アリースンの紋章

嘉倉 縁

第1話 三人目



 セレステは、十三歳だが死にたかった。


 彼女はいま荒野を駆け抜けている。

 強い日射しは大地からも反射し、視界は真っ白な光が氾濫して、眩しさに薄目でいることしかできない。汗が頭の中を流れ、うなじへと流れ落ちるのを感じた。

 暑い。いや、熱い。

 狂暴な熱気が少女を包み込んで、吸う空気に肺は焼けるようだ。苦しい。

 けれど直射日光を遮ってくれるような岩陰は何処にもない──そもそも岩陰があったところで、そんなところに留まっているわけにはいかなかった。

 なぜならセレステは脱走者だったからだ。

 彼女が頭からすっぽりと被っているのは一枚の毛布。

 被れば確かに熱いが、被らなければそれこそ火傷するような日光と熱気に晒される。薄い布では外気から身を守れない。

 しっかりと被った毛布の裾から覗く、編み上げられた支給品の革サンダルを履いたセレステの足は、褐色まではいかないが、美しい小麦色をしていた。

 右足首のくるぶし側には紺で複雑な刺青が入れられ、つま先は──土を踏んでいなかった。


 ──吸っても吸っても息が苦しい。これが、荒野。


 セレステが地表を滑るように飛来する姿は、まさに「翔ける」と人の呼び習わすそれだ。しかし、同時にそのことは、彼女がアリースンの紋章を足首に彫られた〈アリースン最高養成学府〉の生徒であることも物語っていた。

 セレステは昨夜、そのアリースンを脱走したのだ。


 ──でも、自分で選んだんだ。


 空色の前髪が、はらりと額に落ちた。汗でじっとりとしたその髪を、セレステは毛布の下で掻き上げる。


 ──眩しい。方角はこっちでいいのかな。


 行けども行けども変わらぬ風景に、セレステは突如、不安がつのった。ぐっと喉が詰まるような感覚がして、涙が滲む。セレステは視界を覆った涙を拭って、もう一度荒れ果てた大地を睨みつけた。


 ──〈神へ降る門〉は、とても大きな谷だと聞いている。きっと見つけられる。きっと。


 そこへ飛び込む。

 セレステの思いはそのたった一つだった。

 そして死ぬのだ。


 ──もうこれ以上、一瞬だって我慢できるもんですか! あんな所!


 セレステは、怒っていた。


 ──〈超奴〉が選ばれた人間ですって……? 貨物船を飛ばすために、何十人もの他の〈超奴〉たちと念を絞り続けて、まるで道具じゃない。そりゃ、保護されて、飢饉の時でも食べ物には困らないでしょうけど、私は、船の一部なんかじゃないし、第一そんなものになりたくもないわ……勝手に決まった相手をあてがわれて、結婚するなんてぞっとする。自分の思い通りに生きられないくらいなら、死んでやる。


 彼女が、そんなことを考えるようになったのには、理由があった。


〈アリースン最高養成学府〉


 そこは生徒達に学問を教える場などでは決してなかった。

 天然の岩山をくりぬいて作られた巨大な外観の内側には、指導所と宿舎が備わっている。

 科学不在のこの世界で、物を動かす原動力となるエネルギーを賄う〈超奴〉と呼ばれる人びとを養育するための、子供ばかりの施設だった。子どもたちは十六歳になるまでそこで一人前の〈超奴〉となるよう教育され、その先は様々な動力源として、最も適した能力を扱う場所へと、強制的に配属されるのだ。それはむしろ、出荷と言ってもおかしいことはない。本人達の意思など、そこにはまるでないのだから。

 意志どころか。

 〈超奴〉たちには自由がそもそも無かった。まず第一に〈超奴〉にはあらゆる学問が与えられない。文字と、計算。生きていく上で最低限の知識しか与えられないのだ。アリースンの中に歌を知る者はいない。何よりも物事に興味を持つことが禁じられていた。「どうして」や「なぜ」を口にする者には、鞭などの処罰が与えられ、酷いときには反省房行き。学府とは名ばかりの監獄だ。

 一度、セレステは宿舎が同室だった生徒を指導員から庇ったことがあった。

 指導所で技術指導があったときに、突然、雨が降ったのだ。

 砂漠地帯であるこのあたりで、それはとても珍しいことだった。

 窓の外の雨音に、生徒達は顔を見合わせた。

 そして、セレステの隣にいたその女生徒が、首を傾げて呟いたのだ。

「これ雨って言うんだよね。なんで空から水が落ちてくるのかな。不思議」と。

 途端、彼女の左頬へと指導員の指示棒が打しえられた。

 二度目の罰が与えられようと、指示棒が振り上げられたとき、セレステは思わず、叱責される女生徒の前に立ち塞がっていた。

「目に入ったらどうするんですか!」

 セレステは指導員に食ってかかる。

「彼女は質問をしていません! 独り言です!」

 指導員は、セレステの剣幕にたじろぐ。

 こんなにはっきりと物を言う生徒はアリースンに多くない。

「下級生、名前は?」

「セレステです」

「そうか、まだここへ来たばかりのお前には分からないだろうが、ご両親に教えられなかったのか? 目上の者に口答えはするなと」

 今度は平手が飛んだ。

 セレステへではない、指導員は先程の女生徒の頬を打ったのだ。

「~~~~~~ッ 申し訳ありませんでしたッ」

 セレステは、すぐさま引き下がった。

 手のひらは悔しさに拳を握りそうになったが、そんなことをしたら反抗とみなされ、また、あの女生徒が暴力を受けることになる。怒りは腹の中に渦巻いたが、頭では、ここの道理はおかしいらしいということをセレステは痛感した。

 やり方が薄汚い。

 けれどアリースンでの時が流れるにつれ、セレステはその薄汚い管理に、やがて慣れていってしまったのだ。

 反抗しないこと。

 徹底的にそれを教え込まれた。

 セレステがすっかり従順な生徒となった、そんなある日のことだった。

「何してるんだ?」

 男子生徒に背中から声を掛けられ、セレステは振り向いた。

「忘れ物をしてしまって」

 この廊下の先は講堂だ。

 セレステのグループは、指導終了後、そこの掃除をまかされていたのだが、明日までに覚えなければならない課題があったので、その要項を持って歩いていたのだ。

 そして、うっかりそれを、講堂に置いてきてしまっていたらしい。

「講堂にか?」

 声の主は、真っ赤な長い髪を肩の辺りで一つに縛り、真っ直ぐに前髪を切りそろえた、上級生だった。年度ごとに加えられていく、足首の紋章が完成している。最上級生だろう。

「取りにいけばいいじゃないか」

「そんな、勝手に取りに入るわけには……」

 すっかり萎縮しているセレステは、指導員の許可も無しに講堂へ入ることを躊躇っていた。

「指導員達は?」

「会議中だったの」

「でも、そいつは必要なんだろう?」

 セレステはこくりと頷いた。一刻も早く手順を覚えたい。

「来いよ。どこだ?」

 赤髪の彼は、ぐいと、セレステの手首を掴むと、強引に歩き出した。

「じ、自分で探せるわ」

 吃驚したセレステは、その手を振り払う。

「じゃあ、行きなよ」

 男子生徒は両手を挙げて、肩をそびやかした。

 セレステはどぎまぎしながら、講堂へと向かった。

 指導時間を終えた生徒達は、清掃労働後、全員宿舎へ向かわなければならない。

 こんな所をうろうろしているところを見つかったりしては大変だ。

 肝心の要項は、置いておいた長椅子の上に、そのままだった。


 ──あった。


 ほっとして、手に取り、もと来た廊下へ戻る。

 と、廊下の端に、先程の男子生徒が、まだ立っているのが見えた。

「あったのか」

 セレステの手元に目をやり、赤髪を揺らして彼は微笑んだ。

「よかったな」

 そう言って右手を上げて挨拶し、彼は行ってしまった。

 どうやら彼は、セレステが戻って来るまで、人が来ないよう見張っていてくれたようだ。

 

 ──いい人だ。


 なんとなく胸の奥に、やわらかく、あたたかいものが宿る。

 セレステは要項を小脇に抱え、彼に捕まれた手首へ、無意識に手をやっていた。

 男子生徒の手のひらの感触がまだ、そこにあるような気がした。

 その日からセレステは徐々に、もとの気丈な自分を──前のように無鉄砲にではなく──取り戻し始めたのだった。

 赤髪のその男子生徒とは、その後、会うことはなかった。

 セレステはあの時の礼を言いたくて、食事の時間に全学年共通の広い食堂へ集まる際、真っ赤な頭を探したのだが、いつも見つけることは出来なかった。

 今夜も、きょろきょろと周囲を見回しながら、セレステは食事のトレイを手に取り、配膳の列に並んだ。


『ダッソウシャが出たそうよ』


 すれ違いざまに聞こえた少女の低い囁き声が、セレステの耳を澄まさせた。


『……今度は何人……?』

『……二人……』


 食堂のざわめきが憎らしい、よく、聞き取れない。

 誰かの食事をのせる予定のトレイが、セレステの背を押した。後ろが詰まっているのだ。遠ざかる話し声をもっと良く聞こうと振り返ると、恨めしげな顔をした少年が、セレステをトレイ越しに睨んだ。が、彼女は無視した。


『昨日……一年上の…輩…』


 後はもう、ざわめきに掻き消されて聞こえない。沢山の少年少女がごった返す中、どの少女達が会話していたのかまるで判別できなかった。

 だが、セレステにはもうそれで充分だった。

 脱走者が出たのだ。

 それもつい昨日、二人もの生徒が!

 セレステは噂話に聞いたことがあった。


 ここアリースンを脱走した者は、〈神へ降る門〉で死ぬことが出来る、と。


 〈アリースン養成最高学府〉は、東西二千、南北七百キロに広がる、大荒野の真っ只中にあった。周囲に村落はひとつとして存在していない。あるのはこの総人口千二百人ほどのアリースンだけで、人の足では絶対に脱出不可能な、いわば陸の孤島だった。

 〈神へ降る門〉はそのアリースンから西の方角に数十キロ離れた場所に横たわる大峡谷だ。

 脱走者は初めて見る広大な荒野と強烈な日射に、まず大抵のものが絶望する。

 気力を振り絞って荒野に降り立った者は太陽の残酷な熱射と、行けども行けども空々漠々とした景色の無変化さに、すっかり気持ちが折れ、やがてアリースンの警邏による捜索隊に見つかり、ほとんどの者は連れ戻されてしまうのだ。

 だが、偶然にも峡谷の方へ逃げ出せた一部の者は、黒々と広がる〈神へ降る門〉を目にすることが出来た。

 強い陽射しの照り返しに、失明寸前まで網膜を焼き尽くされた者にとって、そこは光の砂漠に出来た闇のオアシスと言っても過言ではないだろう。憔悴しきった者達は両手を広げ、嬉々として〈神へ降る門〉へとダイブするのだ。

 なぜなら、そこまでやってきた生徒達は〈念〉を使い果たし、その峡谷を越えることが出来ない。かといって、体力の回復を待って峡谷を越えるわけにもいかない。回復を待っていれば、生徒が移動に使う〈念〉をレーダーで補足し、アリースンの警邏の者達が追いついてくるからだ。

 捕まるか、死か。

 脱走者には、その二択しかないのだ。


 ──ここを出る。


 セレステの全身に熱い血が走った。

 

 ──ここを。アリースンを……生きていく楽な道を捨てて。


 そして、セレステは考えた。


 ──薄汚い管理は、この先も続くんだ。意志を踏みにじられ言いなりになって生きていくのはもう嫌。動力源として行使されて、見ず知らずの男と結婚させられて、子供を産まされて……。


 そこまで考えて、セレステはぞっとした。

 なぜそれがこんなにも恐怖心を抱かされるのかは自分でもわからなかったが、今までにはなかった、嫌だという強い嫌悪感だけは明確に心にあるのだった。


 ──嫌だ。


 その時、セレステは赤髪の男子生徒のことを思い出した。まだお礼を言っていない。と、そして、そうだな、あの人だったら、結婚の相手にされても怖くないかもしれない。いや、むしろ、あの人がいい。そしてセレステは、自分の心に気づいてしまった。なぜずっと、自分は彼の姿を探し続けていたのか。なぜ、見ず知らずの男と結婚させられるのが嫌なのか。


 ──そうか、私は、あの人がいいのか。


 気がついて、セレステは首を振った。


 ──そんなことは無理だ。話では女生徒達は、二回りは年上の男達と結婚させられるらしい。


 配膳の列はゆっくりと進む。

 配られる食事を受け取って、セレステは決意を固めた。

 トレイを持って、空いている席へ着く。

 渡されたのは干し魚を煮たスープと、厚い皮のパン、そしてオレンジが半分だ。

 塩辛いスープにちぎったパンを浸し、セレステは口へ運んだ。


 ──それなら、死んだほうがましだ。


 咀嚼し、飲み込む。


 ──しっかり食べて、脱走しよう。


 一口一口を、セレステは、死ぬために口へと運んだ。


 セレステは、それからずっと脱走する隙を窺い。

 決意した日から一週間が経った深夜。


 毛布をそっと頭から被ると、セレステは荒野へと飛び出したのだった。




      ◉




 セレステが荒野を翔け続けるうちに夜は明け、昼間、猛烈な日射しに襲われながらも、彼女は諦めずに翔け続けた。

 やがて前方の乾いた大地に、ようやっと目的地らしき一筋の黒い影を見つけ、セレステは目を凝らす。


 ──あそこかしら?


 胸が、どきりとした。自分で出した問いに、こんな風に実感を呼び起こされるのは初めてだ。


 ──きっとあそこだ。


〈神へ降る門〉が、姿を現したのだ。


 ──あと、あともう少し……。


 一筋の黒い影は、途切れることも知らずセレステの目前に左右へと広がっている。視界の及ぶ限り続き、実に長大だ。この一見単調な黒い帯こそが、彼女の探していた〈神へ降る門〉だった。


〈神へ降る門〉


 それは幅と深さは約一キロメートル、長さはおよそ三二〇キロメートルにも及ぶ、巨大な峡谷だ。名前の由来は、もちろんその外観からではない。そこへ少年少女が身を投じるがゆえの俗称だ。

 峡谷の淵は、もう目前に迫ってきていた。

 闇から這い上がるような向こう側の絶壁が、荒々しい岩肌を剥き出しにしているのを見て、セレステは〈神へ降る門〉の巨大さに、背筋まで凍りつく。


 ──この〈神へ降る門〉でさえ、荒野の一部でしかないんだ。


 セレステは決意していた。


 ──捕まって連れ戻されるなんて、絶対に嫌。私もアリースンを飛び出していった人達みたいに……飛び込むまで。自分で飛び出すことができる唯一の世界の果て〈神へ降る門へ〉……。


〈神へ降る門〉へたどり着いたセレステは、息を沈める間もなく、目をつむり、濃い闇へと身を投げた。




      ◉




 本来ならば涼しいはずの洞窟の中は、作業のために灯されたランプのせいで、非常に暑かった。カムフラージュのため、出口も覆いで塞がれ、微風一つ入っては来ない。

「ディナ! 悪いけれど、この矢を飛ばす時に邪魔な出口の覆いを外してきてくれませんか?」

 少年は自分の二倍はある大きさの木と鉄の塊にしがみついたまま、傍らで地面に落書きをしていたもう一人の少年──カーディナルに声を掛けた。

 木組みの周りを右往左往しながら調整を進める少年は、邪魔そうに灰色の髪を掻き上げる。

 眼鏡の奥の灰緑色の瞳は、目の前の装置を見て、キラキラと輝いていた。彼は楽しくてしかたがないのだ。

「わかった」

 声をかけられ、カーディナルは両手を払いながら立ち上がった。その足首にもやはりアリースンの紋章。

 立ち上がってカーディナルは胸へ垂れ落ちた、真っ赤なまとめ髪を肩へと押しやった。

 ディナとは彼の愛称だ。

「スプルース。準備できたのか?」

 言いながら、やれやれとカーディナルは足元に視線を落とした。

 そこには自分が今まで書いていた落書きと、隣には眼鏡の少年、スプルースの書いた数字や記号が、時には三角の図形をともなって残されていた。

 カーディナルから見れば、それらも意味のない落書きのように思えるのだが、スプルースは『これは昔の本に載っていた、科学という古い学問だよ』と、答えた。

 ガクモン、とはなんだとカーディナルが尋ねると、スプルースは寂しげに微笑んだのだった。

「出来ました!」

 木組みと取っくみあっていたスプルースは一段落ついたのか、ようやく顔を上げる。

「これでようやくディナの妹さんに会いに行けますね」

 にっこりと微笑んで、スプルースは嬉しそうだ。

 カーディナルの三つ下の妹は、アリースンにはもういない。

「お兄ちゃん絶対迎えに来てって、アイツ泣いてたからな。早く行ってやんないと……」

 彼女は〈超奴〉としての能力が認められなかったため、〈力奴〉と呼ばれる技術労働者として〈ラルーイ養育所〉へと、十歳の時に引き取られていったのだ。

〈超奴〉とは遺伝によって生じる人種で、出生する割合は三割。同じ〈超奴〉の子供でも、通常の人間に生まれる場合があるのだ。その通常の子どもたちは〈力奴〉として〈ラルーイ養育所〉へ送られ、仕事に必要な簡単な技術を教えられる。そこで子どもたちはやはり十六歳まで育てられた後、普通の労働力として、やはり出荷される。たとえ〈力奴〉に〈超奴〉の能力が無かったとしても〈超奴〉を生み出す遺伝子は存在するため、〈超奴〉同様に〈力奴〉も管理された。

 学問の自由の不在、管理される出生。

 それら人権を無視した行為は〈超奴〉の遺伝子が国家の〈公共の財産〉と見做されているがゆえだった。この二つの人種を養育する施設は公共の施設であり、そして、それはこの国だけでは無く、世界中にこのような機関が存在していた。

「覆い! いま外してくる!」

 カーディナルは、足元のランプやパンくずの乗った紙切れを避けて、出口へと向かう。

 二人はしばらくここで暮らしていたようだ。

「はあ、外はもっと暑いなあ」

 ばさりと洞窟の出口を覆っていた布をカーディナルが外した途端、荒野の熱気がなだれ込んできた。

 そこは、あの〈神へ降る門〉の、アリースン側の絶壁だった。

 絶壁を縁から少し降りたところに小さな岩棚があり、今カーディナルが出てきた洞窟へとつづいているのだ。

 しばらく目を瞬かせながら、久しぶりに降り注ぐ太陽の陽射しを感じていたカーディナルは、自分に降ってきたのが、陽射しだけでは無いことに気がついた。


 ──影?


 ふと顔にかかる影を感じカーディナルは、上を向き──毛布をひるがえした空色の髪をした少女が降ってくるのを見たのだ。

「うわぁぁぁぁ!」

 カーディナルは思わず声を上げる。


 飛び込んできたのは、セレステだった。


「スプ! お、女の子! 女の子が降ってきた!」

 両腕で今しがた毛布ごと抱きとめたセレステを肩に担いで、カーディナルは洞窟の中へと転がり込む。

「やめて! 放して!」

「いてて、暴れるな、こら、痛てっつの」

 あまりの騒がしさに、スプルースは眼鏡押し上げる。それは好ましい状況ではないときにする彼のゼスチャーだ。

「ディナ、それは女の子なんですか? 僕には毛布の塊にしか見えませんが」

「あ、そか」

「ばかばかばか!」

 担がれたままのセレステは、カーディナルの背中を拳で叩きながら、真っ赤になって叫んだ。

「早く下ろして!」

「やだね。どうせまたすぐに飛び降りようとするんだろ」

「ほっといてよ、私の勝手でしょ!」

「お前アホか? せっかくここまで逃げてきて、さあこれから自由だぞって時に、身投げする奴がどこにいる?」

「あなたたちこそ、こんな所で何を……」

 そこではたと、セレステが口を閉じた。

 真っ赤なカーディナルの後ろ頭に、見覚えがある。

「あなた、あの時の……?」

「え?」


 ──講堂で、見張っていてくれた、あの人だ。


「脱走した二人組って、あなたたちのことだったのね……」

 セレステは呆然と呟く。

「あ? おまえ誰だ?」

 カーディナルの方は、セレステを覚えていなかったようだ。

 少し寂しく思いながら、セレステは尋ねた。

「死ぬ気だったの?」

 すると。

 穏やかな声で、スプルースが口を挟んだ。

「自殺したと思いましたか?」

 その通りだ。

 セレステは悔しくなって唇を嚙んだ。

 あの日、食堂で自分に一大決心をさせた人物らが、まさかあの時の人だったとは思いもよらなかった。

 そして脱走した二人は、潔く、尊い死の道を選び、とうに神に召されているとばかり思っていたのに。こんな穴の中で汗にまみれて生きていたなどと、誰が予想できただろうか。

「まさか、死ぬ気なんてさらさら無いさ」

 言いながらカーディナルは、軽々とセレステを地面へと下ろした。

「嬉しいね、俺達の後追いかい? でも、残念ながら俺達はこの荒野を抜けるんだ」

 カーディナルがにっと笑って、セレステの間近に顔をつき出したので、セレステは思わずその頬をはたいた。

「なっ何言ってるのよ! うぬぼれないで!」

 あまりのことに、それ以上もう言葉が出ない。


 ──こんな人達に感銘を受けて死のうとしていたなんて!


 驚愕と恥ずかしさにセレステは、わななきながらも必死に涙を堪えた。


 ──馬鹿みたい……私、馬鹿みたい。


 ひとりきりで駆け抜けてきた荒野は広かった。

 警邏の足音が遠ざかるまでの時間は長かった。

 同室のベッドで寝息を立てる、最後に見た友人の横顔は、とても愛おしかった。

 もう会えないであろうと思った赤い髪の男子生徒に、心の中でさようならを告げた。


 セレステは、全てを捨てて飛び出してきたのだ。

 

「まだ死にたいですか?」

 

 言葉はこんなにも冷たいのに、スプルースの声は穏やかな響きを持っていた。

 カーディナルは、はたかれた頬をさすりもせずに、セレステを見つめている。

 セレステはカーディナルの真紅の瞳を見つめ返した。


 ──また、会えた。


「そ、そのためにここまで来たのよ!! 私の努力を無駄にする気? 無理に決まってるじゃない! 誰一人! 誰一人として、この荒野を抜けた生徒はいないのよ? あなた達わかってるの? それに時間だってない! もうすぐ警邏が追いかけてくる頃よ! さっさと〈神へ降る門〉に飛び込んじゃわないと、連れ戻されて反省房行きだわ」

 警邏ときいて、二人の顔色が変わった。

「お前、まさか〈飛んで〉きたのか?」

 カーディナルの大きな手に両肩を捕まれ、その剣幕にセレステは思わず頷いた。

「あたりまえじゃないの! ここまで来るのに、走ってなんて無理よ! さあ、私の肩から手をどけて、時間切れよ!」

 カーディナルは肩から手を放さず、セレステの頭越しにスプルースを見た。

「スプルース……」

「確かにそろそろ時間ですね」

「スプ?」

 驚いた顔のカーディナルに、スプルースはいたずらっぽく笑いかけた。

「そうじゃないですよ、ディナ。外の僕が立てた棒の影が、地面に引いた線と重なっているか見てきてください。多分そろそろのはず」

「おっしゃあっ! ついにこの荒野ともおさらばだ!」

「あなた達まだ諦めないの?」

 両肩を捕まれたままのセレステの声は悲鳴に近かった。

 カーディナルは、セレステの顔を覗き込んで言った。


「何を諦める必要があるっていうんだ! まだ、俺達は何にも始めちゃいないんだぜ?」




      ◉




 その頃〈アリースン養成最高学府〉の第一責任者の執務室は、焦燥感で焼け切れそうになっていた。

「いいか。なんとしてもスプルース・ダッシュを取り戻せ。カーディナルを止めるのだ。殺してもかまわん……だがスプルース・ダッシュはそうはいかん! いいか傷ひとつつけるな!」

 激怒するアリースン最高指導官は、一週間を過ぎてもいまだ発見されない二人の〈超奴〉の行方に気を揉むあまり、下官の持って来た新たな脱走者の報告を聞いても、そうたいして注意を払わなかった。

「下級生が逃げた?」

 彼は片眉を上げた。

「はい、昨日。下級生のセレステにございます」

 下官はそれ以上、言棄を紡がない。尋ねるのは自分の責務ではないのだ。ただ、指示を受けるのみである。

「捨て置け!」

 案の定、彼の上司はそれ以上、部下の発言を待ちもせず、吐き捨てるように続けた。

「下級レベルの能力では、あの砂漠は越せまい。どうせその娘の行き先は〈神へ降る門〉であろう。この慌ただしい今、死体捜しなどに手間はかけられん」

 だが、と、上司は苛立たしげに執務机を拳で叩く。

「…………だがヤツ等は違うのだ! あの者共は特別な最上級! 砂漠を抜けるだけの力を所有しているのだ! 何としても阻止しろ! スプルース・ダッシュは必要なのだ!……そのためならあの赤毛の馬鹿は本当に殺してもかまわん! スプルース・ダッシュを生かしたまま取り戻せ!」




      ◉




「あなたたち死ぬ気なの?!」


 スプルースの脱走計画──空を飛んで定期貨物船に飛び乗ると知り、たまりかねて声をあげたのは、自殺志願者であるはずの、セレステだった。

 その言葉の内容に苦笑しながら、スプルースは説明を続けた。

「大丈夫です。定期貨物船は、アリースンを出入りする際、何重も厳しいチェックがありますから、最初から潜り込んでおくことは不可能です。ですから、最初から潜り込むのではなく、荒野へ出てしまってから飛び乗ることにしました。まさか一週間も前に脱走した人間が、こんな所に留まっていて今さら船に飛び乗ってくるなんて考えないと思いませんか?」

「アリースンに来る定期貨物船に飛び移る? そりゃ、私達は軽く浮くことくらいは出来るけれど、〈念〉を送って船の動力を動かすのとは訳が違うのよ? 出来るわけ無いじゃない、空を飛ぶなんて!」

「大丈夫だ。〈念〉は使わない」

 カーディナルは腕を組んで得意げに言った。

「ええ?」

「コイツで行くんだ。俺にはよくわからないが、この矢はなんかの仕組みで〈念〉無しで飛んで、船に突っ込むらしい」

 顎でカーディナルが指し示したのは、スプルースが今の今まで調整していた木組み──彼の言うところの矢だ。

「はあ?」

 セレステは呆れかえった。

「何を馬鹿なことを言ってるの、あなたホントにわかってる? 飛べっこないでしょ、そんなガラクタ。いい? それは、棒っきれと、ロープがついた、ただの運動用スプリングなの! それ以外の何物でもないでしょ! 体育室の運動器具に命あずける気?」

 セレステは、半ば真面目に話を聞いた自分を後悔する。

「棒っきれと、ロープがついた、ただの運動用スプリングとは聞き捨てならないですね」

 スプルースは眼鏡をずりあげると、作業の手を止めて振り返った。

「分度器だってついてますよ?」

「その円い板が半分になったものがなんになるというの!」

「お言葉を返すようですが、この分度器がついているからこそ、このスプリングはいち運動器具からりっぱな飛行体に……」

「ホントにもう結構! 一瞬でもあなた達を信じた私が馬鹿だったわ! こんな所でぐずぐずして、警邏の捜索に見つかったりでもしたら、ここまで逃げてきたのがすべて無駄になる! サヨナラ!」

 セレステは、カーディナルを見た。

 

 ──さようなら。本当にさようなら。


 セレステにとって、捕まってカーディナルと一生引き離されるくらいなら、今ここで死んだほうがましなのだ。

「カーディナルって言ったわね」

「あ? 俺?」

「ありがとう」


 ──最後に会えて本当に良かった。


 洞窟の入り口へ向かい身を投げようとでもいうのか、そう言って歩き出そうとしたセレステの腕を、カーディナルが掴まえた。

「待てって、どうしてそんなに死にたがるんだよ?」

 本当のことなど、セレステに言えはしなかった。

「腹いせか、あてつけかしら。この世界と、〈超奴〉に生まれた自分の運命への──あなたこそどうしてそんなに死を嫌うの?」

「あったりまえだろ! そんなの……」

 スプルースは口論する二人の様子を伺いながらも、入り口の外にある日時計を見て、言った。 

「話はそこまでに。定期貨物船が来たので続きは空でして下さい」

「わかった!」

「わかったじゃないわよ、行くなら二人で行って! 私のことなんて放っておけばいいでしょう?」

「ディナ、面倒だからその子はそちら側へ固定してください。君は反対側に。そうしたら次にそこの足元のレバーを蹴って……」

「ちょっと! 何するのよ! 放して……ッ!」

「こうか?」

 暴れるセレステの両手首を、軽々とつかみあげて装置にくくり付けると、カーディナルは迷わずレバーを蹴り上げた。

「……ください。合図を出すから……という人の話は最後まで聞いてほしかったですね、ディナ」

「悪い」

「いッ……やァッ~~~~~~ッ!!」

 スプルースの作り上げた巨大な矢は、三人を乗せ、見事な放物線を描いて荒野の空へと飛び出していく。

 後には、谷へと舞い落ちていく、セレステの毛布を残すばかりだった。




      ◉




 定期貨物船の操舵室では、船体に走った軽い衝撃に、乗組員達が顔を見合わせていた。

「なんだ? 今のは?」

 一瞬の警戒が走るも、船の動力に変わりがない確認をとると、船長は念のため、哨戒に周囲を見回らせる。

 哨戒がしばらく双眼鏡を覗いて、答えた。

「船長、峡谷に布が一枚落ちていきます」

「ふん、出際に聞いた昨日の脱走者が身を投げたか。なかなか根性のある子供だったようだな。〈神へ降る門〉迄たどり着くとは。アリースンに報告してやれ、脱走者の三人目は捜索不要、と」







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