第四話 別れ

 何度も、何度も夏を繰り返した。秋を、冬を、春を。

 僕の山で彼女と一緒にご飯を食べて、もみじにまみれて遊んで、きのこを採ったり春にはたけのこを採ったりした。夜は抱きしめ合って眠った。喧嘩もした。くだらないことで揉めたこともあった。でもその度謝って、仲直りして前を向いた。

 一緒にいない時間はあったろうか。それくらい、ずっと一緒だった。



 いくつかお話を考えた。


「わたしが死んだら神さまになって、隣にいるの。それで困ってる人を助けるんだ」

「じゃあ僕は君が来るまで待ってる」


「もしわたしが眠ったらあなたはどうする?」

「眠り姫になったら、口付けをする。そしたら君は目を覚ますだろう?」

「そうだね。……素敵だね」

「うん」


 でも彼女との別れが近くなってするそんな話は、僕には辛くて寂しくて堪らなかった。



 ――僕は独り、鼻を啜る。


「おやすみ。またね」


 彼女は最期にそう言った。あの日口付けを交わしてから、三年が経った。今でも彼女の柔らかい唇の感触を、幼さの混じった声を思い出す。

 恋人に戻って数百年間、ずっと一緒に山で暮らした。どこを歩いても、彼女との思い出が蘇る。


 ただ、僕達の考えたお話はただの御伽話だ。見上げた夜空に光る星を見て「綺麗だね」と言う相手はもういない。必要のない食事も睡眠も、殆どしなくなった。けれどサイダーだけは偶に飲んだ。彼女が好きなものだったから。よく二人で飲んだから。


 初めて彼女に会った時、僕は駄菓子屋に偶々遊びに行っていた。その時僕が飲んでいたのがサイダーだった。彼女が欲しがって、可愛いからあげたら「好き」と、サイダーを気に入って。その後僕にも「好き」って言ってきて。……可愛かったなぁ。


 僕は一人でちびちびと飲んでいたサイダーを隣に置いた。

 昔を振り返って昼間買った二つのサイダーの内一つは飲みかけ、もう一つは開かないまま同じく僕の隣に座っている。ゆっくり飲んでいたらいつの間にか日が暮れて、大分炭酸が抜けてしまった。


 寂しい。

 いつかこうなることは分かってはいた。でも、一人で生きていくのにまだ慣れない。


「会いたいよ」


 空に吐いた声は、後から出てきた虫の声に掻き消されていく。

 ざあっと風が吹いて、草花が揺れた。


「サイダー残しててくれてありがとう」


 懐かしい、花のような声がした。気付くと、彼女が平然と隣に座って昼間買ったサイダーを開けている。僕が何も言えないでいると


「死んでも戻ってくるから一緒にいようって言ったのに。忘れちゃったの?」


 彼女は冗談で寂しそうに言ってみせる。


「忘れるもんか」


 声が滲んだ。


「少しだけ戻ってくるのに時間がかかっちゃった」

「いいんだよ、そんなこと」


 抱きしめた彼女の体は、変わらず温かかった。安心した。僕の夢なんじゃないかと思ってしまったから。


「よかった。また会えた」

「約束したもん」

「まさか命日に戻ってくるなんて」

「粋でしょ?」


 へへ、と得意げに言ってみせるから「粋すぎたよ」と答える。


「ぼーっとしてて二回逃した?」

「もう、失礼っ。逃しかけたけど、ちゃんと三回目で来たよ」

「うん、ありがとう」


 あたたかい。彼女の体温が、言葉が。死んでしまったけれど、確かにここに生きている。

 また話せる。話せている。僕の目の前に、笑ってくれている彼女がいる。霊体だからか少し透けているけれど、それ以外は変わりない。


「もういなくならないよ。これからは」

「うん。ただ、何も気にせず一緒に」


 微笑んだ彼女に口付ける。

 繋いだ手の温もりと、彼女から貰ったサイダーは甘い味がした。

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サイダー いとい・ひだまり @iroito_hidamari

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