく……くっそ……!」

 

 幹部の身体が崩れ落ちた。残された魔族たちは動揺し、戦線が瓦解する。

 

 やがて、戦場には静寂が戻った。

 

 レイはくろゆりに顔を向け、静かに言った。

 

「助けが間に合って、よかった」

 

 くろゆりは何も言わなかった。ただ、レイの顔を見つめるだけだった。

 

 やがてホリーが進み出た。

 

「ありがとう。レイたちが来なければ、私たちは――」

 

 そして、くろゆりの横に並びながら、静かに語り始めた。

 

「本当は……言わなければいけないことがあるの。黒竜と、そして封印のこと――」

 

 

 

    封じられし真実、竜の記憶

 

 陽は傾き、竜のゆりかごに長い影を落としていた。

 戦火の残り香がまだ空に漂う中、岩肌に風が擦れる音だけが聞こえてくる。

 

「……ここは、竜の命が生まれる場所。だけど今は、命の眠り場になってしまったわ」

 

 ホリーの声は静かだった。

 孵化の止まった卵たちが、割れぬまま並ぶ洞窟の奥。そこはかつて、黒竜が仲間たちと共に未来を見守っていた場所であった。

 

「あなたたちに、知ってほしいの」

 

 ホリーはぽつりと口を開いた。「――黒竜の、本当のことを」

 

 レイたちはそれぞれ疲労の色を見せながらも、耳を傾けた。くろゆりは無言で床に丸まり、瞳を閉じていた。

 

 

「かつて、世界が魔王に侵されたとき……黒竜は、竜の民の青年と魔王を打ち滅ぼそうとしたの」


「そして魔王を打ち滅ぼす寸前まで追い詰めたのだけれど、魔王は古代魔道具で亜空間へ逃げてしまったの」


「とどめを刺すことのできなかった黒竜は、己の命を代償に、亜空間の封印の番人となることを選んだのよ」

 

 その言葉に、誰もが息を呑んだ。

 

「でも……」

 

 ホリーは唇を噛むようにして続けた。

 

「人間たちの為政者は、それを“災厄”と呼んだ。“黒竜が魔王と共に封印された”と記した。

 ……本当は、“封じた”のに。人間を守ろうとしたのに」

 

 沈黙が落ちた。

 風が、崩れた瓦礫の隙間を通り抜ける音だけが耳に残った。

 

「黒竜は、最後の最後まで、竜と人の未来を信じていたわ。遠い昔に竜の民の青年と交わした契約を守りながら」

 

 ホリーの視線は地に落ちたままだった。だが、その目の奥に宿る光は、消えかけた焔のように揺らぎながらも確かに強かった。

 

 

「私は……黒竜に選ばれた、くろゆりの伴侶となるために、魔王を討伐するために」


「それは、押し付けられたものではなくて、私が選んだの」


「魔王から、レイとウィズとみんなを守るために」


「そして何より私はくろゆりが好き」

 


 その名が呼ばれると、くろゆりがゆっくりと目を開けた。

「竜は誇りのために契約を守る」

「人間は何のために、わざわざ危険に身をさらす。」

 

「ホリーは、私の伴侶となるため、どんな試練に遭っても黒竜を信じていた。

 わらわには、それが……何よりも痛い」

 

 彼女は、レイに目を向けた。

 

「そしてお前だ。なぜ、私を助けた?」

 

 レイは少し間を置き、答えた。

 

「理由なんて、あとでいい。……ただ、目の前に仲間がいたから助けた。それだけだ」

 

 くろゆりの目が微かに揺れた。それは戦場で見せた鋼の視線とは違い、どこか迷いを帯びた、生きている者の目だった。

 

 

「人間は嫌いだった。わらわたちは裏切られ、傷つけられ、何度も……」

 

 くろゆりはうつむき、短く息を吐いた。

 

「でも、少しだけ……お前は違うのかもしれない」

 

 その言葉に、ホリーは微笑み、そっとくろゆりの肩に手を添えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る