第8話-4


 それからの数日は、昼間にソラさん、夜には涼介というのがまた、パターン化した。


 私はできるだけ、昼間のソラさんと時間を共有した。たわいもない話をしたり、黙ってただ一緒に過ごしたり。 


 それからまもなくやってきた時の記念日は、丈琉の誕生日だ。夕方から、誕生パーティーがはじまった。

 丈琉の大好きな鶏の唐揚げが食卓に並び、母親の手作りケーキもあった。

 達樹さんは、涼介を呼んだ。


 ……そう。ギターをかついだ、涼介だった。

 私はあの日、Tシャツを一緒に買いにいったあのとき、ソラさんを招待したのに。

 中身はほんとうの、涼介だった。

 

 目が合った瞬間に、涼介が顔をひきつらせて笑った。その口が「ごめん」とつぶやいたのが見えた。

 

 ソラじゃなくて、ごめん。

 

 そう思わせてしまう、自分自身に腹が立つ。丈琉のために来てくれた涼介に、窮屈な思いをさせてしまって。


 母親と達樹さんは、丈琉に重たい『広辞苑』をプレゼントした。私だったらうれしくないのに、丈琉は大喜びだった。

 私があげたカタツムリのイラストが描かれたTシャツにも、目を輝かせてくれた。

 涼介はギターで誕生日の歌と、丈琉の好きなアニメの主題歌を弾き語りして、祝ってくれた。

 すごく涼介らしいプレゼントだった。久しぶりにギターと生歌を聴けて、私は心からの拍手を贈る。


「ありがとうね」

 そう涼介に言うと、照れたように笑った。

「やっとオレのこと見て、本心で笑いかけてくれたな」

 そんなことを小声で言われるから、私は自分の小ささを思い知る。なんで再会した  その瞬間に、笑顔で迎え入れることができなかったんだろう、と。

 夕飯の片づけをすませてから、丈琉の部屋に、涼介とお邪魔する。


 丈琉はカーペットの上にすわって、『広辞苑』とにらめっこをしている。よっぽど気に入ったようだ。

「受験勉強で忙しくなるね」

 丈琉のわきに正座して、声をかけた。

「うん。でもさ」

「なあに?」

「ぼく、やれそうな気がしてる。なんとなくだけどね」

「丈琉はホント、勘が鋭いからね。きっとうまくいくよ」

 はにかんでまた、丈琉は広辞苑に目を落とした。

「見て見て。へまむし入道だって」

 はずんだ丈琉の声。

「へまむし?」

 涼介がすっとんきょうな声を上げ、私たちは分厚い辞書をのぞきこむ。

辞書なのに、イラストが描かれていた。

「わ、〝へマムシヨ〟の文字で、おじいさんの横向きの顔になってんじゃん! すげえ、〝入道〟の文字で身体まで!」

 私もびっくりだ。文字でこんな絵が描けてしまえて、それが辞書に図解入りで載っているなんて。

「辞書って、おもしろいな。知らない、いろんなことを知れる」

 思わず噴きだしてしまう。

「涼介、おなじの持ってるでしょう? もらったとき、不満たらたらだったけど」

「やっと良さに気づいたよ。オレ、成長してるなあ。ソラのおかげかもなあ」

 しみじみと言う涼介がおかしい。

「でも、丈琉はどうしてこれがほしいってリクエストしたの?」

 訊くと、にやっとして私を見た。


「あー……チンアナゴのお兄さんに勧められて」

 ソラさんに?

 目の前の涼介を見ると、うなずいている。そういえば涼介の部屋を訪れたとき、ソラさんは『広辞苑』を読んでいた。

「〝物知りになれるよ〟って、手紙に書いてあったから」

 うれしそうにはにかんで、丈琉はまた辞書に目を落とす。

 やっぱり童話を書く人だ。小さな人を気にかけてくれる。


「それじゃあ……オレ、そろそろ帰るね」

 涼介が帰りじたくをはじめる。階段を下りて玄関先で靴を履く、その背中を見ているうちに、思い立った。

「涼介、ちょっと待って」

 手にしたスマートフォンで〝薄田蒼穹〟と検索してみる。怖くてこれまで、しようとしなかったことだ。

 ソラさんが童話作家として、なにか作品を世の中に残してはいないか。期待をこめたものの、なんにもヒットしなかった。


「ねえ、薄田蒼穹という人は、ネットの中に存在していないみたい」

「ってことは、本を一冊も出していない? 作家にはなれなかったってことか?」


「そうだよね。作品を発表できなかったのかもしれない」

「あるいは、ペンネームで活動したとか」


「そうだったらいいけど……まさか、東京大空襲で!?」


 私たちは絶句した。

 ソラさんが、死んでしまうかもしれない。

 3月10日、東京大空襲で……!


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