心優しき少年、異世界で英雄に──けれど“鏡の謎”はまだ解けない

かれは

プロローグ

風が、空き家の割れた窓から冷たく吹き込んできた。

 夕暮れが町を染め始めるころ、ひとりの少年がその家に足を踏み入れていた。


 靴底が埃を踏むたび、かすかに乾いた音が響く。

 壁には古い落書き。天井には蜘蛛の巣。誰も住んでいないはずのその家は、まるで時が止まっているかのようだった。


 少年――ユウは静かに家の奥へと進む。

 帰る家もなく、行くあてもない彼にとって、この空き家は唯一、誰にも邪魔されない“居場所”だった。


 「……誰もいない、よね」

 ぽつりとつぶやいた声が、ひどく心細く響いた。


 そのときだった。

 薄暗い部屋の中で、ひときわ異質な“光”がユウの目に入った。


 それは、大きな鏡だった。

 全身が映るほどの背の高い鏡。周囲は埃まみれなのに、鏡面だけが不自然なほど澄んでいる。まるで――誰かが、ついさっきまで触れていたかのように。


 ユウは無意識に、その鏡へと手を伸ばしていた。


 「……なんだろ、これ」


 指先が鏡に触れた瞬間、空気が音を立てて揺れた。

 次の瞬間、ユウの身体がふわりと浮き、重力を失ったように――鏡の中へと、吸い込まれていった。


 


 ──闇。


 


 息ができなかった。心臓の鼓動だけが耳の奥で鳴っている。

 寒くも熱くもない空間。時間があるのかすらも分からない。


 “おまえは誰だ?”


 誰かの声が、脳の奥に直接響いた。


 “願いは、何だ?”


 ユウは口を開こうとしたが、声が出なかった。

 ただ、心の中で小さくつぶやく。


 ──誰かを、助けたい。


 その瞬間、視界が白く光った。


 


 目を開けると、そこは森の中だった。

 濃い緑の葉が風に揺れ、鳥の鳴き声がどこか遠くで響いている。


 けれどユウは、それどころではなかった。


 「……え……?」


 自分の身体に、違和感があった。

 腕の長さも、視界の高さも、歩いたときの重心も。

 まるで、自分の身体じゃないみたいだ。


 「なんで……?」


 混乱するユウの前に、茂みがガサガサと揺れた。


 出てきたのは、見たこともない獣――モンスターだった。


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