第5話-1 小さい弟
その日も華恋が私に寄ってくることはなかった。いじることもないし、とりたてて無視を決めこんでいるわけでもない。ただただ私はクラスメートのその他大勢、というか、たんなるモブキャラで、眼中にないようだ。
天晴れコンビは天くんがアルバイト、晴也くんは軽音楽部とのことで、またしてもダッシュで行ってしまった。
私はソラさんと陽彩の三人で電車に乗り、それからこうして自転車を押してカフェにやってきた。
ドアを開けると、鈴香さんが迎えてくれた。
「いらっしゃーい! わあ、今日はめずらしくお友だちつれてきてくれたの? それともあれなの? 三角関係?」
「鈴香さん! ヘンなこと言わないでくださいよう」
今日もミニスカ金髪の店長を、私はにらんだ。
「ごめん、小春ちゃん。私ってそういうの、敏感だけどデリカシーないから。あはは!」
敏感なんかじゃない。的外れだ。ふくれてみたけれど、陽彩は笑いを噛み殺している。
「好きな席、すわって」
鈴香さんに言われ、壁際の四人掛けのテーブル席に、ソラさんと隣同士、陽彩と向かいあってすわった。店内にはあと二組の客がいる。すいているから、二階は使っていないだろう。
「いらっしゃいませー」
茶髪の男性スタッフが水とおしぼり、メニューを置き、去っていく。
陽彩はいちごパフェ、私は今日も抹茶ブラマンジェ、ソラさんは冷たいカフェオレに初挑戦だ。
「それで? 涼介はほんとうに記憶喪失なわけ?」
黒めがちの目をいたずらっぽく輝かせ、陽彩は訊いた。
「陽彩くん。君の推理のとおり、僕は記憶喪失ではない。涼介くんではないんだよ」
ソラさんの静かな声に、水を飲みはじめた陽彩がゲホゲホむせる。
「ちょっ……マジ? ゲホッ……あー、水を向けたら水にむせたっ……ゲホッ」
咳きこみながら笑っている。
しばらく咳をしてから落ちついた陽彩は、ソラさんを見つめた。
「涼介じゃないなら、誰?」
「僕の名は、
ああ、ソラさん、ほんとうのことを打ち明けるんだ。私とふたりだけの秘密だったのに。
残念な気持ちと、秘密を共有した陽彩への仲間意識が生まれる。
「……昭和20年?」
少しの間のあと、驚いて訊き返す陽彩に、私は「第二次世界大戦中」とこたえる。
「マジ? 戦時中?」
声をひそめて、陽彩が身を乗りだす。店内をジャズの音色が、ゆるやかに流れていく。
「徴兵は?」
「免れた。肋膜炎と、あと、片脚がちょっと不自由で」
「それで、何月から来たの?」
「昭和20年2月……18日。つまり、1945年」
「どこから?」
「東京。僕は本所区、今の墨田区というところにいて、空襲に遭った」
「は? 東京!?」
大声を出した陽彩は、あわてて口を押えた。それから私の顔をのぞきこむ。
「小春、わかってる?」
「なにが?」
「3月! 3月10日! 東京大空襲!」
その言葉にがく然とした。東京が火の海になる空襲が起きるんだ!
ソラさんは東京にいる。どうしてもっと早く気づかなかったんだろう。
向こうでの時間はゆっくりだと言っていた。それならまだ、東京大空襲の前かもしれない。
「ソラさん、あのね。ああ、陽彩、私はこの人のこと、ソラさんて呼んでるんだけど」
うなずいて陽彩が「つづけて」と言う。
「あのね、ソラさん、必ず逃げて。生き延びて」
そこまで言って、疑問に思った。
「あれっ? 陽彩は信じてくれるの? 涼介じゃないって」
「そりゃ、信じるしかないじゃんか。そう思ったほうが、いろいろしっくりくるもんな」
「よかった。陽彩が柔軟な考えの人で」
「でしょう? ってか、え、大丈夫?」
陽彩の視線をたどると、私の隣で、ソラさんが頭を抱えていた。
「……くっ……あ……っ!」
呼吸が荒い。
「どうしたんですか? ソラさん?」
背中をさすってあげているうちに、テーブルに突っ伏してしまった。
「どうしよう!」
陽彩の顔色をうかがうと、まるで状況を判断しているみたいに、鋭い目でソラさんを見守っていた。
それからむっくりと、ソラさんは起き上がった。もう呼吸は荒くない。
やわらかだったそのまなざしは、力強いものに変わっている。
「……涼介!?」
驚きのあまり、大きな声が出た。
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