第1話 このからだ、僕じゃない、けれど

茂みの奥から、低いうなり声が聞こえた。

 現れたのは、黒い毛並みに赤い目をした、狼のような獣。

 けれど、ユウが知っているどんな動物よりも、恐ろしく、異様だった。


 「な、なんだよ……これ」


 後ずさる足が、草を踏む音を立てる。

 モンスターが鋭い爪を見せ、跳びかかってくる。


 「っ――あぶっ……!」


 避けようと体をひねった瞬間、ユウの身体が自然に動いた。

 姿勢を低くして飛び込み、反射的に拳を突き出していた。


 ドガッ!


 鈍い音とともに、モンスターが地面を転がった。

 地面にできたひび割れを見て、ユウ自身が目を見開いた。


 「……今の、僕……?」


 手が、震えている。けれど、それは恐怖ではなかった。

 恐怖を上回る、得体の知れない“力”の実感だった。


 モンスターは呻きながら起き上がろうとするが、すでに動きは鈍い。

 ユウは、意識する間もなく、次の動作に移っていた。

 蹴り上げた足が、モンスターの胴体をとらえ、決定打となる。


 バタリ、と音を立ててモンスターが倒れた。動かない。


 静寂が戻る。


 「……はあ……はあ……なんで、僕……こんな動きが……」


 心臓がドクドクと鳴る。

 全身に走る興奮と違和感。確かに今、自分は“戦った”。

 けれど、自分はそんなこと、一度だってしたことがない。


 「これ、本当に……僕の体?」


 ゆっくりと拳を見つめる。

 細くて頼りなかったはずの手が、少しだけ大きく、力強く見えた。


 ユウは深く息を吸い、辺りを見渡す。

 森は静まり返っている。だが、少し離れた丘の上から、かすかに煙が上がっているのが見えた。


 ──町だ。


 「……とりあえず、あそこに行ってみよう」


 不安はある。でも、じっとしていても何も変わらない。

 足を踏み出した先に、また何かが待っている気がした。


 ユウはゆっくりと歩き出す。

 “知らない世界”での、最初の一歩を踏みしめながら。




丘を越え、森を抜けた先に広がっていたのは、石造りの門に囲まれた町だった。


 「……ほんとに、町だ……!」


 近づくにつれて、門の前の行列が見えてきた。

 背中に荷物を背負った商人、鎧に身を包んだ剣士らしき男、耳の長い異種族の少女──

 現実離れした光景が、目の前に広がっている。


 ユウが恐る恐る列に並ぶと、門番らしき男性がこちらをじろりと見た。


 「お前、新顔だな。名前は?」


 「ユウ、です……」


 「あん?小せぇ声だな。まぁいい、入れ」


 あっさりと通され、ユウは拍子抜けしながらも町の中へ足を踏み入れた。


 


 そこは、色とりどりの喧騒が渦巻く、にぎやかな世界だった。


 石畳の道の両側には、所狭しと並ぶ屋台。

 焼かれた肉の香ばしい匂いが漂い、香辛料のスパイスが鼻をくすぐる。

 串焼き、煮込み、揚げパンのようなもの……異世界の食べ物が所狭しと並び、売り子たちの元気な声が飛び交っていた。


 「焼きイモロウはいかがっ!甘いぞ、ホクホクだ!」

 「お嬢ちゃん、そこの揚げマシュネ食べてかないかい!」


 布に覆われた露店では、宝石のようにきらめく果実が並び、子どもたちが走り回る。


 ユウは、ただただ圧倒されていた。


 「……なんだろう、すごい、活気……」


 すれ違う人々の服装も見慣れないものばかりだ。

 露出の多い服の女戦士、大きな耳を揺らす獣人の少女、背中に袋を背負った小人の商人──


 「ほんとに、ここは僕の知ってる世界じゃないんだ……」


 足元に転がってきた果実を拾ってやると、小さな子が「ありがと!」と笑って駆けていった。

 思わず、ユウも少しだけ笑みを返す。


 どこか怖くて、だけど不思議と懐かしいような――そんな町の風景。

 ユウはしばらく、その中をただ歩き回った。


 そして、ふと目に入った建物に足が止まる。

 装飾のついた大きな扉と、掲げられた木の看板。


 ──《冒険者ギルド》。


 「……ここ、行ってみようかな」




ギルドの扉を開けた瞬間、ユウは思わずたじろいだ。


 「うおおー!言いがかりつけてくんなってんだよ!」


 「お客様、お静かにっ!」


 ホールの奥で、何やら大声の言い合いが起こっている。

 腕組みをした女戦士と、困り顔のギルド職員。

 女戦士は白い肌に短く束ねた赤茶系の髪、袖なしの革ジャケットを羽織り、堂々とした立ち姿をしていた。


 (うわ……強そう……)


 ユウが入口で固まっていると、彼女がふとこちらに気づく。


 「ん?お前……新入りか?」


 「あ、えっと……はい」


 「ふーん。あたしはラグナ、拳闘士だ。最近この町に来たんだけどよ、見ろよこの態度!」


 ラグナはカウンターの職員を親指で指し、「この腕で雑魚モンスターの討伐もできねぇとでも?」と不満げに言う。


 「……ってか、あんた。弱そうだけど、何しに来たんだ?」


 「ぼ、冒険者になろうと思って……」


 ラグナはじっとユウを見て、それから──ぷっと吹き出した。


 「ふっ、マジか。お前、いい面構えしてんな」


 そう言ってラグナは笑った。バカにしてるというより、面白がってるような、そんな笑い方。


 「よし、ちょうど暇だし、一緒に行ってみるか?依頼。あたし一人じゃ受けられねぇしな」


 「えっ、ぼくと……?」


 「いいだろ? あんたも腕試ししたいんだろ?ん?」


 ユウは一瞬ためらったが、なぜかその強引な笑いに、拒む気になれなかった。

 気づけばうなずいていた。


 「……うん、行く」


 「よし! じゃあ掲示板見ようぜ」


 二人はギルドの壁に張られた依頼掲示板へと向かう。

 その中で、ひときわ報酬の高い紙が目に入った。


 《村はずれの森での野生モンスター討伐──銀貨20枚》


 「この金額……内容の割に高すぎじゃね?」


 「怪しいけど……最初だし、行ってみようか」


 「お、やる気あるじゃん!気に入ったぜ」


 こうして、初めて出会った二人の最初の冒険が、静かに始まった。


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