第6章:皇太子の決意とすれ違う理想

 魔物の襲撃という衝撃的な事件を経て、カイルの態度は明らかに変わった。彼は私の農作業を手伝う合間に、王都から取り寄せた資料を読みふけり、何かを深く考え込んでいるようだった。

 そして数日後、彼は私に向かって、まるで国の重臣に語りかけるかのような真剣な表情で言った。

「レイナ。君の力を、この辺境だけに留めておくのは惜しい」

「……何が言いたいの?」

 私は手を休めずに、カブの葉についた虫を取っていた。

「君の農業技術と、その……神獣の加護。それを王国全体に広めることはできないだろうか。この国は長年、魔物との戦いで疲弊している。痩せた土地が増え、食糧難は深刻だ。だが、君の力があれば、国中の荒れ地を豊かな農地に変えることができる」

 彼の声には、王国の未来を憂う皇太子としての熱がこもっていた。

「そして、それだけじゃない。昨夜の襲撃で分かった。この聖域では、魔物でさえも、その力を制御できる可能性がある。もしかしたら、魔物との一方的な争いではなく……共存への道を探れるかもしれない。君の農園は、そのための最初のモデルケースになるんだ」

 それは、あまりにも壮大な理想だった。王国を救う?魔物と共存する?

 私には、そんな大それたことは考えられなかった。

「お断りします」

 私はきっぱりと、そして冷ややかに答えた。

「カイル様。あなたは勘違いしている。私は国を救うために農業をしているわけじゃない。聖女でも女神でもないわ。私はただ、この土地で、私と……フェンリルが、静かに穏やかに暮らしたいだけ。この畑を豊かにしたい。ただ、それだけなの」

 私の言葉に、カイルは一瞬、傷ついたような顔をした。彼の真剣な提案を、私が真っ向から突き放したのだから当然だろう。

「……そうか。君にとっては、迷惑な話だったか」

「ええ、迷惑よ。あなたはいつもそう。私の気持ちなんてお構いなしに、大きな話を持ち出して、私をあなたの描く筋書きに当てはめようとする。皇太子妃だった頃と、何も変わらないわ」

 冷たい言葉が、自分でも驚くほどすらすらと出てきた。心のどこかで、まだ彼に対するわだかまりが残っていたのかもしれない。

 気まずい沈黙が、二人の間に流れた。フェンリルが心配そうに、私の足元に鼻先をすり寄せてくる。

 しかし、カイルは諦めなかった。彼はしばらく黙って私の顔を見つめた後、静かに言った。

「……そうだな。君の言う通りだ。私はまた、君の気持ちを無視していた。すまない」

 素直な謝罪に、私は少しだけ意表を突かれた。

「だが」と彼は続けた。「私の決意は変わらない。君が望むと望まざるとにかかわらず、私は、君のやり方を参考に、王国を変える努力をする。君がここで築き上げた平和は、私が目指すべき未来の縮図だ。だから、私は君から学ばなければならない」

 彼は、私を無理やり巻き込むことをやめた。その代わりに、私のやり方を尊重し、そこから学ぼうという姿勢を見せたのだ。

「……好きにすればいいわ」

 私はそう吐き捨てるように言って、再び畑仕事に戻った。

 私たちの理想は、全く違う場所にあった。彼は国全体の未来を見つめ、私は目の前の小さな楽園を守ろうとしている。

 でも、不思議なことに、嫌な気はしなかった。

 私たちはすれ違っている。けれど、お互いがそれぞれの道を進むために「必要な存在」であることだけは、認め始めている。

 カイルは私を、王国変革の鍵として。

 私はカイルを……そう、彼の存在が、私がこの土地で静かに暮らすために必要な「防波堤」になってくれるのかもしれない。

 そんな打算的な考えが頭をよぎったことを、私は気づかないふりをした。

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