デスゲーム『失恋界』失恋をきっかけに集団服毒した10人が挑む

第1話 青いブルマ

(え……ここ、どこ……?)


目覚めた蒲生陽菜がもうはるなの視界には、どこか現実離れしたピンク色の空が広がっていた。湿った土のにおいと、やけに鮮やかな花の香りが混じる中、上半身を起こすと、そこは絵本のように美しい花畑だった。色とりどりの花が地平線まで咲き誇り、風もないのに、まるで呼吸をするように、ゆらりゆらりと揺れている。


(……夢?)


額に手を当てた。熱も、感覚もある。まるで夢とは思えないリアルさに、背筋がじんわりと汗ばむ。


ふと、視線の先に人影があった。花々に埋もれるように、ひとりの若い女性が背を向けて立っている。彼女はお尻が少しはみ出している小さめの青いブルマに、赤い縁取りのピッタッとした白いTシャツ。背中には名前が書かれたゼッケンが縫い付けられており、懐かしい小学生の時に着た体操服だった。


(……え? なんでこんな場所でコスプレ?)


状況がつかめないまま、女性の顔を確認しようと、立ち上がり近づいたとき、記憶の奥から一つの場面が引き出される。





陽菜は、43歳のたけしという20歳年上の男性と付き合っていた。彼はいつも陽菜を甘やかし、わがままを叶えてくれた。陽菜にとっては“お姫様”でいられる、唯一の場所だった。


ある日、漁港を散歩していたときのこと。陽菜は試すように言った。


「一生のお願い! 1分だけ、あの海のブイになって!」


すると健は、笑顔で海に飛び込み、本当に浮かんで見せた。


戻ってきた彼に、陽菜は冷たく言い放った。


「バカじゃない? なんで本当にやるの。そんなバカな要求、男なら断ってよ」


次の日、健から別れを告げる電話がかかってきた。信じられなかった。彼はベタ惚れだと思っていたから。男性を自分から振ったことはあっても、振られたことは一度もない。陽菜にとっては晴天の霹靂だった。


19歳から、まる4年も、健に完全に依存して生きてきた。生活費をもらい、好きなところには連れて行ってもらい、好きなモノを買ってもらっていたので、健がいない生活は、経済的、精神的に、想像よりもずっとつらかった。


前にも喧嘩して一度別れた事があった。その時は、1週間もしない間に、健から連絡があり、よりを戻したのだ。


今回も健から、絶対に、連絡が来ると信じて待っていたが、1週間経っても健から連絡はなかった。


泣きながら謝ったとき、返ってきたのは


「もう無理なんだ」


という冷たい言葉だけだった。ブイの事件は、単なるきっかけに過ぎず、本質的な原因は


「好きになってくれているという気持ちは十分に感じられたが、愛されていると感じられた事は一度もなかった」


ということだった。


陽菜は、中学の時から、振られたことは一度も無かった。幼いころから、色気があったようで、担任の先生からも贔屓ひいきされ、通学中は、毎日のように告白を受けた。癒し系の狸顔に、極端にくびれたウエストが、男達を虜にしていたのだろう。


中学から付き合った男性は、健を入れて合計で6人。健以外はみな、半年ぐらいしか続かず、全て陽菜から振っていた。


健だけが、4年も続いた相手だったので、しっかりと付き合ったのは、実質、健だけだった。その相手に人生で初めて振られたのだ。


そして、徐々に現実が陽菜を蝕んでいった。部屋を追われ、ネットカフェ暮らしに。夜の仕事も考えたが、酒が飲めないので断念した。今まで経験もしたことがない情けない惨めな生活。ジリ貧の果てに、ふと目に飛び込んできたのは掲示板の書き込み。


『みんなで一緒に楽になりませんか?』


抵抗もなく、連絡をとった――。


自分を含めて10人いるとのことで、決行の日、指定された場所に足を運んだ。


富士山麓の樹海の中の古い木造の一軒家だった。


引き戸の玄関の前に立ち、ベルを押すと、中から、四十代ぐらいの男性が出てきた。


彼の誘導に従い中に入ると、20畳ぐらいありそうな、畳の部屋に通された。


集まったのは男女10人。死ぬために。無表情な男に自殺支援金として3万円を払い、最後の食事をとる。


出されたのは、弁当とサンドイッチ。誰も言葉を交わさず、黙々と食べる。矛盾しているようだったが、人間、死ぬと決めていても、お腹は空き、それなりに食欲があった。


性的欲求も最後に処理したい人は個室へ――そんな案内もあった。誰も反応しなかった。淡々と、粛々と、自殺の手順が進められていく。


睡眠薬とミネラルウォーターが配られ、担架の上に横になるように指示される。


まあ、でも、死んだ後、運搬のために、体をあっちこっち触られるのも嫌だったので、はみ出さないように担架の上で横になった。


(……そうだ、あの時、担架の上で睡眠薬を飲んだんだ……)


断片的に蘇る記憶をつなぎ合わせる。山小屋、無表情の男、最後の食事、無言の人々、睡眠薬。そして、まるでスイッチが切れるように、意識はそこで途絶えた。


(あ、思い出した。隣の担架に横たわっていた子だ!、ということは、ここは天国ということ?、……じゃあ、やっぱり、私は死んだの?)


だが――意識がはっきりし過ぎており、天国だと断定するには、妙な違和感を感じた。


ふと自分の服装を見て驚いた。自分も、彼女と同じブルマとTシャツに身を包まれていたのだ。


(……脱がされた? まさか死体で、着せ替えたってこと?)


ゾッとする想像が、背中をつうっとなぞるように駆け抜ける。


自分のゼッケンを見ると、大きな文字で『タンポポ』と書かれている。


(戒名にしては、変すぎる……)


気味の悪さが、じわじわと肌を這う。もし、ここが死後の世界なら、もう少し神聖な空気でも良さそうなものだ。でも、ここは、どう見てもファンシーでチグハグすぎる。


気を取り直して、女性に声をかけてみた。


「あの、……もしかして、一緒だった人ですよね?」


女性は、こちらに気づいて、振り向いた。目を細くしながら、しばらく無言で、陽菜の顔を見つめた。


「ごめんなさい。覚えてなくて。どこでお会いしましたか?」


「あの、ほら、樹海の中の、一軒家です」


女性は、軽くうなづき、陽菜の方に向かって近寄ってきた。


「あ……ああ! 思い出しました。服装が違うから、わからなかったけど」


「やっぱ、これ、趣味悪すぎますよね。なんで体操服? あそこの運営者は、ロリコン趣味でもあるんですかね……」


「うん、私もそう思った。せめて着ていた服で死なせてほしかったよね……」


彼女は梅野柚希うめのゆずき、25歳。ゼッケンには『ウメ』と書かれていた。

彼女は、妊娠した後、彼が蒸発して、生きる自信を失って死を選んだとのことだった。


死後の世界は、想像していたのとは全く異なり、なんだか、生前の生活の延長でただ、単に、場所が変わっただけのような気分にだった。


死んでも、しっかりとした意識があるのは、ある意味、重たかった。何もかも考えずに、忘れて、楽になると思っていたのに、下手すると、死後の世界で、よくわからない生活がまた強いられたりするかもしれないと思うとゾッとした。


そんな陽菜の不安をよそに、ふたりの視界の向こう――花畑の奥に、またひとつ人影が現れた。


「あそこ、誰かいます……一緒に、行ってみません?」


陽菜は柚希と顔を見合わせ、ゆっくりと歩き出した。まるで、生きる理由を探すように。あるいは、“死後の人生”を確かめるように。

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