【解釈小説】シンクロナイザー

蓬葉 yomoginoha

シンクロナイザー

 雨宿りの停留所、張り紙、夏、電柱。今は太陽が降り注ぎ、遠くのビル群を入道雲が覆っている。

 ひまわりは太陽の機嫌を取るように笑顔を見せ、アスファルトには、にわか雨が生み出した水たまりがきらめいている。

 激しい雨で世界は洗われた。そうだというのに、彼女は自分で豪雨を降らしている。

「なんで今いうのっ……」

 彼女は崩れ落ちてしまった。






 幼稚園のころから、彼女とはずっと同じ時を過ごしてきた。幼馴染というやつだ。

 家は近くなかったけれど、幼稚園のときは一緒に遊んでいた。小学生のときは、初めのころは一緒に遊んでいたが、中学年くらいからは遊ばなくなっていった。自然とそうなっていった。

 高学年ころから、彼女はやけに男の子にモテだした。

 彼女に対する思いがわかったのはこのときだ。


「星也」

「みかん」

「見てこれ。ミサンガ」

「へえ」

「反応薄い。せっかく作ったのに」

「え、俺に?」

「うん。大会あるっていうから。ほら、つけてってよ。星也だけにしか渡さないんだからね」

「う、うん。ありがとう……」

「声小さい」

「ありがとう」

「よろしい。がんばっといでね」

 みかんは俺の頭を撫でて、ぱたぱたと駆けていった。

 中学生になってからは、また少し関係性が変わってきた。

 俺は男子バスケ部、彼女は水泳部。俺は1年1組、彼女は1年3組。接点はないのに、また昔のように話すようになったのは、同じ地域出身の同級生が彼女だけだったからだ。

 手に残された水色のミサンガを見つめる。彼女の温度を、感じた。



「一緒のクラス! 星也!」

「お、おお。よかったな」

「なんで他人事!? うれしくないの?」

「うれしい……かもな」

「はっきりしないなぁ。私はうれしいのに」

「……」

 中2のときは同じクラスになった。

「星也、移動教室―」

「星也、ここわかんない」

「星也、疲れたー」

 クラスでうわさになるのに時間はかからなかった。

 ある日、みかんは学校を休んだ。皆勤賞をとると豪語していた彼女らしくないことだった。

 嫌な予感がして部活を早引きして彼女の家に行くと、玄関にみかんが出てきた。体調は悪そうには見えない。

「どうした」

「……」

「これ、今日のプリントとか」

「部活は」

 彼女とは思えないくらい小さく冷たい声だった。

「休んだ。明日は来いよ」

「……いかない」

「なんで」

「いかないから」

「俺は、来てほしい」

 みかんがはっとした様子を見せる。俺はふっと口をついてしまったことに、視線を逸らす。

「いま、なんて言ったの?」

「別に」

「もう一回言って」

「……」

 見えていたはずなのに、今初めて理解した。みかんは、セーラー服を着ていた。彼女は、今日だって来ようとしていたのだ。

「お前がいないと、つまらん」

 みかんは俺に抱き着いて、しばらく泣いた。


 彼女のひきこもりは一日で終わった。

 家の近くのコンビニで二人並んで話す。

 事情を聞くと、うわさになっていたことが関係していたらしい。

「星也の迷惑になりそうだったから」

「俺の?」

「うん。星也、そういうの気にするでしょ」

「人によるかな」

 俺は片方のパピコを渡して言った。

「人に……ふぅん」

「お前こそ、いやじゃないのか」

「全然」

 彼女は即答して、笑った。

「むしろうれしい」

 こうして彼女は短いひきこもりを卒業した。



「最近、シンクロやってるんだ」

「シンクロ?」

「知らない? シンクロナイズドスイミング。最近はアーティスティックスイミングっていうらしいけど、動きを合わせたりするの」

「ええ、大変そうだ」

「そうなんだよー。なかなか動きが合わなくてさ」

「水中でも見えるもんなの?」

「どっちかっていうと音楽で合わせるって感じかな」

「ああ。え、でもそれはそれでむずそうだけど」

「むずいよほんとに」

 サイダーを飲みながら彼女は足をばたつかせた。かわいらしいしぐさに見とれそうになった俺は視線をそらしてごまかす。

「そんとき、星也のこと思い出すんだ」

「なんで俺。シンクロなんてやったことないけど」

「そりゃそうだ。違うの、そうじゃなくて」

 彼女は、ざっと立ち上がって俺の前で、無い胸を張った。

「私と星也。心がシンクロナイズ、みたいな」

「なに?」

「シンクロナイザーって言った方がいいのかな。人だから。アドバイザーみたいに」

 彼女はまじめな、けれど自信に満ち溢れた表情で言う。俺はその様に、吹き出してしまった。

「何で笑う」

「だって、おもしろくて」

「はあ? なんだよ馬鹿にして。もういいしらない」

「いいじゃん。シンクロナイザー。俺も思ってた」

 偽らざる本心だったのに彼女は頬をふくらませたままだ。

「ほら、サイダーもう一本買ってやるから」

「許す」

 お互いの心がわかりあっている。まさにシンクロナイズだ。




 そして迎えた、中3の夏。

「私、高校は東京に行くんだ」

「……え……」

 頭が真っ白になる。ヒグラシの鳴く声が引いていく。

「パパの仕事の都合でさ」

 さっきまでのにわか雨も忘れてしまうほど。暑さも忘れてしまうほど。

 美しい雨上がりの停留所で、彼女は言った。引きこもり未遂のときのような事件ではなくて、普通の調子だ。

「私も、これでシティーガールだい」

 彼女はVサインを見せた。

「そしたら、こっちでやり残したこと、なくさないとな」

 俺は、彼女に調子を合わせて軽く言った。

 けれど、内心はそれどころではなかった。

 いなくなってしまう。

 ずっと一緒に生きてきた彼女がいなくなってしまう。

 ずっと一緒にいるはずだと思っていた彼女がいなくなってしまう。

 ずっと大好きだった彼女がいなくなってしまう。

「特に、ほら」

 俺は少し卑怯だった。

「俺に、言い残したこととかあれば、いえよな」

 彼女だってきっと同じ気持ちなんだ。

 だったら、彼女に言ってもらった方が楽だ。

 大丈夫。俺は喜んで受け入れるから。たった一言、自信をもって、吐き出してしまえばいいんだ。

 シンクロナイザーなんだろ? 

 言えよ。

 違うのか?

 俺の勘違いなのか? 所詮、一方通行なのか? 同じ心を持っているのではないのか? 心は同期しているのでは? いや、でも、いや……。


「えーなんだろなあ」

 みかんは後頭をかいて、困ったように笑った。

「伝えたい、こととか」

「だって、これまでほとんど言ってきたし」

「……」

「逆に、そっちはあるわけ?」

 いたずらっぽく笑うみかんに、魔が差した。

「あるよ」

 だってシンクロナイザーなんだ。

「なに?」

 受け止めてくれるだろ。

「俺は、お前が」





 雨宿りの停留所、張り紙、夏、電柱。今は太陽が降り注ぎ、遠くのビル群を入道雲が覆っている。

 ひまわりは太陽の機嫌を取るように笑顔を見せ、アスファルトはにわか雨が生み出した水たまりがきらめいている。

 激しい雨で世界は洗われた。そうだというのに、彼女は自分で豪雨を降らしている。

「なんで今いうのっ……」

 彼女は崩れ落ちてしまった。

 わずか三分前の発言が、彼女に洪水を起こした。

「いけなくなるじゃん……」

 俺は、何と言ったらいいか戸惑ってしまう。結局、何も言えなかった。




 やがて、泣き止んだ彼女は、スカートのひだをなぞりながら、呟くように言った。

「もう一回言って」

「……え」

「もう一回」

「……好き、だよ。お前が」

 そう言うと、彼女はまたも、じんわり涙をためた。

「悪かったよ。もう、言わない」

「……なんで今だったの」

「……」

 彼女の顔を見ると、夕映えに、頬が染まっている。

 震える唇で言葉を紡ぐ。

「私は……」

 ドキドキと胸が鳴る。蝉の音が消えていく。

 次の言葉を待っていると、彼女は「ひひっ」と笑った。

「言わない」

「……は?」

「仕返しだよ。もやもやしちゃえ」

「お前……」

 彼女は笑った。染まった頬に、涙が伝った。伝った涙が、のみかけのサイダーに落ちた。




「じゃあ、また明日」

「うん。また明日」

「ありがとうな。話してくれて」

「ううん。ごめんね、急な話で」

 なんてことのない挨拶も、輝いて見える。喪失を前に、それは徐々に徐々に光を放つだろう。

 それでも、急な別れよりもまだ救いがある。

 目の前にその人がいて、輝いていることがわかった状態でいなくなるなら後悔はしないだろう。少なくとも後悔しないように俺もみかんも行動する。

 もし今日この瞬間にお別れだったのなら、そんな余地はない。失ってから気づく光など、ない方がいい。

 それを伝えると、みかんはクスっと笑った。

「星也って理屈っぽいよね」

「悪いか」

「ううん。そういうとこが、憧れ」

「憧れ?」

「うん。あーなんかだめだ今日はめっちゃ言っちゃう。もうはずいからバイバイ」

「う、うん。またな」

 みかんは家の中に入っていった。



 シンクロナイザー。

 蝉騒が戻ってきた。

 未来線は、海上に揺らめいでいる。不安定に曖昧に陽炎の中にある。

 けれど、今は夏の夢に染まっていたい。明日の夜空が見えるまで、未完成な日々を。

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