第4話

 浜では、その日の漁を終えた漁師達が幾人か残っておりました。若者の船がいつ戻るのかと、海を眺めているのでございます。

 前方に若者の船が見えた時、浜の漁師達は違和感を覚えて凝視しております。


 船の左右から手漕ぎ櫓まで出して、船を漕いでおります。そこから小さな白波を立てておりましたから、見守る漁師達に嫌な予感が沸くのでございました。

「板じゃ。なんぞ板を持ってきてくれぇ。」

 若者の船から叫ぶ声が届き、応じる漁師達が崩れかけの浜小屋へ走り出しております。


 残った漁師達は波打ち際へと駆け寄りました。その漁師達も、若者の船を覗くと絶句してしまいます。

 船底で横たわる若者は、もう虫の息。もしかしたら、息も止まってしまった気配さえしているのでございます。


「なんてことじゃあ。やめよと言うたのに。」

 痛ましい姿となった若者に、浜にいた漁師達もその悔しさを滲ませておりました。

 戸板らしき板へ移された若者が静かに浜へ下ろされると、その周りを漁師たちは寄り添うように囲んでおりました。


 足の速い者達は方々へ知らせんと走ります。勿論、大尽様がお泊りになっている先も、その一つでございます。

 知らせを聞いた者、漁から戻った者と一人ずつ、若者を囲う者が増えて参りました。


 程なくしてお大尽様が、押っ取り刀で駆けつけていらっしゃいます。知らせを受けたお大尽様とて、大変に驚れたのでございましょう。

 大きく目を見開かれて、酷く慌てたご様子にございます。浜の砂にお足を取られても構わぬご姿勢は、宛ら、転がるようにして馳せ参じるというお振舞にございました。


 長の目の前をお大尽様は通り過ぎようとなさいます。長がそっと声をお掛けして、恭しく両の手で差し出されたのは、あの宝刀にございました。

 お大尽様が待望としていた宝刀を手にすれば、きっとお喜びなさるだろう。浜の者達の誰もが、そう思っていたのでございます。


 所が、お大尽様は足をお止めになさいはしましたが、その場でしばしご覧になるだけでございます。それは柄や鞘の色形、下げ緒を持ってしても、紛うことなきお大尽様の宝刀でございます。


 それなのに宝刀をご覧になっても、お大尽様の目は大きく見開かれたまま、瞳だけが細かく揺れていらっしゃいました。

「ま、間違いない。それを侍従の者に渡すがよい。よお、やった。」

 宝刀を指さす大尽様のお手までも震わせておいでだったのです。


 意外なことにも、お大尽様はそのまま、若者の傍らへと駆け寄られてしまいます。

 手巾で丁重に扱われた宝刀は、鈍い光を反射しておりました。


 この時、もうすでに息を引き取っていた若者は、板の上で筵が掛けられておりました。

 その板の隅にこびりつく乾いた血に、お大尽様の目が留まり、そっと足の方を覗かれたのでございます。若者に起きた事を悟られたお大尽様は、沈痛なお顔をなさっておいででした。


 改めて、若者の顔が見えるだけ、筵を丁重に開けられますと、お大尽様はその場に両膝をつけて座り込んでしまわれました。

「なんと愚かであったことだろうか。あれほどに豪胆で気骨をもった若者であったものを。」 

 もはや血色のない若者の顔を、お大尽様はじっと見つめておいでです。昨日の若者に見た、あの憤怒に満ちた面差しを思い返されているのでございました。


 宝刀をうけとった侍従の方もまた、腰の得物に手を掛けた時の事を思い出されたのか。物思わしげにして、目を腰元へ落としておられます。

 ご侍従の手には、海より拾い上げられた宝刀が握られております。柄の飾りにある隙間から、落としきれなかったと思しき海藻が、はらりと細く垂れさがりました。


「許せ。許せよ。」

 若者は浜の名誉と誇りの為に、命を賭して名乗りを上げたのでした。

 他の誰しもが身の危険を恐れていたのは、決して口先だけのことではなかったのだと。お大尽様は漸くご理解なさったのでございます。


 若者を抱き起されますと、その頬に一滴の雫が落ちたのでございます。頬から滑り落ちた雫は、その下でぽつりと小さな浸みを滲ませたのでした。

「儂が至らなかったのだ。家宝に拘ったばかりに、そなたの命を散らせてしまった。情けなしとは儂の方であったのう。」


 家宝の太刀がお大尽様の保身にも関わる物とは申しましても、崇高な気概を持った若者の命を失わせたのでございます。そのご胸中にて惆悵ちゅうちょうとなさるのは、自責の念のみにあらずとお察し申せましょうか。


 丁重に若者を腕に抱かれて、その死を悼まれる大尽様のお姿は心に訴えるものがございました。始めは恨めしく思えた浜の者達も、その袖を静かに濡らしておりました。

 浜の長がそうっとお大尽様の御前に出ますと、深く額づいてお願いを申し上げたのでございます。


「その若者。母を残して、命を落としました。もし、お慈悲を賜れますなら、せめてその母御へ褒美を授けてやってはいただけませんか。」

「顔を上げよ。是は儂の責じゃ。口に出した約束を果たさねば、この若者に何をして贖えようか。」


 静かにそう仰せられたお大尽様は、若者の顔にお手をそっと添えられました。長が再び深々と頭を下げますと、その場にいた浜の者さえも倣って、次々と頭を垂れていったのでございます。


 息子の死を知らされて、若者の母御は深く嘆いたそうにございます。

けれど、せめて好きなだけ海を眺めさせてやりたい。そう願う母御の心情をお汲み取りなさったお大尽様は、誠を示してこれに応じられたのでございました。


 お大尽様は若者の弔いを丁重に整えると、侍従のお一人に供養の石塔を建立するよう申し付けられました。そのご命を賜わったご侍従は、お一人残られて、しばらくその地に逗留なさいました。

 やがて、鞆の小島に石塔が建ちましたのを見届けられたご侍従も国元に戻られたとか。


 これが由来となりまして、その小島は百貫島と呼ばれるようになったそうでございます。その石塔の立つ百貫島で、若者は愛した海を見守っているやもしれませんね。

 さて、気が付きましたら、もう夜も更けて参りました。お話しは仕舞いと致しまして、そろそろ下がらせて頂きましょう。


 今では弁天島と呼ばれているではないかとお尋ねですか。

 それはこのお話しのずっと後のこと。その島に弁天堂が建てられましたのが、徳川家様のご時世の頃と聞いております。その頃より、弁天島とも呼ばれるようになったのではございませんでしょうか。

 それでは、ごゆっくりとお休みくださいませ。


【終】

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百貫島の石塔 錦戸琴音 @windbell383

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