声にならない愛をあなたに
微睡とけい
第1話 運命の出会いと静かな交流
その教会の医務室は、街の喧騒から隔絶された静かな場所にあった。
魔族との争いで傷ついた兵士たちが、癒やしと祈りの中で静養する――そんな場所だ。
その一室で、若き兵士エリアスは、ベッドに横たわり、陽の差す窓の外をぼんやりと眺めていた。
整えられた短い黒髪と、漆黒の瞳。やさしげな目元でありながら、その瞳はどこまでも静かで、誠実な空気をまとっていた。
彼の腕や脚には厚い包帯が巻かれ、傍目から見てもベッドから動ける状態ではない。
「……まさか、呪いを受けるとはな」
人類と魔族の領地紛争が続く時勢、紛争地域は年々拡大。魔族との小競り合いの戦場に、エリアスのような若い地方兵も招集されることが増えていた。その戦場の最中、エリアスは右腕と左脚に深手を負った。
肉体の損傷以上に問題だったのは、魔族による呪術――骨の内部に入り込み、回復を妨げる呪い――だった。
呪術を行使した魔族はその場で討伐されたが、呪いの残滓がエリアスの身体を蝕んだ。衛生兵による治癒魔法を受け、呪いは消滅したものの完全な治癒には時間がかかっていた。
上官からは「命拾いしたと思って、しばらく休め」と命じられ、治癒師が常駐しているこの教会に療養を委ねられたのだった。
部屋の扉がノックされる。
朝の看護の時間だった。
「……失礼します。傷の確認と包帯の替えを」
落ち着いた声とともに現れたのは、少女だった。
柔らかな濃い栗色の髪を三つ編みにして背に流し、教会の白衣の上からエプロンを重ねている。両手には水差しと包帯、何かの薬草の乗った盆。
少女はエリアスのベッドに近寄り、手際良く用意を始める。
近くで見る少女の瞳は、蒼色に透き通っていて、エリアスはとても綺麗だと感じた。
エリアスは少女の瞳を正面から見たかったが、少女はエリアスと目を合わせようとはしなかった。
「ありがとう。俺はエリアス。よろしくね」
エリアスは少女に笑いかけたが、少女はびくりと肩を震わせ、小さく頷くだけだった。
まるで、言葉を恐れているかのように。
(ずいぶんと人見知りな子だな……)
エリアスは、自分の世話をしてくれる少女と仲良く話したかったが、無理に距離を詰めるような真似はしなかった。
時間をかけて、相手を知るのが一番――そう信じていた。
数日が過ぎると、エリアスは、その少女の人となりが少しずつ分かりはじめた。
彼女は毎日朝と夕、必ず同じ時間に訪れ、きっちりとした手順で看護を行う。そして毎朝、部屋に飾られた花瓶の花を交換していく。
「それ、君が選んでるの?」
ある朝、花瓶に活けられた花に目を留めて、エリアスが声をかけた。
「……はい。裏庭に、咲いてたので」
「名前、聞いてもいい?」
少女はわずかに目を伏せ、ためらいがちに答える。
「……ごめんなさい。何の花かは分かりません。ただ綺麗だったから……」
エリアスは思わず笑みがこぼれた。
「ごめん、花じゃなくて、君の名前を聞いたつもりだったんだ……君の名前、教えてくれるかな」
少女は一瞬ぽかんと目を見開き、ぱっと顔一面を真っ赤に染め、俯いた。
「……フィーネ、です」
囁くように言われた声はかすれていたが、不思議と耳に残った。
その日から、エリアスはフィーネに少しずつ話しかけ、フィーネもぽつぽつと答えるようになった。
フィーネは治癒師見習いとしてここで働いていること、シスター長にこの部屋を担当するよう言われたこと、紅茶はカモミールが好きなこと、街に遠出するときは花屋を訪れるのが楽しみであること、雨の日はちょっとだけ気分が沈むこと、治癒魔法を練習中であること――
ふとした些細な会話の中で、エリアスはフィーネのことを知り、フィーネもエリアスのことを知る。エリアスはフィーネと過ごす時間をとても楽しく感じていた。
フィーネの表情は最初の頃と比べて明るく、目を合わせて話せるようになった。エリアスは心の中で大いに喜んだが、フィーネが時折、急に表情を暗くさせることがあり気になった。
ある日、フィーネは包帯を取り換え終えた後、そっと一冊の本を差し出した。
エリアスが前に話していた、尊敬する偉人の伝記だった。
「……あの、教会の図書室にあったので……読みますか?」
「わざわざ見つけてくれたのか。ありがとう」
エリアスは笑いながら受け取り、ベッドの横に置いた。
「そうだ、君にもこの本を読んでほしい。逆に、君の好きな本を俺に貸してほしい。お互い感想を言い合おう。俺は君の好きな本が読めるし、君と感想言い合えるし、一石二鳥ってやつだ」
冗談めかして言うと、フィーネは頷く。フィーネの頬がほんの少しだけ赤く、緩んだ気がした。
その表情に、エリアスの胸が少し痛んだ。
(もっと、フィーネの笑顔が見たい……)
数日後。
フィーネは包帯の交換を終えた後、ふと立ち止まった。
何かを言いたそうに、エリアスの顔を見つめている。
「……え、何かあった?」
エリアスが尋ねると、フィーネは、ためらいながらも口を開いた。
「あの……エリアスさん、私……治癒魔法が使えるようになったんです。……教会の人以外に使うのは初めてなんですけど……使ってみてもいいですか」
そう言うフィーネの蒼色の瞳は、揺れていた。不安と怯えが色濃く映っていた。
エリアスはとても嬉しくなった。治癒魔法を練習中だとは聞いていた。きっと勇気を出して言ってくれたのだろう。
「勿論! フィーネの治癒魔法なら是が非でも受けたいね!」
エリアスはあえて冗談めかしてにこやかに笑った。不安や怯えを感じる必要はない。フィーネには笑っていてほしいから。
「……エリアスさん、ありがとうございます」
フィーネはエリアスを見つめて笑った。その笑顔はとても綺麗で儚げで、エリアスの胸はドキリと高鳴った。
フィーネは、ベッドに腰掛けて座ったエリアスの手を取り、治癒魔法の詠唱を始めた。
目を瞑って詠唱するその姿は、まるで神に祈る修道女のように美しく、エリアスはフィーネから目が離せなかった。
フィーネが詠唱を終えた瞬間、エリアスの身体が弱く輝き、温かい感覚が身体を巡った。
心なしか、身体が楽になる心地がする。
「……フィーネ、ありがとう。君の治癒魔法はとてもあたたかくて、俺は好きだ」
エリアスは本心からそう言った。フィーネと話していると心が温かくなる。フィーネの治癒魔法は、彼女の性質を表しているように思えた。
フィーネはエリアスの言葉を聞いた瞬間、顔を真っ赤にして俯いた。顔だけでなく、握っていた手も急に赤くなり、熱くなっているようだ。
「あ、あの……はい、エリアスさん、嬉しいです」
真っ赤な顔でこちらを上目遣いで見て、微笑むフィーネ。
それを見た瞬間、エリアスは、あ、好きだと、そう思った。心の中で温めていた自らの想いを、確信した。
(言ってしまっても、いいのだろうか)
けれど、言わずにはいられなかった。
エリアスは両手でフィーネの手を取り、真剣な眼差しでフィーネのことを見つめた。
「……フィーネ、俺は君のことが好きだ。出会ってまだ日も浅いのに、何を言ってるんだって思われるかもしれない。でも、君のことが好きで、もっと知りたいという気持ちは他の人にも負けない。」
エリアスの漆黒の瞳が、静かに熱をもってフィーネを見つめる。
フィーネは顔を上げ、蒼色の瞳を揺らしながら、エリアスを見つめる
「……エリアス、さん……。私、あなたのことが……」
――その瞬間だった。
フィーネが突然胸元を押さえ、床に膝をつく。唇を噛みしめ、苦痛に満ちた表情で何かに耐えるようだった。
「っ! ……く……」
「フィーネ!」
エリアスが手を伸ばす間もなく、フィーネは立ち上がり、逃げるように部屋を飛び出していった。
ベッドサイドに置かれた包帯が、床に落ちて転がった。
(いったい、何が……)
彼はただ茫然と、それを見つめていた。
その翌日、フィーネは、エリアスの部屋を訪れなかった。
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