【戦争】復讐という名の八つ当たりが、世界を滅ぼす
晋子(しんこ)@思想家・哲学者
過去の大戦の当事者ではない我々には『戦争』を終わらせるチャンスがある!
私たちは戦争という名の“怒りの相続制度”を、終わらせなければならない。
戦争は、正義の行為だろうか。
あるいは、歴史的な必然か。
それとも、単なる資源の争奪か。
人は、戦争の理由をいくつもの言葉で説明してきた。
だが私は、戦争の本質はもっと単純なところにあると思っている。
それは「感情」だ。
とりわけ、根深く、忘れがたく、そして制御しがたい感情──怒り。
人は奪われたとき、怒る。
愛する人を殺されたとき。
自分の国が侮辱されたとき。
文化や言葉を否定されたとき。
その怒りは、当然であり、時に「正義」にも見える。
誰もが共感しやすく、正当化しやすい感情だ。
だが、問題はその“怒りの行き先”だ。
実は多くの場合、怒るべき相手は、すでにこの世にいない。
家族を殺されたときの敵兵は、もう別の戦地に行っているか、戦死している。
町を焼いた指導者は退任し、別の人物が政権を担っている。
過去の侵略国家の面々は代替わりし、その当時の軍人も、歴史の中で静かに名を失っている。
それでも、怒りは消えない。
むしろ、時間が経ってもなお、怒りだけが残ってしまう。
そしてその怒りは、次の世代へと向けられる。
「彼らの国の子どもたちに思い知らせろ」
「我々が受けた屈辱を、彼らに味わわせろ」
「忘れてはならない。これは復讐だ」
本来怒るべきだった相手ではなく、関係のない子どもや若者たちが、その怒りの矛先にされてしまう。
無関係なはずの未来の人々が、過去の恨みを背負わされる。
そしてその怒りを受けた側も、当然、傷つき、怒る。
「自分たちはやられた」「自分たちこそが被害者だ」
そうやって、彼らもまた、自らの子どもたちに怒りを継がせる。
これが、戦争という名の「怒りのバトン」だ。
これは単なる歴史の連鎖ではない。
感情の連鎖であり、感情の遺産であり、怒りという“負の感情の相続”に他ならない。
もはや戦争とは、「正義の名を借りた怒りの八つ当たり」であり、
「本当に怒るべき相手がいないまま続く、感情の儀式」なのではないか。
この構造を放置する限り、戦争は終わらない。
なぜなら、「復讐」は実現されないからだ。
復讐したい相手は、もういない。
だが、怒りだけは残ってしまった。
そして、人間はその怒りを持て余してしまう。
だから、手っ取り早い“代償”として、無関係な誰かに怒りをぶつける。
「同じ国の出身だから」「あの宗教だから」「あの文化圏だから」
そうやって、戦争の火は次の世代に着火されていく。
そのとき使われる言葉がある。
「忘れてはならない」
「決して許すな」
「我々の恨みを忘れるな」
その言葉たちは、確かに記憶を大切にするものだ。
だが同時に、怒りを延命させる呪文でもある。
だからといって、「すべてを忘れろ」とは言わない。
「完全に許せ」とも言わない。
そんなことを一方的に押しつけるのもまた暴力だ。
ただ一つ、大切なことがある。
「今の自分が何に怒っているのか?」
「その怒りの相手は、本当に今ここにいるのか?」
これを問い直すことだけは、誰にでもできるはずだ。
怒りを持つな、とは言わない。
怒りに流されるな、ということだ。
怒りは感情として自然なものだが、それをどう扱うかは、理性の領域だ。
人間には、怒りに飲まれずに立ち止まる力がある。
その力を発揮するとき、人はようやく「復讐しない自由」を得られる。
「戦わないという選択」を持てるようになる。
もし今の私たちが、過去の大戦の当事者でないのなら。
私たちの手には、「戦争を終わらせるチャンス」が、最後に残っているのかもしれない。
怒りを継がないという選択。
それこそが、未来を変える本当の勇気ではないか?
復讐という八つ当たりを、そろそろ終わりにしよう。
怒りのバトンを、ここで落とそう。
その瞬間からきっと、平和は始まるのだから。
以上
【戦争】復讐という名の八つ当たりが、世界を滅ぼす 晋子(しんこ)@思想家・哲学者 @shinko
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