第2話境界線の攻防
第二話:寝室別論争 - 境界線の攻防
「で、父さん、母さん。今日、こうして集まってもらったのは、『結婚の定義』について、みんなで話し合いたかったからなんです。」
ななみは、深呼吸をして、改まって切り出した。ローテーブルには、先ほどより少し冷めたほうじ茶と、母が用意したらしい、控えめな茶菓子が並んでいる。睦実が、横で応援するように頷いた。
父は、いつものように新聞を広げようとしていた手を止め、少し面倒くさそうな顔でこちらを見た。母は、穏やかながらも、どこか警戒しているような表情で、私たち姉妹を見つめている。
「結婚の定義、だと?」父の声は、少しぶっきらぼうだった。「結婚とは、男と女が結ばれて、家を継ぎ、子を育て、互いを支え合うものだろう。それ以外に何がある。」
さすが、父。結婚を、社会的な「義務」と「役割」の集合体として、淀みなく定義した。
「でも、お父さん。お母さん、ずっとお父さんの仕事に合わせて、ずっと…」睦実が言いかけたが、母が小さく「睦実」と制した。
「私は、お父さんの仕事に、支障がないように、できることをしてきただけよ。」母の声は、静かで、でも、どこか諦めのような響きがあった。
「お母さんは、お父さんのために、自分の時間も、やりたいことも、ずいぶん我慢してきたんじゃないの?」ななみは、母に語りかけるように言った。
「それが、結婚というものじゃないの?お互いのために、譲り合うものよ。」母は、そう言うと、少し寂しそうに微笑んだ。
「譲り合う、ですか。」ななみは、父と母の間に流れる、静かな距離感を感じ取った。二人の間には、言葉にならない、しかし明確な「境界線」があるように見えた。
「私、結婚したら、寝室は別にしたいなって思ってるんです。」
ななみの言葉は、まるで爆弾のように、静寂を破った。
父は、新聞から顔を上げ、目を丸くした。「なんだって?寝室を別に?それは、夫婦として、どういうことだ!」
母も、驚いた顔でななみを見た。睦実も、「えっ」と声を漏らした。
「だって、お父さんとお母さんだって、いつも一緒の部屋で、何時間も話したり、笑ったり、そういうの、ほとんどなかったじゃないですか。」ななみは、冷静に続けた。「私、結婚しても、自分の部屋、自分の時間が欲しいんです。お父さんとお母さんのように、お互いを「空気」みたいに感じてしまうのは、嫌なんです。」
「空気みたいに?結婚とは、二人で一つになることだろう!寝室を別にしたら、それは、もう夫婦じゃない、ただの同居人じゃないか!」父の声は、普段の仕事中のような、断固たる口調になった。
「でも、お父さん、あなたは、家に帰っても、ほとんど自分の部屋にいたじゃないですか。お母さんは、リビングで一人でいることが多かった。それに、お父さんだって、週末は一人の時間を楽しみにしていたはずでしょ?それは、お母さんを避けていたとか、そういうことじゃなくて、お父さんにとって、必要な時間だったんじゃないんですか?」
ななみは、父の結婚生活の断片を、的確に指摘した。父は、何も言い返せなかった。確かに、彼は家に帰れば、自分の書斎で過ごすことが多かった。それは、彼にとっての「必要な時間」だったのだろう。
「それは、仕事で疲れて、一人で静かに過ごしたかっただけだ!」父は、なんとか面子を保とうとした。
「なら、私達だって、そういう「必要な時間」があってもいいんじゃないですか?」ななみは、さらに畳みかけた。「結婚しても、お互いのプライベートな時間や空間を、尊重し合いたいんです。寝室を別にすることで、かえって、お互いの存在を新鮮に感じたり、自分の時間を確保したりできるんじゃないかって。それは、夫婦の形として、おかしくないと思うんです。」
「おかしい!それは、冷めきった夫婦のすることだ!」父が、声を荒げた。
「冷めきっている、ですか?お父さん、お母さんだって、いつも一緒の部屋で寝ていたけど、本当に「心」はいつも一緒でしたか?むしろ、お互いの存在が当たり前になりすぎて、大切にする気持ちが薄れていったんじゃないですか?」
ななみの言葉は、冷徹なほどに、二人の結婚生活の核心を突いていた。母は、俯いたまま、何も言えなかった。
「それに、別々でも、お互いを大切にすることはできます。むしろ、自分の時間と空間を大切にすることで、相手への尊敬の気持ちも、より深まるんじゃないかと。」
「尊敬?寝室を別にすることが、尊敬に繋がるだと?馬鹿なことを言うな!」父は、顔を赤くして、ななみを睨みつけた。
「例えば、お父さんが、書斎で静かに本を読んでいる時、お母さんが、リビングで一人で好きなドラマを見ている時。あれは、お父さんとお母さんにとって、それぞれにとっての「必要な時間」であり、そこには、お互いを尊重する心が、あったんじゃないかって、私は思うんです。」
ななみは、両親の姿を、客観的に観察し、そこから自分なりの「結婚の定義」を抽出しようとしていた。
「それに、睦実だって、いつか結婚するかもしれない。その時、睦実が、私と同じように、「自分の部屋」「自分の時間」を大切にしたいって言ったら、お父さんは、やっぱり「夫婦じゃない」「同居人だ」って言うんですか?」
ななみが、睦実に話を振ると、睦実は、少し戸惑いながらも、頷いた。
「うん、私も…お姉ちゃんと同じで、自分の時間、大切にしたいかな。」
父は、娘たちの言葉に、反論する気力を失ったようだった。新聞を畳み、深いため息をついた。
「…わからん。今の若い奴らのことは、わからん。」
母は、静かに、しかし、はっきりとした口調で言った。
「私は、お父さんとの結婚生活で、後悔していることは、たくさんあります。でも、あの時、私に、自分の人生を、もっと大切にしよう、と思える余裕も、勇気も、ありませんでした。だから…ななみが、自分の信じる結婚の形を、貫きたいというなら、私は、応援したい。ただ…」
母は、ななみを見て、続けた。
「ただ、お互いを尊重する、ということを、忘れないでほしい。それが、どんな形であれ。」
母の言葉は、ななみの心に、深く響いた。
「ありがとう、お母さん。」
ななみは、母に感謝の意を示した。父は、まだ納得できない顔をしていたが、これ以上、激論を交わす気はないようだった。
「しかし、寝室が別だと…」父は、まだ諦めきれない様子で、独り言のように呟いた。
「まあ、お父さん。とりあえず、今日のところは、これで。」睦実が、父の肩を軽く叩いた。
「定義会議」は、まだ始まったばかりだ。しかし、ななみは、確かな一歩を踏み出した。両親の結婚生活という「現実」と、自分たちの「理想」との間にある、越えなければならない溝。そして、その溝を埋めるためには、単なる「常識」ではなく、互いを「尊重」し、自分たちの「定義」を、明確にしていくことの重要性を、改めて感じていた。
「でも、お父さん、別々でも、お互いを大切にすることはできます。むしろ、自分の時間と空間を大切にすることで、相手への尊敬の気持ちも、より深まるんじゃないかって。」
ななみは、父の結婚生活の断片を、的確に指摘した。父は、何も言い返せなかった。確かに、彼は家に帰れば、自分の書斎で過ごすことが多かった。それは、彼にとっての「必要な時間」だったのだろう。
「それは、仕事で疲れて、一人で静かに過ごしたかっただけだ!」父は、なんとか面子を保とうとした。
「なら、私達だって、そういう「必要な時間」があってもいいんじゃないですか?」ななみは、さらに畳みかけた。「結婚しても、お互いのプライベートな時間や空間を、尊重し合いたいんです。寝室を別にすることで、かえって、お互いの存在を新鮮に感じたり、自分の時間を確保したりできるんじゃないかって。それは、夫婦の形として、おかしくないと思うんです。」
「おかしい!それは、冷めきった夫婦のすることだ!」父が、声を荒げた。
「冷めきっている、ですか?お父さん、お母さんだって、いつも一緒の部屋で寝ていたけど、本当に「心」はいつも一緒でしたか?むしろ、お互いの存在が当たり前になりすぎて、大切にする気持ちが薄れていったんじゃないですか?」
ななみの言葉は、冷徹なほどに、二人の結婚生活の核心を突いていた。母は、俯いたまま、何も言えなかった。
「それに、別々でも、お互いを大切にすることはできます。むしろ、自分の時間と空間を大切にすることで、相手への尊敬の気持ちも、より深まるんじゃないかと。」
「尊敬?寝室を別にすることが、尊敬に繋がるだと?馬鹿なことを言うな!」父は、顔を赤くして、ななみを睨みつけた。
「例えば、お父さんが、書斎で静かに本を読んでいる時、お母さんが、リビングで一人で好きなドラマを見ている時。あれは、お父さんとお母さんにとって、それぞれにとっての「必要な時間」であり、そこには、お互いを尊重する心が、あったんじゃないかって、私は思うんです。」
ななみは、父と母の姿を、客観的に観察し、そこから自分なりの「結婚の定義」を抽出しようとしていた。
「それに、睦実だって、いつか結婚するかもしれない。その時、睦実が、私と同じように、「自分の部屋」「自分の時間」を大切にしたいって言ったら、お父さんは、やっぱり「夫婦じゃない」「同居人だ」って言うんですか?」
ななみが、睦実に話を振ると、睦実は、少し戸惑いながらも、頷いた。
「うん、私も…お姉ちゃんと同じで、自分の時間、大切にしたいかな。」
父は、娘たちの言葉に、反論する気力を失ったようだった。新聞を畳み、深いため息をついた。
「…わからん。今の若い奴らのことは、わからん。」
母は、静かに、しかし、はっきりとした口調で言った。
「私は、お父さんとの結婚生活で、後悔していることは、たくさんあります。でも、あの時、私に、自分の人生を、もっと大切にしよう、と思える余裕も、勇気も、ありませんでした。だから…ななみが、自分の信じる結婚の形を、貫きたいというなら、私は、応援したい。ただ…」
母は、ななみを見て、続けた。
「ただ、お互いを尊重する、ということを、忘れないでほしい。それが、どんな形であれ。」
母の言葉は、ななみの心に、深く響いた。
「ありがとう、お母さん。」
ななみは、母に感謝の意を示した。父は、まだ納得できない顔をしていたが、これ以上、激論を交わす気はないようだった。
「しかし、寝室が別だと…」父は、まだ諦めきれない様子で、独り言のように呟いた。
「まあ、お父さん。とりあえず、今日のところは、これで。」睦実が、父の肩を軽く叩いた。
「定義会議」は、まだ始まったばかりだ。しかし、ななみは、確かな一歩を踏み出した。両親の結婚生活という「現実」と、自分たちの「理想」との間にある、越えなければならない溝。そして、その溝を埋めるためには、単なる「常識」ではなく、互いを「尊重」し、自分たちの「定義」を、明確にしていくことの重要性を、改めて感じていた。
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