第2話 奪い合いゲーム:ライフゲッター
「ようこそ、失恋界へ」
スピーカーから流れ出た声は、不気味なほどに明瞭だった。
感情のないその口調が、かえって胸の奥に寒気を走らせる。
「ここは、東西50キロの孤島です。皆さんは今、島の中央に位置しています。これより、10種類のゲームに参加していただきます。行動は記録・評価され、各ゲームでは最大10点が与えられます。全ゲーム終了時、80点以上の方には、島を離れるための乗船チケットが提供されます。それ以外の方は、このまま島に残っていいただき再度ゲームに参加していただきます」
「誰だ、オマエは?、何言っているんだか全然わからないよ。そもそもゲームって一体なんなんだ?」
怒声が場の緊張を破るように響いた。
「質問に回答します。最初のゲームは、ライフゲッター。水と食料の獲得ゲームです。参加者10名に対し、水と食料を8人分用意いたしました。発見した物資は、最初に手に取った者の所有物となります。なお、他人への譲渡は禁止です。ルール違反者には体罰が課さられますのでご注意ください」
「……2人分、足りねぇってことかよ? そいつらは、食わず飲まずで過ごせってか?」
「はい、その通りです。競争社会です。結果を出せなかった人が脱落するのは仕方がない事です」
「....体罰ってなんなんだ、誰が、どんな権利を持ってそんな事するつもりだ」
「この世界に決められた規則です。不満がある方は、乗船チケットを獲得してこの島から出て行ってください」
言葉の棘に、俊介――いや“ボタン”は、怒りを抑えきれなかった。
「ふざけるなよ……俺たちを、おもちゃにする気か? それから、名前間違ってんじゃねぇ。俺は牡丹原だ。ボタンじゃねぇ!」
「ここでは“ボタン”というお名前となります。ゼッケンをご確認ください」
光希が、俊ーボタンの肩に手を回して、呟く。
「やめとけ、なんだか、よくわからないが、ここにもルールがあるみたいだ。どう考えても、我々は新参者なので、とりあえずは、話を聞くだけ聞いた方がいい」
声の主は
「触んな……お前、まさか“ここの運営”側の人間か?」
まるでKPOPスターのような切れ長の鋭い視線が刃のように突き刺さる。
「落ち着けよ。俺をよく見ろ、おまえと同じジャージ姿だろ。どう考えても、俺はオマエサイドだよ」
その一言で、ボタンの目にほんの少しの信頼が灯る。
「わかったよ。ハギちゃんよ」
わざとらしくゼッケンの名前を口にしたボタンの表情には、微かに皮肉が滲んでいた。
「俺は、名前なんかどうでもいいよ。好きに呼んでくれ」
その言葉にどこか投げやりな響きを感じながら、二人は地べたに腰を下ろし、会話を始めた。
ハギ――本名は萩原光希、24歳。
顔だけで生きていけると周囲から言われ、180センチの長身を生かし、
モデルのアルバイトをしていたこともあり、外見には自信がある。実際、百人以上の女性と関係を持ってきた。だが、その裏で、誰にも言えない後悔が一つだけある。
三年前、不覚にも沼った女性がいた。彼女の名前は
とても20歳には見えない、真っ直ぐ過ぎるぐらい真っ直ぐな彼女は、遊び人のハギを疑いもせずに、真剣に向き合ってくれた。なのに、ハギは桃を裏切り続けた。
ある日、ハギが女性をベッドに引き込んでいる現場に遭遇してしまった。その時の悲しげな彼女の顔が、今でも夢に出てくる。
あの日、傷心の状態にも関わらず、桃は、ハギに向かって背後から突っ込んできた乗用車から、ハギを庇い、そのまま……逝った。
運転していたのは、ハギに遊ばれ、恨みを持っていた女性だった。
桃の両親は、娘の日記からハギの行動を知り、ハギの家に連日押しかけ、言った。
「なぜ、桃が死ななくてはならなかったんだ?オマエは死ぬまで絶対に許さない」
その言葉が、今も耳に焼きついて離れない。
さすがのハギも、ノイローゼとなり、精神的に追い詰められ、集団自殺に参加したというわけだ。
ボタンもまた、似たような罪を犯していた。
若干21歳。芸能事務所からのスカウトも絶えない“韓国系イケメン”。
だが、手を出したのは、大富豪の人妻。
ボタンにしては、珍しく本気になってしまった相手だ。
あろうことか、浮気が発覚した瞬間、彼女は旦那サイドに寝返り、ボタンは切り捨てられた。
彼女にとって、ボタンはただの遊びだったのだ。いままで散々女性を遊んできたが、生まれてはじめて女性に遊ばれたのだ。
慰謝料は、人生を何度繰り返しても返済できない額だった。
返済のため多重債務に陥り、すべてを失った。そして、絶望の果てにたどり着いたのが“集団自殺”だったというわけだ。
ふたりは、互いに心の闇を語りながら、島の東へと歩く。
「まさか、共感できるヤツがいるとはな……」
「だな。地獄に落ちても、こうして話せる人間がいるのは、救いかもな」
やがて海が見えた。島の広さは本当に東西50キロ程度なのだと、実感する。
だが、広さの実感が増すほどに、焦燥感も募った。
水と食料をどのように探せばいいのか、皆目検討がつかなかった。
見つけなければ、飢えと渇きが待つ。
しかも、譲渡は禁じられている。見つけた瞬間、それは“奪い合うための戦いのゴング”と同義なのだ。
――信じたいが、信じきれない。互いに微笑みながらも、どこかで警戒を解けないまま、二人は歩き続けた。
突然、島のあちこちに設営されている掲示板が点滅する。
【F=1/8 W=0/8】
「おそらくFはフードで、Wはウォーターだろう……誰か、食料を一つ見つけたみたいだ」
ボタンの眉がピクリと動いた。
「焦っても仕方ない。作戦を立てよう」
「その前に、分配のルールを決めないか? 見つけたときの」
「ジャンケンで決めよう。勝ったほうが食料、負けたほうが水で」
軽く手を合わせ、グー・チョキ・パー。ハギが勝ち、ニコリと笑った。
「いいな、一つ目は、ハギが食料、俺が水。二つ目は逆だからな。……さあ、探そうぜ」
「探すためのアイデアはあるのか?」
「水はともかくとして、食料は、腐敗するので、屋外ではなく、地下とか建物の中に保管されいるはずだ」
「そりゃ、そうだな」
「そう考えると、潮の満ち引きがない島の内陸だと思う。それも保冷するために必要な電気が使える場所だ」
「なるほど。じゃあ、とりあえず内陸に戻ろう」
二人は、海岸から内陸へと歩き始めた。
*
「タンポポ、すごいね……もう見つけたんだ」
ウメが目を丸くして言うと、タンポポは苦笑いしながら食料を手にした指を見つめた。
「たまたま運が良かっただけだよ。……ウメがヒントくれなかったら、きっと見つけられなかった」
「そんなの、ヒントってほどのことでも……ただ、スピーカーの柱に電源が来てるなら、電気を使う何か――たとえば冷蔵庫が近くにあるかもって言っただけだし」
「それでも、私の中では十分なヒントだったよ。……本当は、これ、半分はウメの分なんだけどね」
タンポポの言葉に、ウメはそっと目を伏せた。
「体罰ってルールが怖いし……他にもまだあるはず。私のもきっと見つかるから、大丈夫」
「私、がんばる。見つけたら触らないで、すぐに呼ぶね。一緒にご飯食べたいから」
「ありがとう……」
一瞬、二人の間に温かい空気が流れた。けれど、掲示板の光がその空気を切り裂く。
【F=3/8 W=4/8】
(数の減りが速い....)
「まずいね……急ごう。私は西の柱を見る。タンポポは東を頼む」
「わかった」
タンポポは駆け出した。息が荒くなるのも構わず、ひたすら柱の根本を目指す。そして、目の前の電源ボックスを開けた瞬間、心臓が跳ねた。ビンゴだった。食料があったのだ。
「ウメーっ!!」
思わず、大声で叫んだ――
その声を聞きつけて、ダッダッダッという足音が背後から迫ってくる。振り返らずともわかる。男だ。見知らぬ男が、ものすごい勢いで走ってくる。
(早く来て、ウメ……!)と念じるように祈る。
でも間に合わない。
タンポポは、一瞬、体を張って守ろうと考えたが、長身の男性に敵うはずもなく、パニック気味となった。
男の気配が背中に迫った瞬間、体が勝手に動いた。
――掴んでしまった。
その瞬間、すべてが止まった気がした。背後から息を荒げて地面に崩れ落ちた男が、声にならない声で呟く。
「ち……きしょー……」
その顔は悔しさに歪み、額には汗が滲んでいた。
タンポポは反射的に口を開いた。
「ご、ごめんなさい……!」
男は、息を整えて、タンポポを見上げる。
視界に入ったのは、タンポポが一人で食料を二つも手にしている姿だった。
男は、震えながら怒鳴った。
「一人で二つも食料取るなんて……強欲過ぎじゃないか。これで3人分の食料が足りなくなったんだよ? 可愛い顔して、内面はクソだな。ブス以下だよ」
その言葉に、タンポポの体が一瞬で冷えた。
――ブス。クソ。
生まれてから、誰からも言われたことのなかったその言葉が、鋭く心を突き刺す。
「私……そんなつもりじゃ……パニクちゃって、つい衝動的に」
言葉が震える。胸の奥がきゅっと締めつけられる。息が苦しくなってきた。空気が吸えない。肺に重りが乗ったみたいに、ひと呼吸ごとに痛い。
目の前の男――クズと名札に書かれたその男は、そんなタンポポの様子を、冷たい視線で眺めている。
(過呼吸だ...苦しい。誰か、助けて)
でも――
男は助けてくれない。
これまでなら、少し転んだだけで誰かが駆け寄ってくれた。困った顔をすれば、周囲が優しさを差し出してくれた。けれど今、目の前のこの男は――私が苦しむ姿を、楽しんでいる。
(こんなこと……あるはずがない……)
背後から、聞き慣れた声が届いた。
「大丈夫?」
その一言に、タンポポは涙をこぼした。
「ウメ……っ!」
駆け寄ったウメに、タンポポの胸にしがみついた。まるで浮き輪を掴むように。助けを求めるように。
だけど――
「え……また取ったの? タンポポ、さっき、食料、1つ手に入れたよね?」
その言葉は、ナイフのようだった。
タンポポは顔を上げ、ぐしゃぐしゃになった涙の中でウメを見あげる。
「ち、違うの。これは……ウメの分だと思って、呼んだんだよ。でも男の人が来て、焦って……それで……!」
「でも譲渡は禁止なんだよ。だったら、彼に譲った方がよかったんじゃない……?」
ウメの言葉に、タンポポの胸がさらに締め付けられる。
「私、間違えたの……本当に、ごめんなさい」
ウメからの返事は無かった。
クズが、口元を吊り上げながら言った。
「おー、マトモな子いるじゃん。安心したわ。ウメちゃん、でいいのかな?」
「はい……」
「こんなヤツとつるんでると、心まで腐るよ? 可愛い顔がもったいない」
ウメは、否定も肯定もせずに、ただ、黙ったまま何も返さず、その場に立ち尽くしていた。
*
ハギは、ボタンが見つけてくれた食料を受け取っていた。
ボタンは自分の分の水も食料も確保できていないが、約束通り見つけた食料は、ハギに譲ったのだ。
空腹が喉の奥でじわじわと広がり、焦りが心の隙間に入り込んでくる。
そのとき――掲示板が再び光を放つ。
【F=7/8 W=7/8】
「……これで、水は残り一つだな。つまり……悪いな、ハギ。水を見つけたら、俺に譲る約束なので、お前の分の水は、もう無いってことだよ」
ボタンは唇を噛みながら言った。
それでも声には強がりが混じっていた。諦めを押し殺すように。
「でも、お前はもう食料を手に入れてるからいいだろ。手を抜かずに、俺の分を探すの手伝えよ。裏切りっこなしだからな」
「わかってる。俺は約束を破らない。信じてくれ。……知らない奴に渡すくらいなら、ボタン、お前に渡すよ」
ハギの声には力がこもっていた。
その言葉に、ボタンは一瞬、苦笑を浮かべる。
「お前、案外いいやつかもな」
互いにうなずき合い、最後の勝負に向けて歩を進める。
ハギは、これまで探索していなかった南側へ向かった。
荒れ果てたポールの根元。掲示板もついておらず、誰にも見向きされないような場所に、小さな電源ボックスがあった。
蓋を開けた瞬間、銀色に輝くペットボトルが目に飛び込んできた。
――ビンゴだ。
ハギは反射的に蓋を閉め、周囲の花や雑草でボックスを隠した。
だが――立ち上がった瞬間、誰かの視線を感じた。
背後に、女性が立っていた。力づくで阻止することはできたが、女性相手に暴力は振るいたくなかった。
(……見られた!?かも。もうダメだ)
瞬時に心が跳ね、ハギは反射的にボックスを開け直して水を掴んだ。
――ボタンとの約束は守れなかったが、あの女性に渡すぐらいなら、俺がもらった方がマシだと自分自身に言い聞かせた。
すると、その女性が微笑んだ。
「おめでとう。見つけたんだね」
彼女はそう言って、鞄から水を取り出して見せた。
「私も、見つけたよ。冷たくて美味しいお水だよ」
その一言が、心に突き刺さった。
(え!……もしかして、この子は奪いに来たわけじゃなかったんだ)
――だったら、今手にしている水は、本来ボタンに渡すべきものだった。
遠くから、ボタンの姿が見えてきた。
ハギは、心臓が強く打つのを感じながら、どう言い訳すればいいか、必死に考えた。
でも、言葉は思ったように出てこない。
ボタンの足が止まる。
視線がハギの手元――ペットボトルの水に注がれた。
その目は、疑念ではなく、確信の色だった。
沈黙が、ふたりの間に重くのしかかる。
やがて、ボタンがゆっくりと前に進み、無言でハギを見つめた。
ハギは言い訳を搾り出すように話す。
「ち、違うんだ。俺、約束を守ろうと思ってた。でも、この子が現れて――取られるかと思ったんだよ」
ハギの隣の女性――名札には「ウメ」とある――が水を掲げて口を開いた。
「私、奪おうとなんてしてないよ。だって、もう持ってるから」
ボタンの表情は変わらない。沈黙がさらに重くなる。
ハギは、ウメのゼッケンをちらと見て、さらに言葉を続けた。
「ウメちゃんが持ってるの、知らなかった……本当に、ただ……焦って」
ようやくボタンが口を開いた。
「マジで、情けないヤツだな。言い訳すんな。……お前は俺との約束を破った。それだけの話だ」
その声には怒鳴りも呆れもなかった。ただ静かに、深く、信頼が切れた音がした。
ハギは目を伏せ、呟いた。
「……ごめん。本当に、ごめん。……せめて、食料は、お前のために全力で探すよ」
「うざいよ。オマエ……さっさと消えろ」
ボタンの言葉は、突き放すように冷たかった。
もはや言葉は無意味だと悟ったハギは、黙ってその場を離れた。
そのとき、ウメが声を上げた。
「私も……お水探すの、手伝ってあげるよ」
振り返ったボタンは、ようやく柔らかな笑顔を見せる。
「……天使だな。中身も外見も、可愛すぎる。ありがとう」
*
しばらくして、掲示板が最後の更新を示す。
【F=8/8 W=8/8】
すべての水と食料が見つかったようだ――
結局、
ハギは食料1人分・水1人分を確保。
ボタンは、食料1人分のみ。
タンポポは、食料を2人分、水を1人分。
ウメは、水を1人分のみ。
という結果となった。
このゲームは、3日ごとに繰り返される。
水を飲まずに生きられるのは3日。つまり今回、水も食料も得られなかった者が次回も得られない場合には、この世界での死を意味することになる。
時間と信頼、そして命を賭けたゲームは、まだ始まったばかりだった。
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