飼い犬が逃げてった-ダーク
飼い犬が逃げてった。
チビを飼い始めたあの日のことは、今でも鮮明に覚えている。ペットショップの小さなケージの中で、こちらをじっと見つめていた小さな柴犬。ふわふわの毛に包まれた彼は、まるでこの世のものとは思えないほど無垢に見えた。
「これからはずっと一緒だよ」そう言って家に連れて帰った。
しかし、時間が経つにつれて、その無垢な表情の裏に何か深い影があることに気づき始めた。
最初の数日は、よく眠り、よく食べた。だが、夜が近づくと、チビの様子が変わった。暗い部屋の隅に座り込み、ぼんやりと壁を見つめ続ける。何かが見えるように、じっと一点を見ている目には、生気が感じられなかった。
夜中、突然吠えだしたこともあった。誰もいないはずの部屋の空気を切り裂くように。耳を塞いでも、あの声は耳に残り続けた。
僕は最初、「慣れない環境で怖いんだ」と思っていた。けれど、日に日にチビの不安は増していった。散歩の途中で立ち止まり、何かに怯えて震え、帰宅後は床に伏せて動かなくなることもあった。
仕事で疲れ果てた体を引きずりながらも、僕はチビの様子を見守った。けれど、どうしていいかわからなかった。誰に相談すればいいのかもわからなかった。
ある晩、突然チビが叫び声を上げた。まるで心の底からの絶叫のようだった。部屋の中を狂ったように走り回り、壁にぶつかり、机の下に隠れた。
「チビ、落ち着いて!」僕は必死に抱きしめた。しかし、彼の瞳は何か遠い場所を見ているようで、僕の声は届いていないように感じた。
それからの日々は、まるで悪夢のようだった。チビの異常行動は激しくなり、夜も眠れない日が続いた。僕の心も次第に壊れかけていた。
そして、あの日。
散歩の途中、チビが突然リードを振り切り、闇の中へ走り去った。
「待って!」必死に追いかけたが、彼の姿は闇に消えた。
家に帰っても、部屋にはチビの気配はなく、ただ冷たい空気が漂っていた。
その夜、僕は初めて、孤独と絶望の意味を知った。
飼い始めたはずの小さな命は、僕の手からすり抜けていった。
そして、何より怖かったのは、あの静寂だ。チビの叫びも、震えも、もう聞こえない。
ただ、深い闇が部屋を包んでいた。
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